カント『純粋理性批判』から〈まさに-この-私〉の経験へ 無内包の〈現実性〉へと向かって

画像1 そろそろ以下の記述の哲学的な含意の吟味検討作業が必要になる。「以下の場面を想定する。その想定をするのは、<まさにこの-私>すなわち<私>である。ただし、以下の想定は、あらかじめ言語によって仮想された事態の言語による(その事態の)事後的な記述であることに注意しなければならない。」

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