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「地元漁師と温泉へ+南京虫+夜空に響いた銃声」【2023年度版】 秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方+旅行記 #6 帰還編

いよいよ秘境 ワハーン回廊シリーズ最終編です!!
8日の長時間移動+温泉+登山を終えて、
あとはランガール(ワハーン回廊最奥の村)からホログへ戻るのみ。
しかし、ワハーン回廊の難所は帰路にあり!!
そんな険しい旅だからこそ、
人の優しさと温泉の温かさが沁みる旅でもありました。


今回は、
・ランガール→ホログ→首都ドゥシャンベまでの帰還の仕方
・私の旅の記録
を書いて行きます。

ここまで、5部構成で時系列に沿いながら、
ワハーン回廊の旅のアクセスや旅行記を連載してきました。
興味がある方は、

タジキスタンの魅力
秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方#1 準備編
秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方#2 ドゥシャンベ編
秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方+旅行記#3 ドゥシャンベ→ホログ編
秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方+旅行記#4 ホログ→ビビファティマ/ヤムチャン要塞編
秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方+旅行記#5 ビビファティマ→エンゲレス・ピーク高原編

をご一読ください!!

本記事の構成は、
①ランガールからホログ、ドゥシャンベまでの帰り方
②私の旅の記録
です。


①、②は両方ともワハーン回廊を自力で進んでいく上で、
参考になる情報かと思います(インターネットでもあまり情報がないので・・)。
もしも、自身で冒険したい方、石橋は叩かずに渡りたい方は、
①だけ読んでいただければ大丈夫かと思います。
②では、私の旅の様子を写真と共に紹介しながら、
人の優しさ、南京虫、宿や食べ物、出会った人などをシェアしていきます!!

本記事を通して、
・読者さんがワハーン回廊から帰って来れる
・旅してみたいな〜と思ってもらえたら
・タジキスタンに興味を持ってもらえたら
幸いです!!



①ホログ(Khorog)→ランガール(Langar)までの注意点

これ以降、下線が引かれた地名をクリックすると、
Google Mapの実際の場所に飛ぶことができます。

実際の場所が気になる方は是非確認してみてください。

【ランガール→ホログまでの帰路のパターン】

ランガールからホログまでの帰り方の経路は二つです。
[緑ルート]
反時計回りでランガールから、パミールハイウェイを経由して
シェアードタクシー(以後シェアタク)、
または、ヒッチハイクを使って帰るパターン。

この経路の難所は、
パミール高原の交差点で、乗り換える必要があることです。
ランガールから北へ向かうシェアタクは、ムルガブ(Murghab)へ向かうので、
その手前であるパミール高原の交差点で降ろしてもらう方が、
金銭的、時間的にお得です。

パミール高原の交差点で、シェアタク、またはヒッチハイクをして、
西のホログを目指します。
高原に現れる塩湖やローカルしか知らない温泉、
パミールハイウェイといった冒険度マックスの経路
です。

パミール高原の交差点にて

[水色ルート]
時計回りでランガールから、
ワハーン回廊のタジキスタン/アフガニスタンの国境沿いの谷間を経由して
シェアードタクシー(以後シェアタク)、
または、ヒッチハイクを使って帰るパターン。

この経路の肝となるのが、
ランガールからホログまでのシェアタクが月曜日にしか出発していない
という点です(2023年、多数の地元住民の証言より)。
また、[水色ルート]では、時計回り来る(北から来る)
車が少ないため、ヒッチハイクが狙いづらいです。

ホログへ帰る予定日が月曜日の場合には、非常にお勧めな経路です。

【勇者ルート】
本記事では詳しく紹介できませんが、
ランガール→ムルガブ(Murghab)と北上し、
キルギスのオシュ(Osh)にさらに北上するというコースがあります。
この場合、ホログ、 ドゥシャンベとは全く別の方向に進むので、
キルギスから旅を続けることになります。
このコースの難易度は高いです。
タジキスタン/キルギスの国境紛争により、
国境が不定期に閉鎖されることがあります。
加えて、国境越えの事前申請が必要であり、
国境を越える前にキルギス当局からの許可をメールで
受け取らなくてはなりません。
不備があった場合には、現地語、またはロシア語での交渉になります。
難易度高めを欲する方は、この勇者ルートがあります。
オススメはしませんが笑。

