LGBTの研究11 ~Unconscious Homosexual(無自覚のホモ)とシンギュラリティー~
LGBTについては問題が山積しているんですが。ひとつのテーマとして、Unconscious Homosexual(無自覚のホモ)があまりにも多いということ。UHに関しては右も左も関係なく広く存在します。これがまた話を複雑にしている(´・ω・`)。
多くのUHは自分をヘテロだと思い込んでいるし、ヘテロだと言われたがる。右はUHがLGBTを差別し、左はUHが「LGBT差別はけしからん」と言いながら「貴方自身がホモですよ」と言われると激しく動揺し現実を受け入れない(´・ω・`)。
なぜ人は自分がホモであることを忌避し恥じ認めたがらないのでしょう。これこそが「LGBTの研究」におけるひとつのシンギュラリティーであり、哲学的な答えをあらかじめ用意する必要があるところです(´・ω・`)。
「LGBTの研究」で科学的事実を詳らかにすることはできます。ただ、そのファクトが世界人類に対して、長期的にどのような影響を与えるか。この問題に対してあらかじめ哲学的な答えを用意しておかなければならない、ということは再三再四警告してきました。AIなどより遥かに重要なシンギュラリティー。
ただ、この哲学的テーマに対して協力してくれる、碩学、哲学者はいまだに現れないし、また俺が一人で全部やるのかよー、という(´・ω・`)。
「碩学」というのは協力してくれる共同研究者が複数いてはじめて真価を発揮するもので。孤立してしまっては研究の進捗も覚束ない。なぜわたしは毎度毎度孤立するのか。これは幼少時からの習い性で。まさに三つ子の魂百まで。
茂木健一郎先生は伊東乾先生同様過小評価されている。どうも碩学は過小評価される傾向がある。それだけ総合知の真価を理解できる人間が少ないのです。
まあ、世間的には相変わらずシスヘテロは男女共に同数だとか、ホモセクシャルは性的マイノリティーであるとか。デタラメな言説が常識として流布していますが。このテの常識は「天動説」のようなもので。多数派ですが間違っている(´・ω・`)。
わたしが圧倒的少数派の「LGBTの研究」に自信を深めているのは、コロナ論議、財政論議と常に圧倒的少数派に付きながら最終的には常に正しかったからです(´・ω・`)。歴史を鑑みても新しい真理の発見は必ず少数派の意見から生まれる。
それらの実績があるから、最初は「LGBTの研究」に懐疑的だった人たちも、現在では一理あるのではないかというところまで来ている。ただ、あくまで真理であると認められたところがスタートで。後世を彩る様々な研究者たちに真剣に研究、議論して頂きたいのです(´・ω・`)。
「LGBTの研究」は本当に幅広く応用が効きます。歴史も生物学も、今まで謎だった事象が明らかになってゆく。本当に基礎的な研究であるがゆえに応用の幅もまた広い。総合知にも専門知にもぜひ自身の研究に活用して頂きたい(´・ω・`)。