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自分の「きれいですね」と言われるだけの絵に意味はあるのかという疑問に答えが出せたかもしれない(2020)

2011年から約10年間の自分の作品制作の変遷をご紹介するシリーズも、そろそろ最終回です。

これまでの過去作品につての記事はマガジンにまとめてあります。

2019年後半くらいから、制作に関して、前々から自分の内に感じていたある疑問が、無視しきれないほど大きくなってきました。

それまで、自分の作品が「きれいですね、幻想的ですね」と言ってもらえることに喜んでいたし、そういう作品を心がけていました。

並行して「きれいなだけの作品に存在意義はあるのか」という思いもぬぐえずにいました。

キッチュにならないように、と加えていた抽象的な線も、まさに感覚だけで描いていましたが、自分でもわけが分かっていないものを描き続けることにも疑問を感じていました。

きれいな絵は大好きです。感想が単に「きれいだなあ」になってしまう尊敬するアーティストの作品はたくさんあります。抽象画もしかりです。ただ、抽象画家は、本人にとっては「分かっている(納得している)」ものを表現していると思うのです。

私は、違いました。どこか「絵が描ける人」と思ってもらえる部分を残しておきたいけど、ありがちな絵にはなって欲しくない、自分のそんな思いで描く制作態度がいやらしいと思い、辛くなってきました。

自分にしか表現できないことって何だろう、何を表現したら私という人間が作品を作ることで新しいものが生まれるんだろう、そんな思いを抱えていました。

そして2020年。1月には「なんだか中国で謎のウイルスが猛威をふるいはじめたらしい」という話を聞くようになりました。2月にはイタリアでも初感染者が、というニュースが出たと思ったら、あれよあれよとヨーロッパもパンデミックの渦の中にとり込まれていきました。世間でも私自身の中でも、形容のしようのない不安と脱力感を感じ始めました。

と同時に自分の中の「私のキレイな絵」には何の意味もない、何の役にも立たない、という思いが決定的になってきました。

そんな思いで2020年2月に制作したのがこちらです。

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『Konec prázdných filozofování(空っぽな哲学の終わり)』というタイトルをつけています。水彩画です。大きさは36cm x 28,5cmです。

おいおい、真剣に悩んだ結果がこの絵かよ!と思われたと思いますが。

やはり私という人間から発信されるものはどこか笑える部分、ニヒリズムな部分を含んでいないと、何かカッコつけた正直でないものになってしまう、という答えに行きついた結果でした。

それまでにも、こういうのとか(2019年)

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こういうのとか(やはり2019年)

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描いていたんですけどね。

こちらは2020年4月、3月に始まった最初のロックダウンの終わりが見えない中で描きました。

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日本語で『何だいあんた、空っぽじゃねえか』というタイトルをつけています。やはり水彩で大きさは29cm x 33,5cmです。

この後、年末までまた試行錯誤、悩み続けます。また万年筆で描いてみたり、デジタルだけで描いてみたり。

秋には次なる大きなロックダウンが始まり、何かがぐるんと決定的に変わる機会にならないかな、という思いを込めて冬至の日に『Zimní slunovrat 2020 (冬至2020)』という絵を描きました。こちらです。

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水彩画、23,5cm x 38,5cmです。

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いろいろと画材を変え、試行錯誤した10年ほどを振り返ってみましたが、やっと自分の本当に表現していきたいこと、というのを見つけた、というより思い出せた、と思っています。これからも、いろいろと考えも変わっていくとは思いますが。

ところでこの過去作品を振り返るシリーズ、2011年ごろから始まっていますが、その前は何をしていたかは、こちらに詰まっております。

https://vimeo.com/kaoruishida

よろしければご覧ください。

最後に2021年1月の『Co to znamená být originální, Mistře?(個性的になるってどういう意味ですか、師匠?)』という作品で締めくくりたいと思います。

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これからはポートフォリオサイトに載せる新しい作品を順次noteでもご紹介していけたら、と思っています。

これからもよろしくお願いします。

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