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“大人な子供”の話

6月に投稿するべき話だったかもしれない。
これは1994年、今から遡ること26年前の6月に起きた話だからだ。

誰かにとっては、いまや昔話
誰かにとっては、もはや歴史に近いのかもしれない。

“文字とイメージの中にしか存在しない”
そういう意味では、これも歴史も条件は同じだ。
“史実ではなく事実だ”という点を除いて。
自分は文字だけでどれだけ無垢な世界へ連れて行けるだろうか。


この年は
・関西国際空港開港
・初代プレイステーション発売

などの出来事が起きた年。
もうずいぶんと前の話になってしまった。
10才だった彼にも、人知れずその後の人生を大きく左右する事件が起きる。

6月の雨の日、彼の心は突如、人生で初めて囚われる事になる。
「なにいまの歌!?
「何度も聞きたい。もっと聞きたい!」

それを耳にしたのは、数秒程度。TVのCMだった。

彼はまだ、“辛抱”“録画”“検索”も知らない。
グーグルもYouTubeも、当然まだなかった。

母の元に駆け寄り「今から買いに連れて行ってくれ」と駄々をこねた。
母は恐らく驚いただろう。
だってあんなに必死な息子を見たのは初めてだったはずだから。

余りにも真剣に懇願する彼の熱意に負けたんだろう。
母は数分後、ハンドルを握る事になる。

なにせ彼自身はじめての事だ。
何の準備も、何の心得もないまま「ほら自分で聞きな」という母に促され、カウンターに座るおじさんにこう言ったと思う。

「あの、CMのCDが欲しいんです。」
おじさんは尋ね返す。
「どんなCMで、誰が歌っているか分かるかい?」
え?そうか!そりゃそうだ。わかるはずない。

そんな事にすら初めて気が付いた彼は、慌てて記憶を引っ張り出す。
「ジュースのCMで、男の人のうた!かっこいい感じ!」
以上3点が全ての情報だった。

おじさんは困っただろうな。
先ほども書いたがグーグルなどまだない時代だ。
ソワソワする私は、探してくれている時間がとても長かったと記憶していたが、今思うと本当に長かったんだろう。

しかしそこは流石プロだ。
おじさんはズイっと縦長のCDを差し出す。
「きっとこれだと思うんだけどねぇ」
それはもう、例えようのないほどキラキラと輝いていた。
“ あなたが歌っていたんですねー!会えて本っ当に嬉しい! ”
こんな気持ちだったと思う。

彼はあのあと、しっかりおじさんにお礼を言えたんだろうか。
“1秒でも早く家に帰って聞きたい!”
そこからはもう、この思いに支配されていた記憶しかない。

道中は覚えていないが、この頃はまだ車でCDなど聞けなかった。
車中の私はきっと、母には心からの感謝を繰り返していたと思う。
家に着いた彼は、急いだ所で何が変わるというのか、漫画のように靴を脱ぎ捨て、車の中ですでに剥いてしまったフィルムらと共に、プレイヤーのある部屋に駆け込む。

ドキドキしていた。
なにせ彼にとっての初体験だ。
再生ボタンの“▶”を押した瞬間は、今も鮮明に覚えている。

スピーカーから流れ出したそれは、一瞬にして彼に驚きを与えた。
無理もない。
彼はCMで流れる一節しか知らないのだから。
意外性の塊のイントロだったように思うが、気持ちはもう既に違う箇所にあった。

“はやく!はやくあのメロディを聞かせて!!”
彼は小学生だ。そんなもんだろう。
イントロもAメロも関係ない。
彼はただ、あのCMのあの一節だけを求めていた。

そして数分後。
そこには、窓に映る哀れなおとこがいた。

“ これじゃない ”

感情は理性を追い越し、彼の目からは大粒の涙が溢れ止まらなかった。

“あのオッサンめ” 初めて誰かを憎いと思った。
“あのCMめ” 説明が足りないCMに、初めて逆恨みした。

怒りと、悲しみと、やるせなさの混じったあの涙は、一体どれだけ流れたのだろう。

そしてその涙が枯れた頃、彼はさっきの店に再び立っていた。

もう同じ過ちは繰り返さなかった。

いつ流れるかも知れないCMを、涙で視界をにじませながら、ひたすらに待った。
待ち続ける彼を、いつしかそのCMは祝福したが、もう慌てはしなかった。
逸る心を落ち着け、しっかりとその情報を紙に控える。
万が一に備え、そのフレーズをひたすらに口ずさみ、焼き付けた。

そして次に家に戻った彼は、もうさっきまでの彼ではなくなっていた。
さっきまでと同じなのは、既にフィルムを剥いていたことくらいだ。

サビくらい、もう歌詞を見なくたって歌えるくらいだった。

「 いつの日も この胸に 流れてる メロディ
       軽やかに 緩やかに 心を伝うよ 」

........


本当はここで終わりたい気持ちにも駆られたが、いくつか補足が必要だろう。

おじさんが見つけてくれたのは「瞳そらさないで / DEEN」
彼が求めていたのは「 innocent world / Mr.Children」だった。

奇しくもこの2曲は、同時期に「清涼飲料水のCM」で使われていた。

「瞳そらさないで」 ポカリスエットのCM
「innocent world」 アクエリアスのCM

日本広しといえども、これを覚えているのは私くらいのはずだ。
最初に述べたように、これは史実ではなく事実だ。

皆さんにも心当たりがあるかもしれないが、
“大きな障害を乗り越えた愛”は何よりも強い。

誰が何と言おうと、あれは10才の私にとって〝大きな障害〟だった。
CD1枚の値段は計りしれなく高く、CD屋さんは果てしなく遠い場所だった。
間違えてからはもっとだ。母にもおじさんにも、よく言ったもんだと思う。

“あの出来事がなかったら”と思うと、いろんな意味で恐ろしくなる。

この場を借りて、DEENさんには感謝を述べさせていただく。
「紛らわしくて、本当にありがとう」

そしてもう一人。
「間違えてくれて、本当にありがとう」
何も悪くない、頑張ってくれたおじさんのことを、一時だったとはいえ恨んでしまったが、今はとても感謝している。

書き出した段階では
“ 今も大人な子供でいてくれるMr.Childrenに捧げる ”
的に締めるのがオツかなと思っていたが、気が変わった。

やっぱり、あの時のワガママに2度も付き合ってくれた母に捧げる

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