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『東京物語』メソード演技法以前の小津映画の演技。

BS松竹で『東京物語』の4Kデジタル修復版を観たんですが、画面の傷や白飛び、明るさの不安定さ等々が解消された『東京物語』・・・いや〜美しかった。

正直、小津映画の一般的なイメージって「地味」「退屈」とかだと思うのですが、いやいや、『東京物語』は実はかなりエモーショナルな芝居が展開しているんですよ。泣けるんです。

たぶん芝居が4Kデジタル修復されて、より安定した状態で見ることが出来るようになったので、人物たちの眼差しとかがスコーンと力強く感じられるようになり、以前より情感がすんなり入るようになったんだと思います。
ようやく『東京物語』の俳優たちの演技について詳細に解析することができました。見て行きましょう。

表情はなしだ。能面で行ってくれ。

まず前提として1953年代当時の邦画の演技の主流は、俳優が「表情や声色を作ってキャラクターや感情を説明をする」演技法が主流だったのですが、小津監督はそれを不自然だと嫌っていたようです。

【表情がうまい、というだけでは、いけないと思うんだ。悲しい表情、うれしい表情が巧みに出来る――つまり顔面筋肉の動きが自由自在だ、というだけではダメ、それならヤサシイと思うんだ。】小津安二郎

それに加えてここ結構重要ポイントだと思うのですが、『東京物語』は1953年、つまりメソード演技といういわゆる「人間の内面を可視化する演技法」が日本に入ってくるちょっと前の映画なんですね。 だから当然『東京物語』の俳優たちはまだ内面を演じていないのですが・・・それが意外にリアルで良いのですよ。

だってそもそも人間の内面は外から見えないから内面なわけで、本来カメラには映らないものなわけです。それをメソード演技以降、俳優たちがその見えないはずの内面を見せるようになったものだから、画面上は人間の内面と外面が2重写しみたいになっているような状態で、なんだかガチャガチャしてるなーってのが実は結構あると思うんです。

その点で『東京物語』の画面は目に見えないはずのものは一切映っていないので、至ってシンプル。これが人間の居方としてリアルに見えるんです。

その人がその状況の中にいて、喋っている。ただそれだけ、みたいな芝居。

【僕の映画には表情はいらないよ。表情はなしだ。能面で行ってくれ】と小津監督は笠智衆にオーダーしていたらしいですよw。

アップのショットは正面から。

表情筋や声色での外面の演技がない、メソード的な内面の演技もない・・・では『東京物語』には感情表現や人物表現はないのか?と思いますよね。大丈夫です。あります。いやむしろ『東京物語』は荒々しいエモーションが渦巻き続けている映画だとボクは思います。

ではどうやって?・・・それはたとえば小津映画が「アップのショットを俳優の正面から撮る」という、映画では普通なるべく避けるような方法で撮影されているのと関係しています。

アップのショットって常識的にはその画面に映っている人物の情感を観客に伝えるために使われるのですが、これが小津映画の場合は違うのです。なにしろ俳優は情感を表現していないのですから。

人物の顔を正面から撮影すると、つまり画面上の人物は直接観客に向かって語りかけることになります。なので観客は自分がその言葉を投げかけられたような気がして、心が動いてしまう・・・そう!ここでエモーションが発生するのです。

つまり小津映画のアップのショットは喋っている人物の情感を伝えているのではなく、喋られている人物の情感を観客に体験させることでエモーションを伝えているのです。

たとえば観客は俳優から正面切っておかしなことを言われたりするので「え?おかしなこと言うなあ」と感じます。なのでそれを喋る俳優は「おかしなこと言ってますよ」という演技をする必要もないし、それを喋られた俳優も「おかしなこと言われたなあ」という演技をする必要も無い・・・てゆーかそもそも喋られた人間は画面にすら映っていないのです。

観客はその喋られた人物の身になってその言葉を受け止めて心を動かします・・・という仕組みで小津監督が俳優たちに演じさせなかった「人物の情感」はちゃんと観客の心に届く・・・だから小津映画を見ていると耐え難いくらい寂しくなったりするのです。うわー。なんという手法。

もう一点。では1対1のシーンでなく、3人とか4人とか大勢で喋っているシーンではどうなのか?
俳優は必ずしもカメラの方を見るのではなく、例えばその台詞の前半はカメラを見ていて後半別の人物がいる方を見るとか、その逆とか、とにかく観客がそのテーブルの席のどこかに自分も座っているかのような錯覚を感じるような目線の誘導で俳優たちは演じています。

これは人物たちの目線の方向を小津監督自身が細かく紙に書いて視線を設計し、俳優たちはその指示通りに目線を送りながら芝居したそうです。いや~怖ろしいですねw。

テストを何十回でも繰り返す。

小津監督は目線だけでなく、俳優に細かく細かく指示を出したそうです。セリフの言い方、スピード、語尾の上がり下がり等々。そしてアップのショットでの首の動くスピード・角度。さらには飲み物のグラスの上げ下げのタイミング・スピード等々・・・それはそれは細かい指定で、指定通りにできるまではテストを何十回でも繰り返したんですって。怖いですねw。

