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「遺伝」情報と能力主義

遺伝の話、しますよね。

教育においては、例えば「あの子の親は弁護士だから、あの子も頭がいいはず」とか

「あいつの兄貴はいい大学に通ってるから、あいつも地頭は良いんだよなあ〜」とか。

ただ、これ相当危険な考え方じゃないかと思うことがあるんです。

人々は遺伝に対する絶対的な信頼感を持つようになりました。

しかしこの遺伝子情報は差別の対象となりつつあります。

遺伝情報による結婚差別・就職差別

アメリカの結婚相談所や精子バンクでは、ハーバードやイエール大学などに在籍する人だけが登録できる場合が多いようです。

IQによって結婚などの様々な場面で明確な待遇の差が出始めています。

今後、遺伝情報の登録を求められる場合もあるかもしれません。

IQは環境要因も大きいですが、遺伝情報については客観的で意思によって変更することができないものです。

この変えられない条件が可視化され、それを理由に「この人との間に子どもは産みたくない」とか「この人とは結婚したくない」となっているわけです。

これは倫理的に許されることでしょうか。

少なくとも私は、IQや遺伝情報をもとに子どもをつくりたくないと思うことは優生思想に近い何かを感じざるを得ません。

(ちなみに、IQが高い人をもてはやす風潮がありますが、優秀な(?)遺伝子への絶対的な憧れのようなものを感じて気持ち悪く感じます。IQ69以下の人を知的障害と医学者は呼んでいます)

遺伝による保険加入での差別

これまで見てきたように、遺伝情報は21世紀における超重要なプライバシーです。

なぜならそれが差別の対象だから。

「能力」以外にも差別の対象になり得るのが、健康に関する遺伝情報です。

これまでの親の病や遺伝子配列によって、保険料を高くしたり、あるいはそもそも保険に入れなくしたりするような差別が予想されます。

(この動画↓が非常に参考になります)

トランプの演説から見る「遺伝」

私の親は名門大学で教授をしていた天才的な学者であった。だから私も天才的な遺伝子を受け継いでいるのだ。

というような趣旨の発言を繰り返していたようです。

ただ、妙に納得してしまう人もいそうではないでしょうか?

親が優秀なら、それが遺伝して子も優秀なはずで、そんな人の話は信頼できそうだ。

こういう話は案外、ちまたで日常的に行われていないでしょうか。

遺伝情報でIQがわからないとしても...

こちらは、IQと関連のある遺伝"子"が見つかったというニュース記事です。

ただ、それまでの研究では遺伝"子"でIQは予想できないと言われていたそうですが。

仮に予想できないとしても、遺伝への信頼性とそこへの差別意識は消えて無くなるわけではないのです。

むしろ私が問い直したいのは、もともと持っている能力への差別意識です。

IQが高い人への待遇の良さは、逆に低い人への差別を必ず助長します。

(こんな記事も見つけた。本当に恐怖でしかない)

やっぱり何かがおかしい

場合によっては、嘘でも「遺伝"子"でIQや能力がわかる」と誰かが宣言してしまえば(仮に遺伝"子"情報でIQがわかるという説が真実でないにしても、一定の科学者がそうだと言って世論が信じてしまいえば)

それによる結婚差別は起こるようになるでしょう。

そして、それに似た差別はすでに起こっているとも思います。

学歴による選別は、IQ差別のようなもので、そこに今回の遺伝の話と合わせて考えていくと「気持ち悪さ」「おかしさ」を感じるのです。

このおかしさがなんなのか、優生思想と何が違うのか(あるいは優生思想そのものではないか)を問い直していきたいと思っています。

コラム
そういえば、「サラブレット」という言葉も強烈に嫌いです。

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