水玉螢之丞と茨木のり子と岡本太郎を偲びつつ、想定以上に再生数が伸びてるplaylistの謎
すごい人々
ずいぶん昔に作って、その後ほとんど使ってなかったtwitterアカウントを、最近このnoteの連携用に復活させました。で、朝の通勤時に、何気にアレコレ検索していたら、ずいぶんと古いツイートを見つけ、その内容の懐かしさに、思わずリツイートして、少し物思いに耽ってしまいました…
画像は、自称「いさましいちびのイラストレーター」こと
漫画家兼エッセイニストの水玉螢之丞の書いた、岩波ジュニア新書から出版されていた、今は絶版の『ナウなヤング』の冒頭エッセイ『すごい人々』です。
これ、私も昔、すごいツボで、今ならイイネ!するような感覚で、周りにオススメしまくっていました。
画像を見たら、すごい懐かしくて、
やはり似たようなこと思ってた人はいたんだ、とか今は亡き水玉螢之丞を偲んで、心の中でニンマリとして…
個人的に、このエッセイが秀逸なのは、結びのコマにある、10代から20代にかけてという部分だと感じています。
「すごい人」でいられるのは、実はとても短い間なんですよ、とかいう部分が、歳を重ねれば重ねるほど、思わず窓の外を見上げて溜息つくような感覚で、肯いちゃうんですよね。
そんな事考えながら、ふいに思い出したのです。
昨年の1月頃に、茨木のり子の「自分の感受性くらい」を読み返したくなり、この詩を茨木のり子は何歳くらいの時に書いたのだろうか、とかネットで調べたことを…
48歳の時に書かれた詩だと知り、
さらに、これは自戒の意味で書かれた詩なのか、それとも高い志から書かれた詩なのか、どちらなんだろうか?
とか考え…
結果、自分を鼓舞する為に自戒の意味も込めて書かれた詩じゃないか?
とか勝手に結論づけ、記憶の中に埋もれさせていたことを…
自分の感受性くらい
すごく有名な詩ですよね。
ファンも多くいると思うし…
たぶん、何か自分の中で、水玉螢之丞の「すごい人々」と茨木のり子の「自分の感受性くらい」で重なる部分が有って、通勤中、ふいに思い出したのだと思います。
昨年の事に少し飛びますが、今考えると、茨木のり子のことをアレコレ調べた後くらいから、突然、AWAでの playlist作成熱が高まったような気がしています。
なぜ、意味不明に昨年1月くらいから playlistの作成に目覚めたのかと思えば、そういう事なんだな、とか、1年越しに思い至りました。
ははは…😚
急がなくては
「自分の感受性くらい」の詩が入った本を私が購入したのは、今から20年くらい前です。その当時、茨木のり子は高齢だけど、まだ存命だったと思います。その頃の私はそこまで意識してなく、当時興味を持って購入した沢山の本の中に偶々詩集が1冊有った程度の感覚だったと思います。
その後すぐに茨木のり子は亡くなり、自分の死後なら公開しても良いと、残された詩を集めた詩集が出たのが、その翌年らしく、当然、私は、茨木のり子が亡くなった事も、遺作となる詩集が一周忌に合わせ刊行された事も知りませんでした。
昨年、「自分の感受性くらい」について深掘りしたくなり、ネットでアレコレ調べたわけですが…
私が20年前に「自分の感受性くらい」の入った本を買って読んでいたのは、茨木のり子が25年連れ添った夫を亡くし、その後の30年間を独りで真摯に生きていた晩年の頃でした。
その30年間は、下のような詩を書き残しながら、いつ死んでも良い、みたいな死生観の中、過去を振り返っていた訳です。
最後まで一人で暮らすことにこだわり、誰に看取られることなく、誰に知られることもなく、突然亡くなっていて…
1年前に、そういう事を知り、
なにか、胸がギュッと締め付けられるような感覚を持った事を思い出しました。
また、歳をとるという事は、周りの人との関係性も含め、良くも悪くも、人を変えていくし、そのままかたくなり、そして閉じていくのかな…
とか深く、しみじみと感じた事も、思い出しました。
太陽の塔
以前より『太陽の塔』という映画に興味が有ったのですが、今はなんでもネットで完結してしまいますね。
普通にアマプラの定額特典に入っていて、簡単に観ることが出来ます。