【価格交渉と燃料の高騰】

ホログ以降、移動代の交渉は非常に難しいです。
そもそも、交通量が少ないこの地では、
タクシー運転手さんが価格交渉において圧倒的に有利です。
必ずシェアードタクシーやヒッチハイクで価格交渉になった際には、
大体の価格帯を事前に理解しておきましょう。
また、世界的な原油価格により、
年々価格が高騰していく可能性があり、
下記で私が示した価格よりも、
移動代がかかってしまう可能性もあります。

大体の価格を確認するコツは
運転手がいないところで、一緒に乗車する地元の人に
大体の価格を確認することです。
運転手を前にすると地元の人も本音で話せないというケースが
あるので、静かにタクシーの価格を確認しましょう。

【ポータブルフィルター】

広大な高原が続くワハーン回廊。
水を買う場所がなかったり、
水道水が飲めないことがあるので、
念の為、ポータブルフィルターを持ち歩くことをお勧めします。
ランガールでも地元の水道から流れ出る茶色水をフィルターして飲みました
(ローカルの人はフィルターなしで飲んでいました)。
私はKatadyn Water Filterの1Lを愛用しています。
水道水を飲む前に、このフィルターを通して飲みましたが、
問題ありませんでした。

【防寒着】

真夏でも夜は15度まで冷え込むことがあります。
登山時にも早朝スタートなので、寒いです。
折りたたみのダウン+フリースで体温管理をしましょう。
また、ワハーン回廊では、ヒッチハイクの選択肢をとる可能性があり、
夕暮れ時まで道路で車を待つ可能性があります。

ヒッチハイクがうまくいかない可能性を踏まえても、
やはり温かい服装が必要ですね。


①ランガールからホログ/ ドゥシャンベまでのアクセス

[緑ルート]ランガール→パミール高原の交差点までのアクセス

手段:シェアードタクシー(Shared Taxi)/ヒッチハイクなど
価格:130〜900somoni(1800〜12500円程度)/ 0Somoni
乗車時間:5~7時間
出発時間:午前中
出発場所:ランガール中央、または、宿泊先
到着場所:パミール高原の交差点

シェアタクの場合は、朝5時から7時くらい、または、朝9時から11時くらいに
ランガール中央で待ってみるといいです。定期的にムルガブ(Murghab)へ向かうシェアタクやチェックアウトした観光客を乗せる車を狙うためです。パミール高原の交差点(M41)をGoogle Mapで見せれば、一発でわかってもらえます。

また、宿泊先のオーナーや親戚がタクシーを出してくれることがあります。
私はこのパターンでした。
私含めて5人でHomestay Mulloniyozが運転する車をシェアしました。
900Somoniを5人で割り算することになりましたが、交渉の結果、
私は130Somoni(1800円)を払うことになりました。

ちなみに、この経路ももれなく軍のチェックポイントがあります。
GBAO Permitを見せる必要があるので、
まだ失くさないでくださいね!

ヒッチハイクを狙う場合も、
ランガール中央で張るのがオススメです。
もしも運が良ければ、
トラックの運ちゃんが無料で拾ってくれる可能性もあります。

[緑ルート]パミール高原の交差点→ホログまでのアクセス

手段:シェアードタクシー(Shared Taxi)/ヒッチハイク
価格:150〜200Somoni(2100〜2750円程度)/ 0Somoni?
乗車時間:6〜8時間
出発時間:17時が最終
出発場所:パミール高原の交差点
到着場所:ホログ中心地、または宿泊施設の前

シェアタクの場合は、
ムルガブで乗客を乗せた運転手が、パミール高原の交差点を経由して、
ホログまで向かってきます。
最終のシェアタクがパミール高原に到着するのは17時です。
満員の車でも声をかければ、更にスペースを作ってくれる可能性があります。

ヒッチハイクの場合は、
運に身を任せるしかありません。
最悪、道沿いでテント泊の可能性があります。
もしも荷物に余裕がある方は、この可能性を踏まえて
テントを持ってきておきましょう!!

