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『カモンカモン』ホアキン・フェニックスとウディ・ノーマン君の心を打つ「関係性」の芝居。

ホアキン・フェニックス主演の『カモンカモン』ようやく見れました!

心にズシンとくる映画でしたね。ボクは子供の頃をすごく思い出しました。子供の目からこの世界はどんな風に見えていて、そこでどんなに心細い思いでいたかを。・・・そして、大人になった今もそれはまったく変わっていないんだなあということにも気づかされました。

とにかくこの映画、人と人とがコミュニケーションする姿が超リアルで深いディテールにあふれていましたねー。このブログでも何度も書いてきた「関係性の芝居」のひとつの決定版みたいな映画でした。

『カモンカモン』にはアメリカ各地の子供達のインタビュー映像が何度も挿入されていて、「未来はどうなると思う?」とか「大人をどう思う?」とかの質問に子供達が答えてるんですが、これが本物のドキュメンタリーでやたら感動的なんですよ。「子供ってこんなこと考えてるのか!」とか「ああ忘れてたけど、自分もこんなこと考えてた!」みたいな。

そんな感動的な、生々しいディテールに溢れた本物の子供の映像が映画本編に混ぜて編集されていたら普通、俳優たちの芝居がウソ臭く見えたりするものですが・・・この『カモンカモン』の芝居は全くそんなことなかった。俳優たちの芝居もドキュメンタリーに負けないくらいリアルで生々しい深い深いディテールにあふれ、でもそれと同時にフィクションとしての喜びにもあふれていたんですよ。素晴らしかった。

そんな『カモンカモン』の素晴らしい演技について今回は解説します。

よくある定番のリアクション芝居、一切無し!

物語は、独身男性のジョニー(ホアキン・フェニックス)が取材旅行に行こうとしていた時、妹から電話で甥っ子を預かることを頼まれ、10歳の甥っ子ジェシーと一緒に旅することに・・・というよくあるストーリー。

ホアキン・フェニックスといえばジョーカーのイメージがまだ鮮明だったので、そんな彼に10歳の男の子の面倒を見させて大丈夫??みたいな気持ちで恐る恐る映画館に見に行ったのですがw・・・大傑作でした。

ホアキンが定番のリアクション芝居を一切しなかったのが良かったw。
この手の子育て映画で俳優が必ずやる、「なんてこったい!子育ては戦争だあ!」とか「子供ってすごいな…感動♥」みたいな、今まで100回は見せられた定番のウソくさい演技を、ホアキンは一切演じていないんです。

マイク・ミルズ監督のインタビューによると、
ホアキンは決まり文句を用いて観客を強く誘導したり、あらかじめ答えを持ったりすることをとても嫌っていて、よく「それは言わなくていいんじゃないかな、キャラクターについてすべて説明しようとしなくていいよ。観客に対して、自分が善き人であると証明しようとしなくていいんだ」と言っていたそうです。

『カモンカモン』でホアキンはジョニーの「キャラ」や「感情」を表現する説明芝居を一切しません。ただ甥っ子とずーっと格闘している。で甥っ子が寝た後は妹に電話して「あれはどうすべきだったんだ?」と質問攻めにする。ホアキンはそんな「関係性の芝居」だけを延々と演じていて・・・その姿のほうがサムい定番芝居よりも100倍リアルにジョニーの人間性が伝わって、感動的でした。

おずおずと出会ったジョニーと甥っ子ジェシーのぎこちない「関係性」が刻一刻と更新されていって、その「関係性」の微妙な変化そのものが物語になっているという・・・いや〜ホアキンも甥っ子役のウディ・ノーマン君も名演。見応えありました。

子役芝居をしない子役、ウディ・ノーマン君。

天才子役と大評判の甥っ子ジェシー役のウディ・ノーマン君ですが、彼の芝居は子役演技の気配がゼロでした。もっとリアルに10歳くらいの男の子特有の不安定なふにゃふにゃととらえどころのない感じを演じていて、ボクは自分の子供時代を思い出して切ない気持ちにさせられちゃいました。

この映画ではウディ君も甥っ子ジェシーの正直な「感情」を演じていません。そしてジェシーってわんぱく!とか内気な子!みたいな「キャラ」を演じる作業もしません。そういう定番の表現は演じないんです。

ではウディ君は何を演じているのか?
彼もまた ただただ「関係性」を演じているんです。

ジェシーの大きな瞳は、常に相手のことをジーっと見つめて、相手の言葉や行動の裏にある意味を読み取ろうとしています。
彼の行動もセリフもその「関係性」に対する反応として演じられているんです。

