今日の天使 2021.5.7
今日の天使。
朝、JRの駅改札にいた、すらっと背の高い男性の駅員さん。
会社員や学生たちが気忙しく行き交う駅で、ふきんを持って、少し腰をかがめて、長年相棒の自転車でも磨くみたいにじっくりと券売機を拭いていた。コロナの対策で消毒をしてくれていたのだと思う。その後ろ姿、帽子の下に生えそろっている黒髪がとても清潔に整えられていて小さく感動した。切るんじゃなく刈っているのかもな。ごくごく日常的な、五月の青年。
わたし。
仕事場で会議中に、誰も発言しないままじーっと沈黙が流れたので、はじめに手を挙げてしゃべった。二度の沈黙、二度とも。中身はくだんないこと言っちゃったかなと、がんばっただけなはずなのにいつものようになんかちょっとへこむ。けど、もうよしとする。この"なんか"に既視感があるなら、この前もその前もおなじ調子だったとしたら、それはくせだ。そこに本当のよいことはきっとなくて。
きりがないからおしまい。
おしまいといえば、まだ幼稚園に上がる前のとても小さな頃の話なのだけど。
「それまでかたときも手放さなかったおしゃぶりを、あなた突然!クルマの車窓から投げちゃったのよ」と母親から聞いたことがある。
その風景を思うとちょっと笑ってしまう。
当時住んでいた千葉、大網白里町の潮まじりの空にひとときだけ飛んだおしゃぶり。走り去るクルマ。窓にはぽちゃっとした幼児。どんな顔をしていたのだろう。爽快な顔か、名残惜しそうな顔か。いやそんな複雑な表情はできないか。子どもはちょっとザンコクだからね、けろっとしていたと思うな。
とにかく、もっと遠くへはしってやんぜって、小さいなりに意気込みを感じる。そのときのようなかっこよさで。
遅めのお昼を食べにチェーンのカフェに行くと、いつも私が座っている席がうまっていた。薄明るい照明が照らす、奥まった席。そこにはいつもしっかりもので優しい上司が、おそらくアイスミルクティー、を飲みながらぼーっとしていた。
丁度いい高さで結ばれたポニーテールのてっぺんと鼻すじ、ストローまでがきれいな一直線上につながったような、まっすぐな姿勢で。
仕事場にいるときよりなんだか色気がただよっていて、秘密の瞬間をかいま見たように少しどきっとする。
その席なんか落ち着きますよね、と心の中で話しかけて、そっと違うフロアに移動。
頼んだあたたかいミルクティーを運んで、いつもと違う席に座る。窓を背にしたソファ席で、外はくもり空。こんな天気の日はいつも無意識に、ユーミンのベルベット・イースターを鼻歌でうたっている。
その日に何を鼻歌するかは、本当に自然に、毎日ちがう。ちなみに昨日はよく覚えているのだけれど、晴れた午前中、郵便局に出かけてゆく道で口ずさんだのは岡崎友紀さんの「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」だった。あのうた大好き。
すました顔でミルクティーに砂糖を1個、たりなくて2個投入して、あまさを一身にひきうけた泡をくずしながらかき混ぜる。もう少しあまいのがいいなとちょっと思いながら。
テーブルには、今日提出しなくちゃいけない将来ビジョンのプリント。紙にできた空白部分、3年後にこの場所でどうなっていたいか。まったく浮かばない。テキトーにいい感じのこと書いとけばいいんだよ、そう言ったあの子みたいにはなれそうにない。だって、一度は提出したこの紙きれを真剣に読んで、真剣に批評して戻してくれた(戻すんかい)上司がいるんだもの。
だけど、私も将来のビジョンあるよ。
・古いカレンダーの裏紙に書いた「文章にしたいもの」リストにある 恋や友人や家族のことを書ききる
・それを本にする
・ギターのアルペジオを丁寧にできるようになる
・裸の写真を撮る
・打ち込みでつくった音楽を大事にする
・家族を大事にする
・亜紀子ちゃん(ともだち)に会って色ーーんな話をする
・おだやかな人と恋をする
・子どもを生む 育てる
・家族をつくる
・バイクを買う
・畳の部屋に住む
・東京以外の場所を渡り住む
それ以外は今思いつけない。どシンプルだけどもうとっても大事なことじゃん。ぜいたくだ……。おそれおお、くない自分の人生だもん。
これ全部やるまでは、めげないことに決めている。少しでも幸せに生きられるように、自分で舵をきる。
何歳までにとかはない。ただ書きとめたい感情だけは、熱もふぞろい感もおどろく気持ちもかならず移ろうからその前に綴じなきゃとは思う。それくらいだ。
頬杖をつくと、スウェットの袖から朝つけた香水の匂いがする。ちょっとにがいようなオレンジフラワー。その日でもっとも日が高い時刻から、翳りはじめたときが1番いい匂いだ。床に、外のパチンコ屋の看板のけばけばしい光が映ってる。YouTubeにあがっているローファイのような鼓動のリズムで。ハウルが手にした火みたいに。……赤、水色。
カフェを出ると雨。
傘持ってないやと小走りで帰ろうと思ったけれど、私を悩ますほうの将来ビジョンのプリント(コピー)がちょうど手元にあったので、それをかざしてしのぐ。ゆっくり歩いて帰った。ありがとうね。ラッキー