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ドーナツにくるめられた優しさ

When I ask people "How are you?" I mean it.

僕は機嫌が悪く、不愛想でした。

「元気?って口だけじゃなくて、ほんとに心配してるのよ」

てな感じです。元気なさそうに見えたから気づかってくれたのでしょう。
いつものダンキン・ドーナツのおばちゃん。申し訳ないことしました。

いつもの様子と違うことに気づいてせっかく聞いてくれたのに、
僕は「はい、はい」って感じの返事。
これは米国・フロリダでの学生時代のお話しです。


1.How are you?

英語の"How are you?"、これにはあまり意味がありません。
ただ「こんにちは」と同じです。さらに、"So, how are you?"と続けば、「で、どうよ最近」みたいな。「なんか最近あった?面白かったこととか」のように本格的なHow are you?に入っていきます。

うわべだけの付き合いの人やお店などでの対応なら、最初の「うわべHow are you」で終わりますが、ちょっと親しくなってくると更に「本気How are you」が続きます。そのダンキンのおばちゃんはもう顔見知りだったので「本気How are you」をくれていたのです。

それなのに僕は・・・。

2.Flight Training

フロリダにはたくさんのパイロット養成学校があります。一年を通してお天気に恵まれているこの州には、アメリカ人だけでなく世界中から留学生が、小規模なFlight Schoolから大きなAviation Collegeまで、それぞれの目的に合わせて集まってきます。どの規模の学校に行こうが、Flight Trainingというのはピアノのレッスンの類とは違います。実際にピアノを家で弾いて練習していくようなことができないので、イメージトレーニングをしていくしかありません。それよりもなによりも一般のイメージと大きく違うところは、間違いなく知識面での準備・勉強でしょう。

いろんな種類の免許が存在しますが、いずれを取得する為にも国家試験に合格しなければいけません。その中にOral Examという口述試験があります。これは例えば「現在のアメリカ大統領は誰ですか?」というような一問一答形式ではありません。エッセータイプの問題を口頭でやるようなものです。一般的にわかりやすい説明として、引き続き政治を試験に例えるとこのような感じです。

「現在の民主主義についてどう思われますか?機能していますか?その理由は?いつ頃から変わってきたと思われますか?根拠は?これに関わるもので改正された法律はありますか?最新のものは?背景は?普段これを意識してどのように政治にかかわっていますか?」などなど、30分から1時間ほど質問責めにあうのです。まさにgrillされたという表現を使います。

これを、気象・法律・規程・性能・管制などの各科目全て。求められる知識を新聞1部とすると、経済・社会・国内・国際・スポーツ面、どのページをめくって質問されても、正確にエッセー問題のように答えられないといけません。筆記試験だけだと当てずっぽうで正解した箇所、一夜漬けで山が当たっただけの箇所の特定ができません。それだけ深い理解が求められるのです。

ということで毎回当日のレッスンの為に勉強してきた分野についての教官による口述、これに対する準備というのは相当なものです。うまくいく時も、こてんぱんにやられる時もあります。あまりにもできが悪いと途中でふるい落とされ、パイロットへの道が閉ざされてしまいます。

3.ダンキン VS クリスピークリーム

しんどい時や気分転換したい時、何か一区切りついた時、いつも海岸沿いにあるダンキン・ドーナツへ行っていました。この店舗は家から少し遠かったのでそんなに頻繁に行く距離ではありませんでしたが、海辺を音楽聴きながらドライブすると気晴らしになるんです。このコースを往復して家に帰ると、少し気分が落ち着いてくる感じでした。僕はダンキンのコーヒーが大好きなんです。ここのコーヒーを飲みながら家路につくひと時がとても好きでした。帰宅したらゆっくりドーナツ、これがお決まりの順番。これで「よしまた頑張るぞ」とリセット完了です。

コーヒー注文時に"Milk and sugar?"と聞かれ、ブラックが苦手な僕は"Yes please." するとこのおばちゃんものすごい量の砂糖を入れるんです。でかい大さじ3杯ザクザクザク。ヒエー。止める暇がないスピードで。
"Some more?" 「もっといる?」と聞かれてYesなんて言ったことありません。でもめっちゃ美味しいんです。僕だけかと思ってたらYouTubeで見つけました、食べ比べの動画。なかなか辛口の真剣勝負。やっぱり僕の舌はあってました。

「Dunkin vs Krispy Kreme Taste Test」やはり、ダンキンのコーヒーが圧勝していました。(12:05 あたり)
そして僕の大好きなドーナツはBoston Cream。これもなんと勝ってました。そうだよなぁ、でしょ?!と一人で盛り上がってしまいました。
(16:36 あたり)

