Midori kobayashi

心に残したいフレーズのコレクション       ときどきアートレビュー      …

Midori kobayashi

心に残したいフレーズのコレクション       ときどきアートレビュー             #ピアノ#音楽#芸術#バレエ#思想#哲学 静岡県藤枝市 ピアノ教室〈Stella music space〉linktr.ee/dreamy0874

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美しさの先に

“美しさ”や“踊りの型”を超えて、ある種のグロテスクさまで含んでいるような圧倒的なリアリティ。徹底的に“型”を持っているからこそ自由な領域に踏み込むことが出来る…

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若い舞台人に必要な自惚れと謙虚さ。自惚れも謙虚さもともに強くなければいけないということ。それが成立するには愛が必要なんだということ。愛情があらゆるものを繋いでいく。
ジルロマンのインタビューより

ベートーベン ピアノソナタ第32番 その2

小学生の頃にベートーベンの32番を初めてコンサートで聴いたとき、恥ずかしながら何がなんだかさっぱりわからなくて、永遠に続くかのように長く感じていた。32番の後にもう…

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ドゥダメルとシモンボリバルユースオーケストラーMambo!ー

Youtubeでラヴェルのボレロを様々な演者で聴き比べていた時のこと。この作品はベジャールのバレエとしても有名で、バレエ公演の場合にはダンサーの望むテンポが優先される…

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ベートーベン ピアノソナタno.32 op.111

本当は大家の演奏で堪能したい大作だが、中々コンサートへ行けない世の中になっているので、自分で弾いてみることにした。ベートーベン最後のピアノソナタ。まだ譜読みし始…

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“良い音楽教師とは”という問いについて、現時点で考えていること。『この先に何かがある』『自分のまだ知らない素晴らしい領域があるのかもしれない』と生徒に予感させることがとても重要。

どんなテクニックでも弾きこなせなければ楽々と弾きこなせなければヴィルトゥオーソとは言えないが、鍛練の結果を“いとも容易く弾ける”と表出するだけでは時に不十分。鍛練を重ねたアーティストが、聴衆の前で自己の限界に挑み、異なる領域に踏み込もうとするその姿に人々は感動する。

密接な人間関係を築くにはむしろ孤独を克服した自立が必要である。もたれ合わないこと。孤独を自分の力とするには精神的・神的世界のつながりが必要。土台を固めて自立するだけでなく、上から吊り上げる力を使う。
steiner book 『音楽による人間形成』より

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ピアノはニーチェにとって楽器以上のものだった。自分の価値、尺度、強度を明らかにする音の場であり、肉体と精神を通り抜けていく感情のベクトルであった。作曲家とピアノを通して対話し、音の思想は学者たちの思想より多くの霊感を彼にもたらした。
F.ヌーデルマン著『ピアノを弾く哲学者』より

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「ドビュッシーには主語がない」という言葉から着想を得て考えたこと。ベートーヴェンには“我々人類”という強烈な主語が、シューマンには“フロレスタンとオイゼビウス”という2つの主語が、ショパンには“ポーランド”という主語があり、バッハに至っては“the universe”の境地。

ーアシュケナージが述べたリヒテルの印象ー
彼が聴衆を引き付ける最も強い要素は、その時に自分のしていることが絶対に正しいと彼が確信していることだ。それは彼が自分の内なる世界を心の中に完全な形で創り出しているという事実からくるもので、彼となにかを議論してもほとんど無駄なのだ。

芸術に触れて何か神秘的なものを感じとるとき、それは表現する側にその力があるということもあるが、受けとる側に「聖なるもの」に対する敬虔な心があるとも言える。アーティストは自分自身を表現しながらも、見ている者のうちに隠されたものを引き出し、鏡のように映し出す。

芸術というものは深めれば深めるほど必要のないものが削ぎ落とされていく。一流のアーティストは舞台に立っているだけでその空間、時間を埋めることができる。結局のところ、どんなパフォーマンスをするのかよりも、どんな人であるのかが問われる。

美しさの先に

“美しさ”や“踊りの型”を超えて、ある種のグロテスクさまで含んでいるような圧倒的なリアリティ。徹底的に“型”を持っているからこそ自由な領域に踏み込むことが出来るのだろう。こんなにも没頭できる精神性、それを表出できる身体性にも脱帽。今1番見てみたいバレリーナのひとり。