ちなみに、私の場合は、3人で旅をしていました。
通りかかった最終のシェアタクには、2人分の空きしかなく、
2人は最終のシェアタクでホログへ帰りました。
取り残された私は、奇跡的に地元漁師さんに拾われました。
感謝!

[水色ルート]ランガール→ホログまでのアクセス

手段:シェアードタクシー(Shared Taxi)
価格:200〜350somoni(2750〜4800円程度)
乗車時間:11〜14時間
出発時間:朝5時から7時(月曜日のみ)
出発場所:ランガール中央
到着場所:パミールタクシー乗り場(Taxi To Pamir)

一番楽なルートです。
しかし、月曜日の早朝のみに出発します!!
多数の地元の証言(2023年8月時点)なので、おそらく正しい情報です。
また、一部の証言では、金曜日の早朝にもホログ行きが運行しているそうです。
早い者勝ちとのことなので、朝5時くらいから張っておくと安全です。

[緑色/水色ルート]ホログ→ドゥシャンベまでのアクセス

手段:シェアードタクシー(Shared Taxi)
価格:350〜400somoni(4800〜5500円程度)/ 
乗車時間:17〜21時間
出発時間:6時から15時
    (早い者がちですが、夏であればかなり本数が出ています)
出発場所:シェアードタクシー乗り場(Shared Taxi Station to Dushanbe)
出発場所:パミールタクシー乗り場(Taxi To Pamir)
    (終点までの道すがら、お願いすれば、降ろしてくれます)

比較的本数は多いので、難なく乗れると思います。満席になったら出発なので悪しからず。早めに行って、後部座席じゃない席を確保しておきましょう。


②私の旅の記録

[9日目] ランガール 「ランガールから出られない汗」

前日の登山の疲労がピークに達している一方で、ドゥシャンベまで戻る帰路を想定すると、ゆっくりもしていられない。本当は数日ランガールと近隣の村々を散歩したり、いろいろなホームステイを経験したかったです。しかし、Registrationをしていないため、14日以内に出発するという切迫なデットラインがありました。
もう一人の旅の友が、なんとお腹をくだしてしまいました。下痢と悪寒に苛まれていました。疲れ+高山+食あたりのコンボで、ほとんど自力で歩けない状態でした。
そのため、Maniと私の二人でヒッチハイクをして、車を捕まえたら、ゲストハウスから彼女を連れてくるという作戦になりました。
とにかく、車が来ない!!数少ない車の中で、親切にとまってくれたとしても、ホログに行く車は来ませんでした。
北側(ムルガブ)からくる車はほとんど皆無。西側(ビビファティマなど)から来る車は、終点がランガールであることから、その日はどこにも出発しない、という一点張りでした。中には、私たち3人のために車をだすが、2000〜3000Somoni(25000円以上!)という額を提示してくる運転手にも会いました。そんなお金は実際に手元になかったので、もちろんありえない選択肢でした。数少ない車を待ちながら、自ら私たちに来てくれるのは、犬と暇な村の若者と、天使のように可愛いゲストハウスの娘さんでした。

私たちをあいてしてくれた少年と犬。
Red Bullを運んでくる天使。

村の人々と何度か話す機会がありました。ホログへ行きたい旨を伝えると、「今日(月曜日)の早い時間だったら、帰れたのにね〜」と言っていました。あとでゲストハウスのオーナーに確認したところ、月曜日の早朝にランガール-ホログ間のシェアタクが出ているそうです。もっと早くに教えて〜!!
途中、30KM離れた隣の村まで行く車が現れたので、少しでも前に進みたいという焦りから、一人30Somoni払って、西側に進みました。そこでいくら待っても、ホログ行きの車は来ませんでした。腹痛と下痢をかかえる旅の友は路肩で寝て休んでしました。ここまで難しいヒッチハイクは人生で初めてでした。Maniと私とローカルの人々でただ待ちぼうけして、すでに時計は16時を指していました。