この2社、面白いですよ。アメリカのTwitterでも仲良く争ってるのを見ます。「ドーナツのスペルはDoughnutsだろ」「Donutsで何が悪い」みたいなやりとり。ちなみに、ダンキンのDonutsはアメリカ寄りのスペルなだけで、別にどっちも正解です。同じ英語でも、いろんな単語のスペルが英米で違うのはご存知の通りです。

4.日本のドーナツ市場

ダンキンは90年代後半に撤退し、現在日本に店舗はありません。日本のドーナツ市場はミスタードーナツの独壇場で、いわゆるアメリカンドーナツが食べれるドーナツ店舗としてはクリスピー・クリーム・ドーナツしかありません。(スターバックスにも商品として置いてはありますが、ドーナツ専門店のものではないので除外させてもらいます。)そのクリスピー・クリームも日本では苦戦しているようで、店舗の数は多くありません。

厳密に言うとダンキンは1店舗だけ沖縄にあります。残念ながら一般の方は普段入ることはできませんが、在日米軍の嘉手納空軍基地の中です。以前、仕事で基地内に入った時に目にしたのですが、どうしても時間の都合上 寄る暇がありませんでした。とても残念でした。

いつかまたダンキンには日本市場に参入してほしいとは思っていますが、難しいでしょうね。そもそも日本にはそんなに強いドーナツの文化がありませんから。

5.アメリカでのドーナツの位置

アメリカではお誕生日会など何か催し物があればとりあえずドーナツの登場です。長くなりそうな会議ならすぐドーナツ。大勢集まるものならなんでもドーナツ。2ダースとか3ダースとか、箱ごとテーブルにのっています。
カラフルなドーナツが並んでる場所は誰の目にも留まります。
ゆっくり寝ていたい土曜の早朝の集まりでも、コーヒーとセットでドーナツにお出迎えをさせることにより、みんなをリラックスさせ、場を和ませる。大切な役割をドーナツたちは担っているんです。

個人的にはミスドではダメなんです。サイズが小さく、甘さが抑えてあって、可愛すぎて。アメリカンドーナツで育ったらそれが基本の味。育った環境の味が、その人の基本の味になってしまいます。母の味が忘れられないのと同じで、舌が覚えてるものはどうしても変えれないです。
ミスドはミスドで日本で受け入れられる味、日本市場においてむしろ賢いやり方だと思います。

クリスピー・クリームが2006年に日本に上陸した時、店があまりにも綺麗でオシャレで戸惑いました。アメリカにある店舗は、衛生上汚いと言っているわけでは決してないのですが そんな小綺麗な店ではありません。例えば行列のできるラーメン屋が、きらきらのフレンチレストランのようだったら違和感ありませんか?どうして日本に参入してくる欧米のお店はこうなってしまうのでしょうか。敷居を高くすると、軽い気持ちで寄りにくくなるだけだと思うのですが。

フロリダの自宅の近所にもクリスピー・クリームの店舗がちゃんとありました。遠いダンキンと、近くのクリスピー・クリームを使い分けて楽しんでいました。ここのホットドーナツ美味しいんです。夜の雨の中わざわざ並んだこともあります。日本では食べれないと思っていたら、どうやら関東の限られた店舗にはあるようです。そのことをツイートしたら、ちゃんと下のようにお返事いただきました。

6.ダースの文化

A dozen donutsなどの1ダースという単位は12個を示します。皆さんも学校で習ったはずです。そもそもどうして「12」なのかご存知ですか?「12」という数字は、3人でも4人でも6人でも割り切れます。「11」や「10」なら割り切れる人数が少なくなってしまいます。だからこのDozenというのはすごく優れた単位で、大人数で注文する際に数字として「12」はちょうどいい数なんです。

一方、日本では「卵を1パック買ってきて」とは言いますが、「1ダース」とは言いません。そもそもその1パックには10個やら4個の卵。日本ではダースで買う商品はほぼありません。

どうりで"Dozens of donuts"という表現があっても、日本では広まらない訳ですよね。だって1ダースで注文する機会がない訳ですから。表現としても"Two dozens of cookies"「クッキー24個」なんて日本語では言いません。"Dozens of books"で、12という数字とは関係なく「たくさんの本」を意味する表現もありますが、そもそもダース文化がない日本ではしっくりこないのも当然です。