これによって人物たちのアンサンブル、人間関係の芝居を、小津監督が一人で詳細に計画し、俳優たちに演じさせていたのです。

結果、小津映画は淡々とした地味な芝居なのに、人物同士の関係性や力関係、誰が誰に気を使っているなどの「人間関係のディテール」がすんなり観客に伝わってきます。

つまり小津監督は、俳優単体での演技で人物を表現しようとしなかった、という事なんだと思います。
ようするに関係性のなかでの振る舞いや居方の変化によって、そして環境や状況の変化のなかにおける行動や居方の変化によって、その人物を表現しようとしたのだと思います。

小津監督が細かく演出していたのは個人の感情やキャラではなく、「関係性の芝居」だったのです。

小津組の4番バッターは杉村春子。

小津組の映画ではそんな風に監督の指示のもと撮影されました。
が、杉村春子や原節子、佐田啓二、岡田茉莉子などの数人の俳優だけがその手の指示では実現できないようなイキイキしたディテールたっぷりの芝居で演じているように見えます。
「能面」の芝居の上に、深い情感が溢れているのです。ボクはこれこそが小津監督が本当に望んでいた芝居なのではないかと思います。

杉村春子たちの表情や芝居に溢れているディテールは、顔の表情や声に現れる微妙な緊張と緩和。我々が普段日常で体験するような「人間関係」や「状況の変化」に反応して発生するのと同じものです。

たとえば『東京物語』で長女を演じる杉村春子はいくつもの「両親に対するひどい言葉」を口にしますが、そのそれぞれが微妙に違ったトーン、ディテールを持っています。
そのディテールの中には様々な情感が隠れていて、そのディテールの変化から観客たちは、彼ら家族が数十年前どんな感じだったのか、なぜ子供たちの多くが家を出て東京や大阪に行ってしまったのか、などの原因が子供たちと父(笠智衆)との過去の人間関係に問題があったのではないか?とじわじわと察してゆく流れになっています。

おそらく若いころの父は横暴で、酔っては家族を困らしていたのでしょう。子供たちは母を守るために団結し、でもその母は必ず父を支持し、子供たちはやり切れない気持ちになっていたのでしょう。その結果、子供たちは成人すると一人また一人と家を出て遠くの東京や大阪に行って新しい生活を始めたのではないか。だから老夫婦が東京や大阪を訪ねてきても、手厚く歓迎する気になれないのではないか?・・・というようなことが、説明セリフも無く、回想シーンも無いのに何故だかどんどん観客に伝わっていく。
そう、父親が寄って帰って来るシーンあたりから、観客は杉村春子演じる長女の辛い気持ちを理解しはじめるんです。そしてこの物語は薄情な子供たちの話ではなく、時代の変化・倫理観の変化についていけなかった父親が子供に捨てられる話なのだと、わかってゆきます。

このあたりが『東京物語』がヨーロッパなどで「家族映画」として高い評価を受けている理由なのではないでしょうか。この問題は世界中のどの国の人間でも共感できる普遍的なテーマですから。

葬式のシーンでの杉村春子の「そう言っちゃあ悪いけど、どっちかって言えばお父さん先の方がよかったわねえ。コレで京子でもお嫁に行ったらお父さんひとりじゃ厄介よ」という衝撃的な台詞が、ただ不人情な娘だということではなく、彼女なりに耐えられる範囲で母と父のこと幸せを考えてから出てきた言葉だということも観客は徐々に理解してゆきます。
そんな複雑な芝居を杉浦春子は演じているんですよね。いや~名シーンでした。

小津監督は「小津組の4番バッターは杉村春子だ」と迷うことなく言っていたそうです。

「私、本当はずるいんです」という原節子の芝居も素晴らしかったですが、杉村春子の両親に対する愛憎入り混じった芝居は、とにかくこの1つの家族がバラバラになっていってしまう過程を描いた映画『東京物語』の白眉だと思います。いやーわかる。泣けます。

というわけで、小津映画の演技って80年代90年代にはエキセントリックだ!という捉えられ方をされたりしてましたが、いま2020年代の感覚で観るとかなり正攻法で人間描写・人間関係描写に取り組んでますよね。
むしろ80年代90年代に流行ってた感情の起伏を過剰に演じたり、キャラクター性を極端に演じる芝居の方がよっぽどエキセントリックだなーと感じる時代になった気がします。

『東京物語』はアマプラで4Kデジタル修復する前のバージョンですが見ることが出来ますので、ぜひ。おススメです。
もし以前見てピンとこなかったという方も、「人間関係描写」が映画の最大のテーマとなった2020年代の今にもう一度見返すと、また違った見え方がするかもしれませんよ。

小林でび <でびノート☆彡>


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