夜が迫り、少しづつ寒くなってきたので、仕方なく、ランガールの同じ宿泊施設に泊まることを決意しました。途中ランガール行きの車があったので、ヒッチハイクで戻ることができました。なんと、もといたゲストハウスに、今日北側(ムルガブ)方面にヒッチハイクで向かったコカコーラとポリーナの姿がありました。とになくみんなでハグを交わしました。彼/女らも私たちと同じようにヒッチハイクに失敗し、元のゲストハウスに戻って来ていたのです。

そんな彼/女らからある興味に深い提案が。彼/女が目指す北側の町であるムルガブと私たちの目標のホログへ向かう道路が交差する場所(パミール高原の交差点)があります。

位置情報が分かるように参考までに。

パミール高原の交差点まで行けば、彼/女らも私たちもそれぞれの方向に向かってヒッチハイクができます(マップ上の緑ルート)。ランガールからそこまで、私たちのゲストハウスのオーナーが1000Somoniで運転してくれるように交渉してくれたそうです。しかも、彼/女らが少し多く払ってくれるというのです。ゲストハウスのオーナーも、この交差点であれば、多くのトラックやシェアタクが通るので、ヒッチハイクの可能性が高いと言っていました。今日ヒッチハイクで全滅していることから、この作戦に参加すること決意しました。今日もまた、同じゲストハウスで同じオシュ(ポロフ)を食べました。昨日と同じメンバーで同じ部屋の同じベッドに寝ました。振り出しに戻る、そんな1日でした。

[10日目] ランガール→ホログ 「地元漁師に助けられ、そのまま温泉へ」

早朝8時に宿を出発しました。オーナーも久しぶりの高収入+長時間運転の気晴らしで、胸が躍っている様子でした。手付かずの絶景がありながらも、地元住民にとって、ランガールから北上してパミールハイウェイに向かう経路は、放牧以外ではなかなか行かないそうです。天使のような宿の少女に別れを告げて、人が住みつかない広大な高原へ!!

私たち乗った車。四駆じゃないと運転できない道路状況です。


ランガールを離れるとすぎに四駆じゃないと運転できない坂と、崖の淵を縫うような道路が続いていきます。途中で、川にか細くかかった橋を渡りました。一昨年は、山からの濁流で、橋が破壊され、北側へ行く手段がなかったそうです。

険しい川。

2時間ほどの鈍行運転でようやく高原に辿り着き、ようやく峠に辿り着きました。車のオーバヒートを警戒して、少し車を休ませる小休止。峠から下界を見下ろすと、寒暖差が激しく、雨の乏しい高山乾燥地帯は、人の定住を許さず手付かずのまま広がっていました。そんなところに来ることができた数奇の運に感謝しました。

峠から見下ろす高原。

出発から3時間後、軍のチェックポイント。

宿のオーナーが身分証明証を家に忘れてきてしまったため、徹底的に荷物を検査されました。加えて、宿のオーナーは軍の人に連れられてどこかへ行ってしまいました。ソ連崩壊後のタジキスタンの内戦で、ワハーン回廊を含むゴルノ・バタフシャン自治州とドゥシェンべが繰り広げた紛争により、中央政府からこの自治州に対する締め付けや監視が強いのだそうです。身分証明なく自由に動くことができないゴルノ・バタフシャン自治州の人々に対する仕打ちに、地元の人々は納得ができないと、地元民が言っていました。

どうにかオーナーが戻ってきて、車を走らせることができました。オーナーはちょっとしょぼんと落ち込んでいる様子でした。きっと何かあったのかな〜、と察しました。途中、休憩がてら、広大な高原を背中に記念写真を撮りました。そうしたらオーナーも笑ってくれました。また、途中何個か点在する塩湖にも立ち寄りました。温暖化により次の世紀にはこれを見ることできないだろうと言われています。