遠くにいる母との関係性、繊細な父との関係性、そして叔父ジョニーとの関係性・・・その「関係性」によってジェシーはまるで違った行動をし、まるで別人のような瑞々しい反応や表情を見せます。
観客はその過程を見続けることで、段々とジェシーがどんな男の子で、どんな問題に苦しんでいるのかを察してゆくことができるのです。

これって我々が現実世界で知り合った人間を理解してゆく過程と似ています。だからこそ観客は多面的で複雑な登場人物の全体像を理解できる、それが「関係性の芝居」の特性なのです。

「キャラ」や「感情」で演技を固定しないで、刻一刻と変化する「関係性」を頼りに変幻自在に演じ進めてゆく、この「これぞまさに2020年代!」っていう演技法を10歳のウディ・ノーマン君が完全にマスターしているんですよねー。若いのにすごい!なのか、若いから最新なのは当たり前なのかはわかりませんが(笑)。

人物が抱える問題と、世界の問題をつなげる役作り。

ホアキン演じるジョニーは、自分を脅かして試すようなことばかりを仕掛けてくる甥っ子ジェシーとのコミュニケーションに疲弊して、どんどん不安になってきます。
ここで「子育てなんかもう嫌だ!」になるのではなく「こんなんで自分は人として大丈夫か?ポンコツ過ぎないか?」みたいな不安にどんどん駆られていくのがリアルで・・・あ、自分もこんな感覚にしばしばなるなあと思いました。

ではジョニーを試し続ける甥っ子ジェシー。彼はなぜそんなにもジョニーを試すのかというと、ジョニーが本当に自分を守ってくれるのか?自分は本当にジョニーに愛されているのか?が不安だからです。

そう、甥っ子のジェシーが抱えてる不安は、ジョニーが抱えている不安とほぼ同じなんですよ。それは「自分は愛される価値がないのでは?」というもの。

そう、子供と同じで、大人だって不安なんです。
ジェシーのお父さんもそれで鬱になって倒れたんだろうし、お母さん(ジョニーの妹)もそれだから必死にお父さんを支えるんだろうし、ジョニーもそれだからこそ妹の無理な頼みを叶えようとしたんだろうし、アメリカ各地の子供達のインタビューを撮影して光を見出そうとするし、またそのインタビューに映っている現実の子供達はどの子もその不安とまさに戦っているんです。

ジェシーと向かい合うことで表面化したジョニー個人の不安が、他の登場人物が抱えている不安と響き合い、この現実の世界が抱えている不安と響き合い、そして観客ひとりひとりと響きあう・・・という役作り、見事。
ホアキン・フェニックスが2019年の映画『ジョーカー』で見せたキレッキレの役作りの手腕は、この『カモンカモン』でも健在だと思いました。

<この歯磨きソング最高でしたねw>

2020年代における「関係性」の重要性。

昨今の映画において、人物同士の「関係性」のディテールは観客の心を大きく動かす作品のキモになってきていて、同時にモンタージュによる表現は年々パワーを失っているように感じます。

マイク・ミルズ監督のインタビューによると、
『カモンカモン』の脚本や撮影に関するミーティングで、ホアキン・フェニックスは監督たちが提示するプランにダメを出し続けてなかなかオッケーを出さなかったそうです。ミルズ監督は自分が意地悪をされているんじゃないか?と疑心暗鬼になって、それまでにホアキン主演作品を撮った他の監督に相談してみたところ「安心して。みんなそうだったよ」と言われたそうですw。

映画『ジョーカー』のトイレでのダンスシーンが、撮影現場におけるホアキンのひらめきによって、全く別のシーンに生まれ変わってしまったように、ホアキン・フェニックスは明らかに『ジョーカー』の脚本・演出の上にホアキン個人が演じるべきだと感じたことを上乗せして演じていたし、今回の『カモンカモン』もおそらくそうなんだと思います。
その結果『ジョーカー』も『カモンカモン』も大傑作に・・・そこがホアキン・フェニックスのアーティストとしての凄さで、それはつまり俳優も、解像度高い芝居をすれば映画の中で独自のメッセージを発信することが可能だ、ということだと思うのです。

『カモンカモン』はハートフルな子育てファンタジーや、かわいそうな子供の感動のストーリー展開をお望みの観客には地味に感じられるかもしれませんが、我々と地続きの世界に生きる登場人物たちの心の触れ合いが、観客の心にズシンとくる素敵な映画です。
劇場で見ると白黒映画であることがさらに自分の子供時代とのリンクを促すかもしれないですね。おススメでっす☆

小林でび <でびノート☆彡>

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