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恋愛音楽

季節感の乏しい夏。

朝、マスクをして駅までの短い時間空を見上げる。
ワイヤレスイヤフォンを耳に押し込んで、8月の私は今日も音楽と一緒だ。
外側だけが非常に夏っぽい。ように見える。
子供の頃の原風景のような、真っ白い入道雲と高発色の青い空。

相も変わらず、大人になった今でも音楽に恋をしている。音の為に生まれてくる、言葉の感触も同様に。心の内側を見つめ続けるような、それを季節や幻想に投影するような、そんな音楽が好きだった。長い時間、心を守ってくれたのは、そういう音楽だ。

人を好きになると、聴く音楽が変わる。それはとても本能的で、自分ですらすぐにはその変化に気づけない。〝音楽に恋している〟のと〝恋してるときの音楽〟は全く異なる別物。


恋愛に向かない自分が、また誰かを好きになった。得体のしれない生温かい感情。〝頭で考えている内は人を好きになれない。恋はするものじゃなくて、落ちるものだよ〟何年か前に20歳年上の笑顔が美しい人に、繰り返しそう言われた。でもその度にこう返す。〝恋に落ちるということは、私にとって奈落に落とされることに近いように感じる。心が不安にさらされるだけなら、一人の方がずっと健全です〟と。

字面でみるとかなり偏屈な拗らせ回答だけど、本当にずっとそう思っていた。そう思うだけの理由が沢山あったし、人を信じること、傷つけあいながらも関係を築いていくことに心底疲れていたのだと思う。でもその度、私がそう言うと何度でも、美しい人は言ってくれた。

〝本当の意味で大事にする恋を、大事にされる恋をあなたはまだ知らないだけ。そういう人にまだ出会っていないだけのことだよ。そういう人に出会ったら、あなたの感覚にきっと触れるはず。自分でちゃんと気が付くはずよ〟


最近よく聴く音楽。星野源さんの「不思議」https://youtu.be/ilnLczvLGAY

MVの美しさとサビのメロディの心地よさに心を奪われていたけど、最近になって歌詞の普遍的なテーマや儚さが心をずっと掴んでいる。

恋をして、人を好きになる。そこに望むのはドキドキ感や何か特別大それたことではなくて、日々の中にある安らぎや生活や、生きることへの丁寧さみたいなものだ。他人同士が同じ時間を共有して、生きていく。その途方もない神秘と幸福感と正しい孤独を、この音楽から感じ取っているみたい。

作り手の生き方や人柄が音や言葉に乗って、こうして誰かの元に届くのだと思うと、どうやっても丁寧に、偽ることなく丁寧に生きていかなくちゃって思ってしまう。水が流れていくみたいに、滞りなく、淀みなく。

日常こそがロマンチック。そんな音楽と言葉で、恋を理解しているみたいだ。


人間だから仕方がない。けど、俗っぽいことに振り回されたくない。嫌いだなと感じる物や人が増えるたび、好きな人まで遠ざけたくなってしまう。憎しみや嫌悪は全然美しくない。それを大切な人に向けてしまうのが恐ろしくて、全部を遠ざけそうになる。

そしてやっぱり人間だから仕方がないけど、傷つきたくないとどこかで思ってしまう。個人的には傷つく覚悟、傷つける覚悟が持てないなら人を好きになるべきではないと思っているから、好きになってしまった以上覚悟を持つ以外、選択肢はないんだよなあ。

頭が固い。考えすぎかな?


普段はあまり聴かない愛や恋を紡ぐ音楽。自分の気持ちが絡まった時、誰かがそれを歌っている。世の中に五万とある愛の歌のなかで、自分に必要な音と言葉に気が付くと出会っている。本能的な所作。

音楽が助けてくれる。自分の代わりに哀しみの理由をみつけてくれたり、本音を教えてくれたりする。

ただの代償行為かもしれない。それでも私にはそういう感覚的なものが必要なんだと思う。うまく言葉に変えられない内側を、持て余して拗れてしまわないように。


そして最後に、多分真理だと思っていること。

本当に大切だと思う人なら、幸せにできるのは私じゃなくてもいい。

その人がその時々で嬉しかったり幸福だと思う瞬間がたくさん訪れるのなら、それは私じゃなくてもいい。

中々そう思えないかもしれない。それでも、相手にとって何が最善であるか、そのことだけを見つめることが出来るなら。

あまりにも無理したり、自己犠牲であってはいけないけれど。

相手にとって、自分が枷になることが無いように。正しい軽やかさを身に着けられたらいいのにな。そんなことを最近よく思う


〝好き〟を持った日々を ありのままで 文字にできるなら 気が済むのにな


とても素敵な歌詞。





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