13:40にパミールハイウェイの交差点に着きました。ただただ道路が果てしなく続いていて、数十キロ離れた車も容易に発見できる場所でした。

パミールハイウェイ交差点

ポリーナ/コカコーラはムルガブ(北側)、私たち3人はホログ(西側)へ向かう車に片っ端から声をかけました。最初に車を捕まえたのが、ポリーナたち。

ヒッチハイクを決めるポリーナ。

ロシア語の恩恵もあって、スムーズに交渉が進み、無料でトラックに乗せてもらえました。ホログ方面に行く車も、何台か来ましたが、全てホログ方面の近くの村へ行く人たちばかりでした。たまに、バイクで旅するヨーロッパの人々にも会いました。北側に向かうトラックを停めて、ムルガブに着いたら、北側から来る車に私たちの存在を伝えてほしいともお願いしました。また、ホログ側から来たシェアタクの人に、「3000Somoniくれるなら、ここに戻ってきて、ホログまで運転してもいいぞ」と言われました。提案してくれるのは非常に嬉しいものの、時間/金銭的コストを踏まえて、断りました。私たちを心配してしつこく提案してきました。まさに「熊の親切(медвежья услуга)」でした。断ると、機嫌を悪くしていってしまいました。

待つこと3時間、シェアタクらしき車が見えてきました。3人でも大袈裟に遠くからアピールしました。すでにぎゅうぎゅう詰めの車でしたが、なんとか乗れないか交渉しました。結果、二人なら乗れるとのこと。Maniはオンラインミーディングがあるらしく早めに帰りたい、もう一人は下痢をかかえている、そして私はテントを持っていることから、私が残ることに決定しました。ホログで合流することをい約束し、二人は先に進みました(ちなみに一人150Somoniしたそうです)。

私を乗せずに行ってしまったシェアタク。

一人になってからは、一切車が来ませんでした。先ほど二人を乗せたシェアタク運転手が最終便であると言っていました。水と食料もあるので、一晩生き残れば、どうにかなるという楽観的な気持ちでテントを貼り始めました。キルギスタンから手付かずだった缶詰が妙に美味しく感じました。

缶詰の硬い牛肉を噛む咀嚼音で、最初は聞こえませんでしたが、車のエンジン音が聞こえた気がしました。なんと、私たちが通ってきたランガール(南側)から赤い車が見えたのです。すぎに大声をだして、道路の真ん中に出て、その車を停めました。地元の漁師さんで、ホログへ向かう帰路だったそうです。ロシア語でホログまで乗せてほしい旨を伝えると、快く乗せてくれました。無料でいいと言ってくれました。「パミリスキー(パミール人)にとって、困っている人を助けるのは当たり前だ」と気持ちのいいひと言をかけてくれました。

私をひろってくれた地元漁師さん

さて、私を乗せてくれた方々は、30代(見かけは40代)の二人と、62歳の静かなおじさん、そして17歳の青年の4人構成でした。みんなランガールからさらに東に進んだ湖で魚をとり、そこで干し、ホログで売るというビジネスをしています。試しにと一匹いただきました。味は鰹節の塩分が濃いバージョン。海に面さず、魚を食べる事自体珍しいタジキスタンでは、比較的儲かるビジネスなんだそうです。加えて、干し魚であるため、保存がきくので、リピーターが足えないそうです。

彼らの干し魚

ビジネスだけではなく、ロシア語とGoogle翻訳で、いろいろな話ができました。特に隣に座っていた17歳の青年とずっと長く話す機会がありました。高校生ですが、学ぶ内容が実践性に欠けるので、学校は時間の無駄と不満を漏らしていました。将来は、この魚のビジネスを続けて、お金を貯めてホログに家を買いたいそうです。また、立派な女性と結婚するためには、金銭的基盤が必要なので、可愛い妻と結婚するためにも仕事に精を出しているそうです。みんな、そんな彼を「すけべ野郎」といじっていました笑。また、彼ら全員シーア派ムスリムであり、スンニ派の違いを教えてくれました。この宗教対立やタジキスタンの内戦でドゥシャンベ政府が(パミール人を含む)ゴルノ・バタフシャン自治州の人々に不当な扱いをしている、と不満を漏らしていました。タジキスタンという表層の下にある広大な領土とさまざまな多様性に国民国家の限界を見たような気がしました。

