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隣の芝生は青く見える

イラスト:ムツナナツ

ワークショップでアイスブレイクとして毎回の定番として使っているのが「最近あったちょっと嬉しかったことをシェアしてもらう」というもの。

これの何がいいかと言うと、誰も傷つかないし、嬉しかったことを思い出すと嬉しいものだから。

また、他の人の嬉しかったことを聞くと
「あっ、それだったら自分も似たようなことがあったな」
「こういうことで嬉しがる人がいるんだ。そうか、嬉しがっていいことだったんだ」といった気づきが生まれたりする。

そこがいい。

ちなみにすでに書いたかもしれないけれど、最近あったちょっと嬉しかったことは、先日clubhouseで毎週開いている倶楽部サピオセクシャル部屋で参加者さんから「つよぽんは凹むけど、落ち込まないよね」と言われたこと。

悩むより行動をしよう、と考えるところはあると思う。
また、落ち込むよりも自分の出来ることをしたほうが有意義、と考えるところもある。

落ち込まないということは「打たれ強い」ということにも通じるかな。 自分のことをそれほど打たれ強いとは思わないけれど、もしそういう傾向があるなら嬉しい。 ただ、そんな自分も嫉妬心という奴(擬人化しています)がいつも僕の心のなかに居座っている。
なかなかいなくならない。

なんならいつだって居る。 堂々と、ふんぞり返って周囲の知り合いの同行に目を光らせている。 人と自分を比べすぎると落ち込む。 隣の芝生は青く見えるとよく言う。 比較すること自体は悪いことではないけれど、比較しすぎている時には別のことを考えたり、その思考から離れるようにしたい。

自分もみんなと同じかそれ以上に頑張っています。 周りから見れば自分の芝生だって青く見えているかもしれません。

そうだ。 今日からしばらく、会う人、話す人に「僕の芝生で青く見えるところってどこかある?」って質問してみようかしら。 嫉妬深い自分への処方せんのひとつが「僕の芝生、青いところありますか?」と質問してみることでした。
(2022年12月7日に書いた記事です)
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イラスト:ムツナナツ

他者と比較して、自分を客観視する事は必要だと思う。それで羨ましく感じちゃったりするのは、自分に自信がないからなんだろうな。思い込みが強くて、実績もないのに「できる・すごい」と過大評価したとしても“周りはちゃんと見てる”から。自己評価との釣り合いが出来てなかったら、自然と自分の周りから人が居なくなるよ。結局、やれることに邁進するしかないと思う。


*この記事は、約2ヶ月前につよぽんが書いた文章をひろっちが編集して投稿しています。
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