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知らない感情を教えて。

〝思い込みの怖さ〟は手を変え品を変え、世の中の教訓的な物の中に幾らでも溢れている。

ちょっと角度は違うけど〝人前で咳をするときは手で押さえましょう〟とか〝電車内で大声で通話するのは周りの人に迷惑です〟とか、考えるまでもないようなことが守られないことはいくらだってあって。

雨の日の朝、降車駅の階段を昇っている時、傘を後ろに振って昇っていく人が必ずいる。日常の中で〝危ない思いをした〟と色々な人が言っているのを聞く割に、未だに守られる気配すらない。

無自覚ゆえの関心のなさ。

感情もきっとそうで、自覚しないと正しく捉えること受け取ることが難しい。(…時がある)


〝人の話はちゃんと聞きなさい〟小さい頃によく言われていそうなこの言葉は正しい。人間関係が思わぬ方へ拗れてしまう要因の一つは、圧倒的な会話不足なんじゃないかと最近思う。コミュニケーション不足、の方が近いのかもしれない。

コミュニケーションの中でどれだけ自分を伝えられるか、相手が伝えたいことを受け取れるか、そしてその正しいキャッチボールをお互いにする気があるのかにかかっていて。多くの場合、どちらかにキャッチボールをする気が無いことでうまくコミュニケーションが取れなかったりする。

でもそれは普通に生きていたら仕方がないよいね。だってみんながみんな自分を見せたいわけじゃないし、仲良くしたい理解したいと思っているばっかりではない。でも、だからこそ。だからこそ、大切な人にくらいはそれを惜しんではいけないのだと、最近思うようになった。

家族、友達、恋人、パートナー、大切にしたい関係はそれぞれ違うけど、自分の人生において失くしたくない人がいるなら惜しむべきじゃないなって。


言葉にしないと分からない。言葉にしたって分からないこと、分かってもらえない事もいくらだってある。みんな自分だけに通じる言葉を使いがちだし、思い込みから受け取り間違えたりする。人間が分かり合うって本当に大変。何度も間違えて、絡まった糸をほどく作業に追われているような気になる時もある。

それでも丁寧に向き合いたい。丁寧に向き合ってくれる人を、悲しませないように。心も頭も柔らかい方がいい。その方が自分も相手もきっと心地いい。変に理解するぞ!と意気込むのではなくて〝そんな考え方もあったんだ〟と、花の形や色を楽しむように、それを愛でる楽しさが加わった人生は、きっと美しいだろうな。


向き合うことを怖がって、自分にしか通じない言葉で話してばかりだった私は、今日も大切な人たちから新しい感情を知る。人が関わりあったり愛し合ったりするのは、知らないことを知るためなのかもしれない。

ひとりでは知ることのできない、大切な何かを。





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