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始めたばかりだからこそ、休み休みで。

おはようございます。
怒濤の週末・週初め・週中でした。
疲れたー!がんばったー!
めったなことで、自分を含めた家族が、体調不良にならないよう注意していますが、ダウンする時はダウンする。
しゃーない。
立ち止まる。
立て直す。
立ち上がる。
4月こそ、ゆるりゆるりと、動きすぎないように気を付けます。


「あなたのお話を聴くだけ」活動(改4)。

3月から始めた「あなたのお話を聴くだけ」活動。
今は家族の話を聴くことに重きを置いています。
近くの他人を幸せにできず、遠くの他人を幸せにするって、
どうよ?って話です。
でも、家族ばかりの話を聴くだけでは世界が狭くなりそう。
じゃあ、家族以外の話を聴くだけでは大事なことを疎かにしてるかも。
ってことで、バランスよく、家の中と外の世界を繋いでいきたいなと。

一方で、活動を始めるきっかけ、経緯、思いは変わらないです。
下記noteをご覧いただけると嬉しいです。

断らない。

私は断るのがとっても苦手です。
なぜなら、人生で断ったこと、あまりないんです。
どうやって断って良いかわからない。
実家の文化は、断ることは人としてあるまじき、と刷り込まれました。
人として断ったらダメ…なんて、強引マイウェイな。

友達は多ければ多い方が良い。
人から声を掛けてもらえるのは光栄である。
断るとは、それら全てを裏切る行為だ!!!!!
くらい強めの文脈で『断るのはダメ』なんです。
そんなん、身体が何体あっても足りへんくない?

でも、
できない約束はするな。
とか
約束は這ってでも行け(守れ)。
って怒られる。
矛盾しすぎてない???

おかげで私は逃げ癖がついてしまいました。
小学生の時に週7日、1日2~3教室をはしごしていたのですが、
子供心に息切れしていて、これ以上続けて何になるんだろう。辞めたい。
と思ったこともしばしば。
誰でも未経験・無知に対して「やってみない?興味ある?」と聞かれれば、
『まぁ、やってみてもいいのかな』と思うこともあると思います。

子どもなら、なおさら「ナニソレ?美味しいの!?」みたいなノリ。
知らないことを知りたい欲求の塊の子どももいて、
「お菓子要る?」って聞かれた子が「要る!」って言う確率くらい
「やってみたい!」って言うに決まっています(私調べ)。

親のそれは誘導尋問みたいなもので、
「(体験教室に行って見込みあれば)お菓子/おもちゃを買ってあげる」
とか
「(オリンピック選手を出している教室だから)あなたも頑張ってね」
とか
「(私の長年の夢、やりたかった○○に通ってくれて)ありがとう」
とか、下心丸出しの期待。

一方で子どもの私は、ただの好奇心の塊で
「〇〇ができたら、お母さん、喜んでくれるかな」
とか
「褒めてくれるかな」
とか
「お母さんの勧めてくれた/好きな○○ってどんなんだろう?」
とか、ただただ親のためだったりする。
親と子の期待の不一致。不毛。ホント私聞いてない。

私の場合は、こんな調子で幼稚園年中あたりから少しずつ習い事が増え、
気が付いたら、週7日の1日2~3教室をはしごという状況でした。
小学3~4年生あたりで、ようやく減っていきました。
教室の経営難とか、スイミングのタイムをどうしても縮められないとか、
『ほら無理でしょ?』と言わざるを得ない状況が少しずつ出てきてくれた。
『なんとか今を耐えれば、そのうち時間が解決してくれるのか』
という自分を守るための『耐えて逃げきる』という手法を知り、
断ることを知らないまま大人になりました。

諦めない。

私は諦めがめちゃくちゃ悪いです。
めちゃくちゃ引きずります。
1週間くらい囚われたり、悩むこともあります。

あー…言い方が悪かったかなぁ。
あー…本当はあっちを選びたかったなぁ。
あー…行きたかったけど、行けなかったなぁ。
あー… あー… あー…

でも、なぜ諦めが悪いかというと、まさかの親のためだったりします。
親のせいではなく。
『〇〇ができるようになったら、お母さんは喜ぶかも』
『頑張っている私に気付いて、褒めてもらえるかも』
『お母さんは昔できなかったから、私が頑張って結果を出さなくちゃ』
みたいな思考に、無意識でなっていました。

週7日の1日2~3教室をはしごしている時の辞める条件は、
・最低1年以上続けること、
・履歴書等に書ける/披露できるレベルに達すること、
・一つ辞めたらすべて辞め、二度と習い事はさせない、
のすべてを満たし納得すれば、でした。
え、なんの脅し?鬼?
小学校低学年の私には、十分すぎるほどの恐怖でしかなかった。
どう論破すればいいか、見当もつかなかったです。
母への承認欲求の塊だったので。
父は「嫌やったら、いつでもすぐに辞めてえぇ」と全く興味がない人で。
母はその真逆でした。つまり、これは母の条件。

