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『ゼロ-アルファ――<出来事>のために』第一部断片19

【あらかじめ消された記憶の断層で、コントロール不可能なものが《我々》の歴史へと触発/切断の矢を放つ】

『〈私〉に亀裂をうがち、〈私〉を引き裂きながら、あるものが語り始めるようになってから、すでに一つの光景が通過した。もはや言うまでもないことだが、このランダムな微細波の領域には、どんなアクセス・コードも存在しない。はるか彼方に立ち去ったかに見えた地層が不可解な揺り戻しの徴候を示し始める度に、〈私〉は記憶の断層へと不意に送り込まれるのだ。その都度〈私〉に慎重に用意された地層と、予測不可能なスタイルでやって来る断層との狭間で繰り広げられる光景が、あらゆるコントロールを超えてついにその姿を現し始めた。来るべき次の光景に間違いなく立ち向かうために、〈私〉はいよいよアンチ・ファイリング・ノートを《変換跡地界隈》で唯一の準-生体政治工学実験用回路生産工場=『秘められたミロの親回路』(そこはあのH/Mの分身=Xが一つの光景にたった一度だけ奇跡/軌跡的に単純遊牧多様体となって駆け抜けていく破断層溶融領域だ)から瞬時に切断/解除して、〈私〉の簡易切り張り細工セット[『ローズ・セ・ラ・ヴィ氏プロキシマ暦ゼロ年寄贈』]と連結させた。鋭い衝撃音が走り、〈私〉はいったん姿を消す。

 気がつくと、〈私〉はなぜかあのなつかしい母園、『運命の神殿幼稚園』の中庭に立っていた。すでにレッスンが始まっている。〈私〉はいよいよこれから(実を言うと入園式はあとちょうど1マイクロ・セカンド後なのだが)超-高速度体験レッスンに突入するのだ。
 
【レッスン:映像切り張り細工-1】
◆以下は、映像と連結された、引き出しの付いたミロの親回路の声である。
『かつてのカンヴァスは引き裂かれ、新たなカンヴァスが探し求められた。

〈私〉=《我々》[=ゼロ]の誕生。

 黄昏の迫る街路を、〈私〉の可愛い園児たちが足早に駆ける。そしてどこかへ去っていく。
  誰もいない街路。それは斜めに折れ曲がり、あらかじめ消された記憶の断層へと徐々に移行していく。彼らはどこへ行ったのか? もはや、そこにはいない。
 〈私〉=《我々》はこれまでたどってきた軌跡にようやく遭遇する。そこは、最も内に秘められた記憶の空間であり、あらかじめ消された始まりと終わりが絶えず用意されていたようだった。扉を開く。そして閉める。目を閉じる。その時は来た。誰もが深い眠りに落ちていった。新たな戦いへと際限もなく流れ込んでいくために。いまだかつて誰一人見たこともなかった戦い、超-大量殺戮、支配、そして隷属の光景を、二度と忘れることのできない未来の記憶としてあの砂漠に刻み込むために---』

レッスンのレジュメ:園児の一人『お正〈K〉』による自由創作

『コギト エルゴ スム(我思う故に我あり)。……〈神〉は〈存在〉する。……故に、〈私〉=《我々》は〈存在〉する。……故に、〈私〉=《我々》は〈正しい〉。
[……〈これ〉で、〈善い〉。](ここで、超-大量殺戮の扉が静かに開く。)

 だが、〈私〉=《我々》とは誰なのか? ――もしそれが、なお沈黙と暗闇に閉ざされているのだとすれば? ……なぜなら、あたかもこの瞬間に不意に誕生したかの様に、そして同時に、かつての秘められた闘争/逃走のさなかから、まだかいま見ることさえできない〈意志〉の営みがそれをやっと産み出したかの様に、一つの避け難い問いかけがここまで聞こえてくる。

――― 一体、〈誰〉が侵略し、殺戮し、支配したのか?
――― 確かに〈私〉=《我々》は侵略し、殺戮し、支配した。だが、その〈私〉=《我々》は、どこにもいなかったのだ。
 ――― 一体、〈誰〉がこの隷属状態を生きているのか?
 ――― 確かに、〈私〉=《我々》は隷属している。 だが、
 その〈私〉=《我々》はどこにも存在してはいないのだ……。
       すなわち、
            〈ここ〉では、
            〈私〉も、《我々》も存在しない。』

 
 【映像切り張り細工-2】

 ファ-スト・シ―ン。 旧暦1854年。未踏の荒野。 ただ一人で叫ぶ声。
 「しかし、奴隷の飼育や煙草の輸出を規則正しく行わせるための立法などを考えてもみるがいい。
                  ――H・D・ソロー」
ラスト・シ―ン。
 目の前には、はるかに広大な未完のプロセス、砂漠への軌跡が続いていた。
 問いかけの解答への変換(偽装)。
〈私〉=《我々》=《人間》という(その都度偽装された)関係の誕生。――あるいは、
〈私〉=《我々》=《人間》が、〈私〉=《我々》=《人間》を見るという
こと。
――〈私〉=《我々》=《人間》という関係は、自らを見ることが決してできなかったために、他の〈私〉=《我々》=《人間》という関係を肯定することができず、大抵の場合にはそれを抹殺するより他はなかった。ここから、一切の時間と空間、そして《歴史の全体》の支配を目指す試みが開始される。すなわち、世界戦争はその現実化に先立って是認され要請されていた。全地球規模の戦争状態という超-大量殺戮の光景の数々は、〈私〉=《我々》=《人間》という関係がもたらす避け難い錯誤として鮮明に予感されていたのだ。

◆園児の一人、鬼助が砂漠の上でソローを演じているのが二階のテラスからも見える。

『それにしても、例えば子供専用刑務所で幼い者たちの拷問を規則正しく行わせるための立法などを考えてもみるがいい。ここで、訴訟=過程の二つの局面、あるいはリミットがあらわになる。例えばソローは、いつどんな時でも《我々》によって《……人》と呼ばれるものではなかった。

 「民族とは一体何だろう。(……)世界で場所を占め得るのは個人である。 ――H・D・ソロー」

 だが他方、〈私〉=《我々》=《人間》という関係に組み込まれた《国家=状態》による追放と囲い込みのもとで、自らの運命=意志の奪還を賭けた抵抗の戦いが始められる。……人になることは、今なお到るところで続くその戦いのただなかで新たに生まれでるのだ。
 これら二つの局面/リミットの出逢い。それを見るのは〈誰〉だろうか?』

以上の作品のオリジナルは90年代に書かれた散文草稿『ゼロ-アルファーー<出来事>のために』の一断片である(一部改訂)。



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