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マキァヴェッリの傭兵制批判を吟味する〜【マキァヴェッリを読む】Part5


マキァヴェッリの軍事論って実際のところどうなの?

徴兵市民軍って有効なの?

「傭兵に代えて、自国の者を武装させて軍を編成すべし」という民兵論は、マキァヴェッリの政治思想や政治生活を貫いている主張です。

では、マキァヴェッリの推奨する古代ローマに倣った徴兵市民軍が、もし実際に実現していたとしたら、強い軍隊ができたのか?
これについては、評価はほぼ固まっているようです。
役に立たない。話にならない夢物語だと。
おまけに、実際に存在した古代ローマの軍事制度に近いかどうかすら疑問であると。

実際に、ピサ攻略問題を機にフィレンツェはマキァヴェッリの肝入りで民兵部隊を編成しています。
しかし、結局これはスペイン軍によって潰走させられました。
その直後に書かれたマキァヴェッリの書簡も残っています。

スペイン兵どもは城壁の大部分を破壊すると、町を守っていた者たちに暴行を加え始めました。民兵たちは恐れおののき、ろくに抵抗もしないで全員が逃げ出しました。

「ある貴婦人宛」(書簡10)『マキァヴェッリ全集 第6巻』p.195

『戦争の技術』での記述ほか、マキァヴェッリは後にこの敗北について色々と言い訳のようなことをを書いています。

私が閲した経験に鑑み、以前の徴兵軍につき欠点を指摘せねばならぬとすれば、登録兵士数が僅少に過ぎたことと、彼らが十分武装されていなかったことの、二点を挙げ得るに留まります。

「徴兵制度再建に関する覚え書き」『マキァヴェッリ全集 第6巻』p.77

ただし、この民兵が(現実のさまざまな事情によって)マキァヴェッリの理想どおりの軍隊ではなかったことを割り引いても、
彼の市民軍構想は軍事的には有効ではなかったという評価が一般的なようです。

傭兵制批判って正しかったの?

では、民兵論と裏表の関係であった傭兵制批判の方は妥当だったのか。
フランスとスペインに圧倒された、当時のイタリアの軍事能力への評価は正しかったのか。
そもそも、マキァヴェッリの軍事についての見識はたしかであったのか。

それを知るためにとても役に立つと思われる邦語研究文献があります。
白幡俊輔[著]『軍事技術者のイタリア・ルネサンス』です。
軍事に比重を置いた『戦争の技術』から、他の政治性の高い著作に移る前に、
この本の記述にそって、マキァヴェッリの軍事論の妥当性を確認しておこうかと思います。

白幡俊輔『軍事技術者のイタリア・ルネサンス-築城・大砲・理想都市-』

本書の概要

『軍事技術者のイタリア・ルネサンス』の目次
序章:軍事技術とルネサンス期イタリアの社会
第1章:ルネサンス期イタリアの戦争・武器・傭兵
第2章:フランチェスコ・ディ・ジョルジョの城砦設計と「戦術」
第3章:ルネサンスの築城術における合理性追求と古典再解釈
第4章:都市防衛を超えて:16世紀の築城術
第5章:築城術と「国家の防衛」戦略
終章:軍事技術の変遷がもつ歴史的意味
資料篇

本書は、15〜16世紀のイタリアの築城術の展開についての研究書です。
大砲が次第に普及していくのに並行して、大砲に対抗すべき城砦や都市の築城術がさまざまな形で構想されました。
その模索は、日本人には函館の五稜郭で知られるような「稜堡式築城」ないし「イタリア式築城」という形で、最終的には結実することになります。
この過程が、純粋に軍事的な合理性=大砲への対抗という目的だけに拘束されていたわけではないことを、具体的な例を取り上げながら確認していくのが本書の記述の大半を占めています。(第2章〜第4章)

ちょうど、コペルニクスの地動説が、純粋な天体観測から導き出されたわけではないことを連想すれば、同じような話かとイメージできるかと思います。
コペルニクスの地動説も、「完全な運動は円運動である」という当時のテーゼや太陽崇拝など、自然科学としては非合理的な思考が背景には存在していたとされています。

マキァヴェッリとの関連

しかし、いま取り上げたいのは、この本のメインである築城術の展開ではありません。
メインディッシュを前後からはさむ第1章、第5章がマキァヴェッリとの関連で注目されます。

マキァヴェッリが直接検討されているのは、第5章です。
築城術が軍事=政治に属している以上、築城術をめぐる議論も、単なる技術論を超えて、政治的な含意を帯びてしまいます。
軍事技術者たちの実践や見解がもっていた政治性を検討するために、この章ではマキァヴェッリの大砲論や築城論が比較対象として持ち出されています。

また、当時のイタリアの軍隊事情を概観した第1章も勉強になります。
ここでは、傭兵制や軍備など当時のイタリアの軍隊について、学界での一般的な定説が整理されて紹介されています。
マキァヴェッリが述べていた傭兵の描写が妥当だったかどうか、という関心から読みました。

マキァヴェッリ「フィレンツェ築城検視報告書」

そして、資料篇には、マキァヴェッリが晩年に作成した行政文書「フィレンツェ築城検視報告書」の全訳が含まれています。
邦語版『マキァヴェッリ全集』では、「政治論とは思えない」(全集第6巻解説)という理由で翻訳対象から除外されてしまった文書です。

しかし、この本(特に第5章)で築城術が当時もっていた政治性について述べていることを思えば、
このマキァヴェッリの報告書が邦訳から除外されたのは不適切だったというわけです。
(とはいえ、このマキァヴェッリの文書を解説抜きで読んだところで、その政治的な含意など見出すのはほぼ無理だよなぁ…)

