受験勉強は「有害」であり「罪」である。
この記事は逆張りの精神で書いた。私の座右の銘とでも言えるこの「逆張り」という言葉は非常に面白く哲学的でもあるように思う。要は、社会規範や常識とは全く逆のことを主張したり、実行したりすることで、自分の持っていた当たり前を覆し、大袈裟な例えだと分かりながらも、そこに眠るヒントを探る作業は極めて重要である。よって、この文章はかなり偏っているし、過激ではある。ただ、ヒントは確かに隠れていると信じている。
受験勉強をすることは、「有害」であり「罪」である。能力主義への批判は、いくどとなくこのnoteで行ってきているが、本当に自己責任論や能力主義を心から非難する人であれば、自らも受験勉強することなしに入学できる大学を探しているはずである。だからこそ、有名大学に入学しようとか、受験勉強を頑張って難しい大学に入ろうだとかを考える人は、結局、能力差別主義者であり、自己責任論者なのだ(もちろん、自らの反省も込めて)。理論と実践はよく乖離する。口では自分は努力で受験に成功したわけではないとか、家庭環境が格差に大きな影響を及ぼすと言いながら、理解しているように振る舞っていても、実際には住民税が高いと口をこぼしたり(それによって形成されるセーフティネットの否定である)、受験競争ではできるだけ難易度の高い大学に入学することを希望するのである。これは矛盾以外の何物でもない。本当に格差社会を憎んでいる人は、自分が格差社会で勝てるように受験競争に参加しようとはしないのである。
「罪」に対して、受験生がすべき償い。受験競争に参加してしまった者がすべき償い。
もし、これを読んでいる受験生がいれば、即刻受験勉強をやめると良い。難易度が高く、社会的に評価されていると言われる大学に入学しようとすることそれ自体が、格差社会の容認であることを忘れてはならない。入試なしで入学することができる大学に入るべきである。すでに受験を終えてしまった者については、合格した学校や自分の所属する大学を他者に伝えることをできる限り避けるべきである。難易度の高い大学に進学することは良いことであるという社会通念の形成に加担してはならない。したがって、他者に対して所属大学や学校を聞くことは許されない。また、テストスコアも聞いてはならない。できることならば、自分が所属する大学が難易度の高い大学であればあるほど、そこを退学すべきでもある。
そして、学歴差別の反対運動に寄与すべきである。自分が享受してしまった学歴という特権(格差を生み出す根源たる特権)を放棄するための社会的運動に参加する責任があるだろう。学歴差別禁止法を制定し、履歴書から学歴欄を削除することを提案しなければならない(こちらの記事参照)。就職に際し、学歴を利用した者、いわゆる新卒カードを利用した者も同罪である。これは格差社会を作り出す有害な行為であって、本来許されるべきではない。学歴の特権を利用しようとする者は、総じてその特権を手放さなければならない。
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