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買い物という本能

買った商品を使う楽しみよりも、商品を買った瞬間の楽しみの方が大きかったという経験をしたことは、おそらく誰にでもあるだろう。商品を買う瞬間の楽しみを求めるあまり、家が無駄なものでいっぱいという人も多いのではないだろうか。こうしたことが起こる原因として、人間には物を手に入れることそれ自体に対する強い欲求がある、ということが考えられる。また人間には、実際に物事が起こっている最中より、その物事が起こることを期待している最中に強く興奮するという性質がある。この性質により、商品を手にした自分を想像しているときに強く興奮してしまい、その商品が必要かどうかの判断が上手くできなくなり、興奮が覚めた後で考えると明らかに無駄である物を買ってしまうのだ。

こうした人間の行動は、原始的な採集本能の現れではないだろうか。例えば、もしこれが石器時代の採集の場面だったら、物を獲得する際にそれらが必要かどうかをいちいち精査するより、可能な限り拾って帰ったほうが方がほとんどの場合において適応的だと思う。いつまた手に入るか分からないので、有るときに全部手に入れておく方が合理的というわけだ。そして、人間は石器時代からほとんど進化していないので、金銭を支払うという行動が労力であることを本能的には理解していないと思う。つまり、人間の本能にとって商店というのは、ノーコストでいくらでも物が拾える天国だということだ。

商品という獲物を探して、自分の物にして持ち帰る。そういう意味でショッピングは、ジェネリック採集、あるいはファスト採集と言えるだろう。人間(自分を含む)は本当に愚かだ。最後に、僕が手に入れた無駄な物と、なぜ無駄になってしまったのかの理由を書いて、この記事を締めくくろうと思う。

・midi鍵盤(そもそも鍵盤が弾けないから)
・可愛くて暖かいポンチョ(重すぎて着ると肩が凝るから)
・サイケデリックな模様の上着(着合わせる服がないから)
・そこのみにて光輝く(小説)(何となく文体が合わなくて読めなかったから)
・海で拾ったかっこいい流木(飾るのにはでかすぎて置き場がないから。こいつのせいで部屋が砂だらけになっている)
・スマホ用のキーボード(パソコンで文字入力した方が圧倒的に速いから)
・イヤリング(なんか装着感がムズムズして嫌だから)

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