中世ヨーロッパの歩兵と騎兵

また、前回(part 4)でも参照させていただいた旗代屋さんのnoteに、とても勉強になる専門的な記述があります。
中世ヨーロッパにおける戦闘形態、騎兵、歩兵、城砦についてとても詳しく説明されている記事です。
関心のある方はぜひ一読を。

マキァヴェッリの傭兵制批判を評価する

マキァヴェッリの傭兵制批判

マキァヴェッリの各著作に散見される傭兵制(=軍事を生業とすること)批判。
批判の内容をさしあたり以下のように整理してみました。

1。傭兵隊長は手持ちの戦力が減ることを忌避して、野戦で勝敗を決しようとせず、戦闘に消極的である。
2。騎兵を主力とし続けたイタリアの傭兵は、軍事的に時代遅れだった。
3。これらの理由から、イタリア傭兵は軍隊として弱かった。
4。傭兵制が一般化したからイタリアは軍事的に弱体化した。

前掲書第1章、イタリア軍事事情の概観を参照しながら、これらの主張が妥当だったのかどうか、見ていきたいと思います。

マキァヴェッリへの反論その1:傭兵は野戦に消極的だったのか

手持ちの戦力がいたずらに消耗してしまうことを、傭兵隊長が避けたがっていたことは事実である。
「決定的な損害を受けそうな戦いを避け、兵士の食料や軍馬の飼料の獲得が容易な夏から秋にのみ戦闘をする」という典型的な戦争のやり方が認められる。
しかし、ここには一定の軍事的な合理性が認められる。
そもそも、傭兵にかぎらず当時の戦争行為のほとんどは、都市や城砦をめぐる争奪戦であり、野戦ではなく包囲戦がメインであった。

判定:
雌雄を決すべく野戦に訴えないというマキァヴェッリの非難は、傭兵隊長に向けるのは筋違いであったのではなかろうか。

反論その2:騎兵中心のイタリア傭兵は時代遅れだったか

当時の他国の軍隊とイタリアの傭兵軍との間で、騎兵の比重に大差は認められない。
そもそも、騎兵は当時でも最有力な兵科であり続けていた。
会戦での重騎兵の突破力、包囲戦での兵糧攻めに必要な機動力など、他の兵科では代替できない役割を担っていたからだ。
たしかに、14世紀になって歩兵が重騎兵の突撃を撃退する事例が増えた。
しかし、これはあくまで有利な地歩を占めたうえで防御に徹した場合に限られており、実際に敵を潰走させるには騎兵が必要だった。

判定:
マキァヴェッリの騎兵軽視は、マキァヴェッリの軍事的な見識を疑わせる。
少なくとも、彼の騎兵軽視の主張は、軍事的な合理性より彼の思想の方に由来すること大のように思われる。

反論その3:イタリアが凋落したのは傭兵制のせいであったか

マキァヴェッリが生きた時代のイタリアは、フランスやスペインの軍事介入をはねのけることができなかった。
しかし、マキァヴェッリが挙げたこの敗北の理由、上記2つの傭兵制非難の内容は事実として認められない。
そもそもフランスやスペインの常備軍も傭兵に依存していた。

判定:
イタリア従属化の理由は、少なくとも傭兵制以外のことを加えて考慮する必要がある。

反論その4:傭兵制を導入したことは間違いだったか

傭兵制が導入された13世紀以降の時代は、軍事のプロフェッショナル化が必要な状況が次々と発生していた。
馬具の改良、鎧の重装化、火器の導入といった武器の発達、騎馬や弩を用いた戦術に必要な統率の高度化などである。
この専門化に傭兵制は応えるものであった。
そして、他国の軍隊に劣らず、イタリア傭兵もこの専門化に対応していた。

つけ加えるならば、13世紀以降のイタリアの政治情勢も傭兵の導入を後押ししていた。
都市国家内の政治対立、党派抗争から中立的な「都市の軍隊」として、都市外部の存在=傭兵が必要とされたのである。

判定:
マキァヴェッリの傭兵制批判は、軍事ノウハウの高度化を無視ないし軽視したものである。

結論:マキァヴェッリの傭兵制批判は的外れだったのではないか

軍事的な次元で考えると、マキァヴェッリの傭兵制批判は的外れでしかないように思えてきます。
もし批判が妥当となりうるならば、代替案として示した徴兵民兵が傭兵以上の軍事的パフォーマンスを発揮できる場合だけではないでしょうか。
(そして、少なくともマキァヴェッリの時代この条件はクリアできなかった)

傭兵制からマキァヴェッリへの課題

これまでの検討を思うと、むしろ逆に傭兵制の側からマキァヴェッリに問いを突きつけているようにも思えてきます。
特定の党派が民兵を利用して、僭主となり都市を牛耳ることをどう回避するのか?
また、民兵自体が一個の勢力主体となり都市を支配することをどう避けるか?

マキァヴェッリはこの問題に対して自覚的です。
これら民兵制への疑問を、マキァヴェッリは自ら『戦争の技術』でも取り上げています。

たしかに、「傭兵の僭主化まで警戒するよりはマシ、民兵の公共精神という防波堤、隊長職の選出への配慮」などが『戦争の技術』では回答として挙げられていました。
これらの対策、どことなく小手先というか、問題に正面から取り組もうという姿勢を感じないのは私だけでしょうか。
それとも、こういう危険性は解消不可能なものであるという見方をマキァヴェッリはしていたのでしょうか。
党派対立や僭主化についてマキァヴェッリが言及するとき、意識しておきたい問題のように思われました。



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