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水の部屋(ジョゼと虎と魚たち)

雨音が家をつつむようなこんなおだやかな日は、映画「ジョゼと虎と魚たち」のサウンドトラックを流す。くるり。

ジョゼは元々わたしの敬愛する田辺聖子さんの短編で、それが実写化されたものだ。
その人の持つ侘び寂びを、におい立つような色合いで、和歌を綴るように描く。お喋りや、ちょっぴり毒っけのあるユーモアを織りまぜて。そんなイメージが田辺さんの作品には強いのだけれど、ジョゼの話は少し異色のように思っている。小さな子をじっと見守るようなタッチで、淡くてあやうい。

主人公のジョゼについて、モデルになる人物がいたのか、わからない。ただ、瓦解しそうなぎりぎりのバランスでいて、壊しそうに壊れそうに見えるジョゼの少女性は、誰しもが心の底に抱えている、声のないものである気がする。大人になっても、もしくは大人を意識してふるまった子供の頃から、ひっそりと飼い続けてきた。甘えたがりで敏感な、少女のままの"罪のない私"。
きっとだから。
はじめてこの話を読んだ時、剥き出しに近いジョゼが動き、喋ることで感じさせるものに、どことなく嫌悪してしまったのじゃないかな。そしてそれは、社会に生きようとしている人間らしい、ある種の不幸を持っていることなのだと思う。

それにしてもこのサントラ、全曲好きだ。
映画はまだ見たことがないので、ビデオショップで見かけたら借りたい。映画オリジナルのシーンもやはりあったりするのかな。どんなシーンに『サガン』が、『飴色の部屋』が流れるのだろう。

やっぱりエンディングは、これが流れるのだろうか。

全部後回しにしちゃいな
勇気なんていらないぜ
僕には旅に出る理由なんて何ひとつない
手を離してみようぜ

『ハイウェイ〈Alternative〉』

わぁ、映画見たくなってきた……!

今日はサントラが聴きたいんだ、とふと気づく日にはもうほかに選択肢はなくって、それだけが唯一無二でひかっている。
ことばの少なさと余白、私の胸に向かってくるのではなく、外側を流れていく感じがたまらなく好きだ。自分の輪郭を、映像のように眺めているような気分にもなる。

床にすわっている私のかたち。
ユニクロで買った深緑色の村上春樹Tシャツをよれっと着て、短パンから伸びた足を、あわよくば痩せないかとてきとうにさすったりつねったりしている。これはもう無意識で、くせだ。

窓からは自然光がうすく差しこんで、少し前に焚いたお香が白い煙をあげている。お香は以前吉祥寺で買ったもので、「水の香り」らしい。そうパッケージに書いてあった。
煙がゆったりとのぼって、広がっていく。その動きにあわせて、だんだんと、部屋の重力が無くなっていくような気がしてくる。

ロックの景色に混じって、雨の音が、遠く聴こえ続けている。

kemuri (mizu no kaori)

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