若い舞台人に必要な自惚れと謙虚さ。自惚れも謙虚さもともに強くなければいけないということ。それが成立するには愛が必要なんだということ。愛情があらゆるものを繋いでいく。
ジルロマンのインタビューより

ベートーベン ピアノソナタ第32番 その2

小学生の頃にベートーベンの32番を初めてコンサートで聴いたとき、恥ずかしながら何がなんだかさっぱりわからなくて、永遠に続くかのように長く感じていた。32番の後にもう1曲あったが、32番が終わると耐えきれずに席をたった。母はあと1曲なんだし、退場するのも目立つと言って反対したが、もうどうしても我慢が出来なかった記憶がある。幼かった自分にこの作品は到底理解出来なかったのだ。こんなに理解出来ない曲がある

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ドゥダメルとシモンボリバルユースオーケストラーMambo!ー

ドゥダメルとシモンボリバルユースオーケストラーMambo!ー

Youtubeでラヴェルのボレロを様々な演者で聴き比べていた時のこと。この作品はベジャールのバレエとしても有名で、バレエ公演の場合にはダンサーの望むテンポが優先されるからなのか、演者によって選択されるテンポの違いが顕著であった。速めのテンポで推進力のある演奏に合わせたキレのある踊りも格好良いし、遅めのテンポをチョイスすることによって生じる独特の緊張感も良い。聴き比べ、見比べるポイントとして主にテン

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ベートーベン ピアノソナタno.32 op.111

本当は大家の演奏で堪能したい大作だが、中々コンサートへ行けない世の中になっているので、自分で弾いてみることにした。ベートーベン最後のピアノソナタ。まだ譜読みし始めたばかりでわからないことばかりだが、わからない状態から少しずつ何かを掴んでいく過程を書いてみることも面白いかもしれないとの思いで記してみよう。
このソナタは実演で何度も聴いているが、最も印象に残っているのが2014年のダニール・トリフォノ

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“良い音楽教師とは”という問いについて、現時点で考えていること。『この先に何かがある』『自分のまだ知らない素晴らしい領域があるのかもしれない』と生徒に予感させることがとても重要。

どんなテクニックでも弾きこなせなければ楽々と弾きこなせなければヴィルトゥオーソとは言えないが、鍛練の結果を“いとも容易く弾ける”と表出するだけでは時に不十分。鍛練を重ねたアーティストが、聴衆の前で自己の限界に挑み、異なる領域に踏み込もうとするその姿に人々は感動する。

密接な人間関係を築くにはむしろ孤独を克服した自立が必要である。もたれ合わないこと。孤独を自分の力とするには精神的・神的世界のつながりが必要。土台を固めて自立するだけでなく、上から吊り上げる力を使う。
steiner book 『音楽による人間形成』より

ピアノはニーチェにとって楽器以上のものだった。自分の価値、尺度、強度を明らかにする音の場であり、肉体と精神を通り抜けていく感情のベクトルであった。作曲家とピアノを通して対話し、音の思想は学者たちの思想より多くの霊感を彼にもたらした。
F.ヌーデルマン著『ピアノを弾く哲学者』より

「ドビュッシーには主語がない」という言葉から着想を得て考えたこと。ベートーヴェンには“我々人類”という強烈な主語が、シューマンには“フロレスタンとオイゼビウス”という2つの主語が、ショパンには“ポーランド”という主語があり、バッハに至っては“the universe”の境地。

ーアシュケナージが述べたリヒテルの印象ー
彼が聴衆を引き付ける最も強い要素は、その時に自分のしていることが絶対に正しいと彼が確信していることだ。それは彼が自分の内なる世界を心の中に完全な形で創り出しているという事実からくるもので、彼となにかを議論してもほとんど無駄なのだ。

芸術に触れて何か神秘的なものを感じとるとき、それは表現する側にその力があるということもあるが、受けとる側に「聖なるもの」に対する敬虔な心があるとも言える。アーティストは自分自身を表現しながらも、見ている者のうちに隠されたものを引き出し、鏡のように映し出す。

芸術というものは深めれば深めるほど必要のないものが削ぎ落とされていく。一流のアーティストは舞台に立っているだけでその空間、時間を埋めることができる。結局のところ、どんなパフォーマンスをするのかよりも、どんな人であるのかが問われる。