noteエンドゲーム

エンドゲーム:アクションシーン少なめでもお腹いっぱいになるアメコミ映画!

さて、そろそろ『エンドゲーム』のことを語ってもよいでしょうか(笑)

まあ演技のことしか書かないからネタバレとかにはならないと思うんですが、最近は登場人物の名前を書いただけでネタバレだ!とか言う人もいるみたいだからなあw。えーと、お気をつけてお読みください、自己責任で!(笑)

いや『エンドゲーム』、見ごたえありましたねー。3時間強。

豪華キャスト勢揃い!のキャスト費がとんでもないコトになったから、予算的に大掛かりなバトルシーンが前回ほど入れられなかった、という噂も聞きましたが、そのせいか・・・人間ドラマシーンがたっぷりあったんです!それがまたディテールたっぷりの「心が揺れ動く描写」・・・もう大好物、大満足!

いや〜、お金が足りないってのも時にはいいもんだなぁと(笑)


『エンドゲーム』は演技の上でもMCUシリーズの集大成的な作品でした。

もう冒頭から最高でしたよね。ホークアイと彼の家族のシーン、静かなシーンながら、情感あふれまくってました。

でマーベルロゴ挟んで・・・漂流する宇宙船の中でのトニー・スタークとネビュラが2人でゲームをしているシーン。

冷酷な女殺人マシーンだったネビュラはゲームを楽しむというコトを知らないんですね。でも2人きりの宇宙船の中で、力を合わせなければ生き残れないというこの局面で、トニーは彼女と何等か共通言語となるものを手に入れねば!みたいな感じだったんでしょうかね、彼女と駒飛ばしのゲームをするんです。

そしてゲームを楽しむというコトを憶えたネビュラとトニーは、完璧なチームワークでもって事態の収拾にかかります。いや~短いけど感動的なシーンでした。

「キミの勝ちだ。楽しかった?」
「・・・楽しかった」

殺人マシーンと金持ち天才クソ野郎w。このディスコミュニケーションしかなかった2人がこの一瞬、心を通い合わせるんですよ!

「・・・」の部分の2人の心の揺れ動きに泣きそうになりました。

もともとアメコミ映画のヒーローの演技って、以前『進化し続けるアメコミ演技☆インフィニティ―・ウォー』でも書いたんですが、1978年の『スーパーマン』の時代からカッコいいキャラクターをカッコよく歌舞いた動作とセリフで描いてゆく「キャラクター演技」で演じるものだったんですよね。(DCは今でもその歌舞く演技のヒーロー像をやってるんですが)・・・その流れに革命を起こしたのが『アイアンマン』のトニー・スタークと『ダークナイト』のジョーカーの演技でした。

『アイアンマン』三部作で多面的な人物造形で演じられていたトニー・スタークという複雑な人物は、『アベンジャーズ』シリーズや『キャプテン・アメリカ』三部作では、その演技の多面性を抑えて、あえて「金持ち天才クソ野郎」wという悪役的な1面性でもって演じられていたんですが、今回の『エンドゲーム』ではその縛りを破ってひさびさに思いっきり多面的に演じられていましたね。

「多面性」のある役づくりというのは、

現代の現実世界の我々が「職場や学校にいる時の自分」「趣味の友達と一緒の時の自分」「父親と一緒にいる時の自分」「母親と一緒にいる時の自分」「地元の友達と一緒にいる時の自分」「彼氏彼女と一緒にいる時の自分」「SNS上での自分」みたいな別人格を自然に切り替えながら生活しているみたいに、

架空の人物を演じる時にも、状況や相手とのコミュニケーションによって人物の別の面が引き出されて、人物が多面性のあるひとつの人格として演じられるような演技法のことです。

今回のロバート・ダウニーJr.演じるトニー・スタークの演技の多面性は素晴らしかったですね。シーンによって、相手によって本当に多様で豊かなコミュニケーションの変化を演じて見せてくれました。

詳しくは書きませんが特に「3000」に関する一連のくだりは涙無しには見れませんでしたねー。あれが「金持ち天才クソ野郎」とシームレスにひとつの人格として統合されているんですから・・・まさに名演!

トニーだけでなく、今回はブラック・ウィドウがサンドウィッチ食べる長いシーンも素晴らしかったし、ホークアイの冒頭のシーンも、そして彼ら2人のお互いを想う気持ちのやり取りのシーンもどれも素晴らしかった。

彼らの心の揺れ動きと共に、観客の心も一緒に揺れ動くんですよ。今回の『エンドゲーム』の人間ドラマの素晴らしさは、そこに尽きると思います。

サノスやハルクもよかったですよね。キャプチャー技術の進化で今はリアル系CGキャラでもここまでコミュニケーションできるんだなと感心しました。もちろんディテールの部分ではぎこちなかったりする瞬間もあるんですが・・・コレ今後もっと進化するんでしょうねー。

今回の『エンドゲーム』でボクが残念だった点を1つだけ挙げるとするなら、それはキャプテン・アメリカですね。

彼はついに最後までコミュニケーション演技に手を伸ばさなかったなあ。彼は古き良きスーパーマン/バットマンタイプのアメコミ風キャラ演技の伝統を貫きました。すべての表情をすべてのポーズをヒーロー風にリーダー風に演じてましたねー。

なので彼のシーンは、トニー・スタークとのやりとりも、ブラック・ウィドウとのやりとりも、会話のコミュニケーションが成立しているようで実は成立していないんですね。相手の台詞にちゃんと反応できていない。

相手の台詞を聞いている風でありながら実は相手の台詞をかわしていて、タイミングに合わせて用意されたリアクションを自分の頭の中で「なに?」とか「悲しいな…」とか「それは許せん!」とか独り言として演じているんです。 いや悪い演技じゃないんです。ただちょっと古いタイプの、90年代に流行ったスタイリッシュなタイプの演技なんですよね。

だからトニー・スタークやブラック・ウィドウの生々しいリアクションに比べて、キャプテン・アメリカはリアクションが硬くてちょっと不自然なんですよねー・・・これが彼がアベンジャーズという集団の中でいま一つリーダーシップを発揮しているように見えなかった原因なのでは?とボクは思ってるんです。

みんなの言葉にキチンと耳をかたむける、という「信頼されるリーダー」としての資質が足りてないように見えるんですよ。もしこの男が「健全で正しいリーダー像」をしっかり演じることができていたら、それに対立するトニー・スタークもさらに倍も輝いただろうに・・・残念。

さあMCUシリーズも次回作『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』で一旦終了だそうで、どんなフィナーレをむかえるのか。

でもMCUシリーズの人間関係の演技の豊かさを引っ張ってきたロバート・ダウニーJr.はもういないわけですから・・・どうなるのか、これまた楽しみですね☆

小林でび <でびノート☆彡>

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