あるあるですが、いつでも観れると思うと、いつまでも観ないまま終わってしまうのは、よくある事で。コンテンツが溢れている日常というのは、何かそのキッカケとなるセレンディピティのような素敵な出会いが必要というか、皆どこかでそれを欲しているのかもしれません。
今回、観ようと思ったダメ押しは、
この記事を書いた事と、下のnoteの記事を読んだ事の合わせ技です。
なかなか、歳取っていくと、すごい人々から遠のいて行きますね。
とほほ…😑
岡本太郎という人は、
年齢関係なく死ぬまで「すごい人々」であり続けた人で、誰よりも「自分の感受性」にこだわった、感性の豊かな人だったと想像します。
2018年に公開された、この映画は、
太陽の塔の48年ぶりの内部展示のリノベーションに合わせて企画されたドキュメンタリー映画で、岡本太郎の思想や生き方、それをインタビュー形式で、色々な関係者や識者の視点から浮かび上がらせ、過去よりも、今の時代やこれからを、考えさせようとした内容になっています。
映画を観た後に感じた岡本太郎のイメージは、
視聴以前に私が考えていたよりもさらに、
ヘンな人で、すごい人で、分からない人で…
間違いなく理解したいと考えても、その本質を理解することができないだろう、圧倒される人に変わりました。
この映画は、
岡本太郎の万博との経緯とかその葛藤よりも、岡本太郎が「太陽の塔」で何を目指していたのか、何を作ろうとしていたのか、それに辿り着いた背景や、その後の「太陽の塔」のもつ未来への示唆など、それらに時間を割いた作りとなっています。
あと、「太陽の塔」は、内側にすごい展示物があるのですね。
映画観るまで、知りませんでした。
それをすごく見てみたくなる、そういう映画でもありました。
色々と興味を惹かれる事が増えました。
最近作ったプレイリスト
話は、変わるのですが…
少し前にAWAで作ったplaylistが、日に200くらい再生されていて、ここ数日で1200再生を超えました。
AWAで、playlistを公開したことのある方なら分かると思いますが、これかなり珍しいと思います。playlistを頻繁に作るようになって1年を少し越えた程度で、珍しいとか言い切るのも生意気ですけど、ほんと、個人のplaylistって、あまり聴かれていません。
たぶんSpotifyでも個人のは、そうじゃないかな?
Spotifyとか見てると、あえてplaylistの再生数は表示されない仕様なのか、イイネの数のみ分かります。良くも悪くも再生数がフォロワー数やイイネの数に左右されているので無駄を省いているのでしょうけど。たぶん?🤐
AWAでのplaylist公開だと、私個人の例ですが…
だいたい数ヶ月で500再生も行けば、そこそこ聞かれたな、とかいう感じです。行かない時は、半年経っても200台。行く時は、ひと月で1000〜2000位。最終で2000再生超えることは、めったにありません。
私自身そうですが、「フォローされる」と「playlistにイイネがつく」と、「試しに1回、聞かれてみた」と「繰り返しplaylistを聴かれている」、この4つは全て別モノだと考えています。
今回のplaylistは、自分で言うのもartistに失礼ながら、比較的地味な曲ばかりで、そんなキャッチーな曲も入れてないし、正直、再生数が伸びている理由が良く分からないのです。
下でAWAのplaylistを紹介してみますが、ついでに、テストも兼ね、同じ曲で、youtube musicのplaylistも作りましたので、並べてみます。
こちらは一応、フル試聴できますが、youtube musicは契約してないと、曲により視聴できないものも出ますので、御了承下さい。
Spotifyの公式playlistとかに比べると、ささやかな数字ではあるのですが、たぶんこの動きは、どう考えても複数人が複数回再生しないと起きない数字で、同じ人が毎日聴いているのか、それとも次々と新しい人が聴いているのか…
一つのplaylistに8曲しか設定できないAWAだと、普段ビックリするくらい再生数が伸びないので、今回みたいに想定外に再生数が伸びると、何が起きたのか、それが知りたくて、とても気になっています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?