何度かチャレンジはしました。
「全部辞めていいから、二度と習えなくて良いから、辞めさせてほしい」
と涙ながらに訴えたこともしばしば。
想像に難くないと思いますが、母は発狂するわけです。
「ここまでやってくるのにどれだけ『◎$♪×△¥●&?#$』!!」
「やりたいって言ったのはあんたやろ!!!!!!」
「出て行け!!!!!!!!」
みたいな。

断れない誘導尋問と圧で迫ってきたのは誰なんだよねー。
「だから、あんたは!」
と事ある毎に、芋づる式で、過去の自分の愚行を全部ひけらかされる。
えー…その時にその場で言って終わらせてほしかった。
もっと良い方法があったかも、もっと何か、もっと別の…。

捨てない。

私は人から何かを頂くということが苦手です。
物って、一度手にしたら、握りしめちゃって放しにくくなるようで。
どういう経緯で自分の手に渡ったのか、というのも影響大。
私のことだけを考えて選んでくれたのか、
誰かにもらったけど自分は使わないからと私に回ってきたのか、
ありすぎて自分では使い切れないから私にくださるのか、
などなど。

でも、それって本当に自分が欲しい物なのか、と言うとそうでもない。
頂き物で『あって助かった』ことなんて、多分人生5%未満(私調べ)。
どちらかというと『美味しくいただけて光栄です』の方が記憶に残ってる。
日常的に使っていなくて、いつどのように使うかもわからない物をもらっても、気持ちも物もやり場に困る。

もったいない。今ある物で暮らす。
「せっかく頂いたのに、捨てるなんてもったいない!」
「この間もらったものでなんとかなるでしょう!」
「無い物ねだりしないの!」
物が無い時代を生きたことがあると、そうなるんかな。
戦後、少ししてから生まれた両親とか。
物がないとか言う割に、人に何かをあげたがる。
ありがた迷惑になってないんかな。

捨てられない時のキラーフレーズは「いつか使うかも、役に立つかも」
いつかっていつ?
どんな風に使うことをイメージしてるの?
私のどんな役に立つの?
それ、私するっけ?

少しズレますが、その象徴が台所の『予備の空(き)〇〇』。
空き瓶、空箱、良さげな空紙袋、スーパーのビニル袋…etc.
頂き物ではないけれど、実家で当たり前に目にした山積みのものたち。
この光景は、あまり不思議に思わなかったんですね。
慣れとは怖いものですね。

直感を信じ、決めるということ

現在の私は、実家の『断らない、諦めない、捨てない』を
全部辞めないと私はやっていけなくなりました。
実家という場所でそのやり方は、上手く行っていたかもしれない。
私の目にはそうは映っていないけれど。
違う文化、違う場所、違う環境に来たら、上手く行くはずが無い。
上手く行っていると思っている間は、私の我慢が限界に来てなかったから。
瞬間的には上手く行くんだけれど、そのうち息詰まる時が来る。
なぜなら結婚して、共働きで、子どもができたから。
その時が来た時に、止まれるか。
そして、大舵を切れるか。

断る。

私って、ちょっとズレていて、変らしくて、自覚もしていて、
いろいろ考えすぎて変な断り方になっている時があります。
身近に断り上手な夫に、いろいろ教えてもらっています。
「こんなことがあって、こんな断りを入れたけど、あなただったら?」
「あんな状況だと、どんな断りがベターだったと思う?」
まだまだ断る入門の序の口です。
それでも、実家にいる頃に比べると、断ることに慣れてきました。
そしたら、いろんなお誘いや依頼が増えました。

諦める。

予定キャンセルの嵐…も、しゃーないと思えるようになりました。
最近はnoteで訓練中です。
私の土日は、本業の専業主婦フル稼働なので、note下書きも更新もしない。
自分を含めて家族が不調の場合は、note下書きも更新もしない。
この1週間もそうだったのですが、自分を含めて家族が一人倒れるといろいろ回らない。
そもそも求められてnoteしている訳ではなく、将来も現在も稼ぐつもりもなく(稼げるはずもなく)、承認欲求でもなく。
『母』や『家族』にとらわれ過ぎている人、昔の自分に助け船を出すつもりで書いています。だから書かなくても誰も困らない。予定もそんな感じ。
一時は第3の場所を作りたいし、働きたいし、稼ぎたい!そんな気持ちに激しく駆られていた時期もありました。
でも、今は専業主婦を堂々とガチで楽しみたいし、その合間に自分が楽しいと思える何かを取り入れるように、休み休み動くことを意識しています。

捨てる。

バンバン捨ててます。
〇年使ってないし要らんなーと、捨てた直後に必要になったりする時もあります。
でも手放すときは感謝の気持ちですので、瞬間的に「しまった!」と思いますが、そんなに捨てた後悔はないです。
空き瓶も、空き箱も、空き袋も、量と置き場所を決めて、パンパンになったら捨てる。取り出しにくくなったら捨てる。
散らかりにくい家になりつつあります。
長女の産休中に取得した整理収納アドバイザー3級のおかげもあるかなー。

何より、親を自分の人生から切り離せたのは、とてもとても大きいです。

今日も愛のある穏やかな一日となりますように~^^
最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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