彼らにとって「パミール人」というアイデンティティは誇りであるように見えました。途中、お店で水と食べ物を買ってくれた時も、「パミール人にとって、ゲストをもてなすことは当然だ!!」と言って、私が支払うことを拒否しました。そんなパミール節が続き、「パミールで一番の温泉に入れてやる」と真夜中、真っ暗な一戸建ての家らしき場所に連れて行かれました。

ちょっと怪しい建物の佇まい。

微かに、蒸気が見えたので、しっかり温泉に連れきてくれたのだと安堵しました。暗くても光の反射で青が反射し、浴室中妖艶な青に包まれていたのを今でも覚えています。

青い水質の温泉でした。

あっさりとした肌触りの温水のの中にはほのかな硫黄の匂いがしました。地元漁師さんたちも数日ぶりの汗を流せて終始笑顔でした。興味深いのが水着を着ている人とそうでない人がいたことです。決まった温泉のドレスコードはないそうです。イスラーム教において、裸体を見せることは好ましいことではないそうです。一方で、同性どうしならいいんじゃない?という地元民の見解でした。私は全裸派でしたが、特に何も言われませんでした。このような小規模温泉はパミール・ハイウェイに点在しているそうです。夏でも毎晩のように冷え込むパミール高原において、温泉は心身を癒す憩いの場でした。その夜は満点の星空でした。前日から続いたヒッチハイクがつかまらない緊張感から解き放つ、降るような星空、心温まる温泉、人々の優しさに心底感謝しました。

[11日目] ホログ→ドゥシャンベ 「南京虫+夜空に響く銃声」

ホログに到着できたのは、深夜の1時頃でした。4人の漁師さんはもくもくと積荷を下ろす作業を始めました。もう一度感謝の気持を伝えて、その場をあとにしました。Maniたちと会う約束をしていたのは、前回泊まったSarez Hotwlでした。漁師さんの職場から歩いて30分後に到着しました。このホステルの有り難いところは、何時についてもレセプションの方がいることです。2階に上がっていくとレセプションがあり、いつもみんな仮眠をとっています(起こしてしまい申し訳ない)。旅の友たちはすでに爆睡していました。なにはともあれ合流できて安心しました。

Maniが容赦なく私を起こしてきました。「ドゥシャンベ行きのマシュートカがあるから、行こう!!」とせっかちに促しました。なんでも、今日は大統領がホログに来るから、混まないうちに移動したほういいとのこでした。急いで、シャワーを浴びに行きました。久しぶりの裸の自身の身体を見たら、なんと紫色の斑点が右側のお腹に何個もあるのに気づきました。直近の数日間、たしかにかゆみ自体は感じていました。しかし、ワハーン回廊の慌ただしさに、ただの虫刺されぐらいに思っていました。その斑点から察するに、南京虫のように、同じ部位を集中的に噛んでくるタイプの虫のようです。へさをだして寝ていたのでしょう。かゆみの原因が分かってから、なんだか猛烈にかゆい。ワハーン回廊を旅したのが2023年8月です。この記事を書いている今(2024/3/26)でも、噛まれた跡が残っています。ワハーン回廊が体に刻まれてしまいました笑。

南京虫かしら?

8時半に到着し、3台もドゥシャンベ行きのマシュートカが並んでいました。満杯にならないと出発しないので、軽食を食べながら、待つことに。外から喧騒が聞こえてきました。何台ものジェット機と飛行機が隣の空港に着陸するのを見ました。どうりで、黒いスーツに身をまとったボディーガード的な人が通りを歩いていると思いました。

11時半にマシュートカが出発しました。ギリギリの崖の縁を通って進む移動は相変わらず怖いものです。一方で、渓流、崖、山、向こう岸のアフガニスタンの生活風景が織りなす風景に魅了されました。

安全運転のため、ゆったり車が進んでいくため、日が暮れても、まだアフガニスタン国境沿いを走行していました。そんな静かな夜に、アフガニスタン側から4発の銃声が聞こえました。私達が乗るマシュートカも、すぐに路肩に車を停め、電気を消して、みんなで息を潜めて闇夜の川の畔の様子を伺いました。前方に座っていた女性も頭を抱えて、うずくまっていました。10分ほど待ち、進みました。運転手が「タリバンが4歳の誕生日を祝っただけだ」とジョークを言っていましたが、やはりリアルな銃声はこわいものです。

[12日目] ホログ→ ドゥシャンベ「亡霊現る」

ぎゅうぎゅう詰めで、じゃり道を進んでいく車の中で、快適に寝れるわけがありません。そんな苦しく長い夜に、ちょっとした笑い話が。Maniが私の真後ろに座っていました。彼が私を肩をたたき、後ろを見るように促してきました。何かと思って後ろを振り向くと、白いドレスを着たおばさんが最後部座席に立っていたのでした。そのおばさんは顔の表情がいっさいなく、立っているのです。本物の亡霊が現れたと思い、声を上げてビックリしてしました。それを見て、Maniは大爆笑しました。そのおばさんは、最後部座席中央に座っていた乗客で、座っているのに疲れて、立ち上がっていただけでした。夜+立っている+白いドレスという組み合わせが、典型的な亡霊に見えただけでした。こうして寝れない夜が過ぎていきました。

ドゥシャンベに到着したのは、朝6時。ちょうどGreen Hostelに近づいてきたため、途中で降ろしてもいました。宿に着いたのは、朝6時半。予約していたドーミトリーの部屋にたどり着きました。きれいなシーツの肌触りが、ようやく帰ってこれたという実感につながりました。

[13日目] ドゥシャンベ「ドライヤーで熱々のシャシュリク」

個室に移り、気兼ねなくダラダラしていました。タジキスタン入国からの疲れを癒やすことに専念しました。起きている時間は、Maniがオンラインミーティングしているのを眺めたり、カザフスタンで仲良くなったバックパッカーに会ったり、本を読んだりしていました。あと、もう一つ特筆すべきこととしては、Fさんがまたお家のディナーに招いてくれたことでした。本日はシャシリク!!Fさんの息子さんが、ドライヤーで風を起こし、炭と蒸発する水で、鶏肉を燻っていました。

肉厚なものをしばらく食べていなかったので、生き返りました。

コリアンダーとキューミンシードで香ばしくなった串肉をソフトドリンクで流し込みました。


まとめ


タジキスタンの旅を通して3つ気づいたことがあります。まずは、タジキスタンの面白さ。本当に冒険で溢れていました。情報が少なく、あまり観光化もされていないこの大自然を抱えるタジキスタンという土地に魅せられました。二つ目は、私も余裕があれば誰かに見返りを期待ぜず何かをしたいと思たこと。Fさん、ヒッチハイクの漁師さん、その他にも記事であげていない素敵な人が、後になっても笑顔ほころぶ無償の優しさを与えてくれました。私もそんなことができたら、と思うようになりました(こんな大切なことを旅しないと気づかないなんて、私もまだまだですね)。3つ目は、タジキスタンから垣間見えた、国民国家が内包する多様さが非常に興味深いことです。タジキスタンの中には、タジク人と名乗る人もいれば、パミール人、ワハーン人、キルギス人という別の枠組みにプライドを持つ人もいます。こうした民族意識の根底にある政治的立ち位置、信仰心、言語、歴史観の違いに耳を傾けて旅をしたいと思いました。

また、タジキスタンに足を運びたいと思います。今度は、北側のタジキスタンを中心に巡ろうと思います。

それでは、次回の記事で会いましょう!

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