言葉というのは背景にある文化を理解していないと本当に会得するのは難しい良い例です。使わないものを覚えられる訳がありません。日常の感覚というのは、言葉を学ぶ際には大きな要素だと思います。例えば「今日の気温は36℉だって」と言われて暑いのか寒いのかパッとわからないのは、その指標を使って生活をしていないからです。「36℉しかないんだって」と言われるとひょっとして寒いのかなと思い始めるかもしれませんが、体感的に知っていないと冗談すら通じません。インチやポンド、マイルなどもそうです。

*36℉:アメリカで使われる華氏36℉は、摂氏で約2℃。寒いです。ちなみにフロリダでは100℉(約38℃)の日はざらにあります。

7.差別 

さて、その日がどんな日だったかまでは正直覚えていません。One of those daysとしか言えません。その日のFlight Trainingはよほどできが悪かったのでしょう。そういう日はいくらでもあります。自分を擁護するわけではありませんが、自分の性格として人にちゃんと対応できないほどですから、よっぽどひどい目にあったのだろうなと想像します。まだ学生でしたし、ストレスの許容範囲も狭かったはずです。

ダンキンのおばちゃんに不愛想になってしまった原因の一つとして(アメリカ)社会に対する期待値が低かったというのもあると思います。どういうことかと言うと、海外で一定期間生活をしたことがある方ならわかるはずですが、アジア人への差別というのは露骨にあります。幸運なことに僕はアメリカとヨーロッパの両方で長期にわたって生活を送ることができました。実体験として、差別というのはどちらでも強かったです。日本で生活をしていると決して経験することができないことです。

8.臨戦態勢

日本で生活している外国人が、日本人に対して露骨な差別の感情を見せることはほとんどないと思います。そもそも日本が好きで生活しているわけですし、自分の立場が弱くなるようなことをする人は少ないはずです。海外からの旅行者だって日本に興味をもって来ているのですから、そんな感情があるならわざわざ来ません。

日本で見かける外国人(特に欧米人に対して)、陽気でフレンドリーなイメージを持っている方が多いと思います。本当に彼らはそうなんでしょうか。僕の目にはただ単に、日本が好きで日本人と仲良くやっていきたい、敵対心はないよという意思表示として映っています。真面目な話をすると笑顔は消えますし、不平不満もある。根暗な人もたくさんいます。だからと言って、不愛想に生きていくわけにもいかないですものね。差別もされたくないし。

あなたが英語が得意でないとします。一生懸命に拙い英語を話しているのをじっと聞いてくれている外国人がいたとします。たいていの場合、そのように真摯な対応を見せてくれるのは、日本人が好きだからというのが一番の理由ではないでしょうか。しかし一歩日本を出ると、日本のことに興味を持っていない人のあなたへの態度は全く違います。

欧米ではあなたの英語になまりがあるとわかった瞬間に、またはアジア人であるというだけで、話しすら聞いてくれない人はたくさんいます。道を親切に教えてくれるのが普通ではありません。住んでいる地域によっても大きく異なりますが、名の知れたホテルに宿泊しているからと言って、アジア人の客に対して常に親切な対応がなされる訳ではありません。そういう中で日常生活を送っていると、親切にされるという期待値がとても低くなります。

海外に住んでいた日本人は気が強いという話しを耳にすることがありますが、日々戦っている表れなんだと思います。海外在住の日本人の友人を見ていて感じますが、主張するところははっきり主張するという姿勢は自然に身についています。さもないととてもまともに生活していけないからです。常に臨戦態勢でいるというと言い過ぎかもしれませんが、日本に帰るとホッとする理由の一つとしては、そういうことから解放されるというのもあるのではないでしょうか。

9.Minority

そういうこともあって僕はアメリカで(しかも若い学生の身分で)、真剣に相手をされるという期待をしない日常生活を送っていました。差別があって当然の世界での生活、設定していた期待値がそもそも低かったのです。かと言ってうな垂れているわけでもありません。いちいち気にしていられないんです。なめられないように言いたいことははっきり言います。ただ、全てにおいて高望みをしないということです。

日本で生活をしていると、いろんなサービスに極度に高い期待をしている人々が多いことに気づきます。コンビニでですら「お客様は神様だろ」とか「客し対して失礼だろ」とかいう言葉が出てくる。非常に興味深いです。期待値の設定レベルを下げると、すでに十分なサービスを受けていることに気づかないでしょうか。

欧米のレストランによっては白人中心の客層のところもあります。アジア人としては入りにくいお店があるのも事実です。観光客が多い所は別ですが、比較的こういったドーナツ屋やmom-and-pop系のお店は敷居が低く入りやすいです。客層を見て、ここは結構Minorityが多いな、従業員にアジア人もいるな、なんて確認することもありました。日本を出ると自分がMinorityであることを痛切に認識させられます。こういうことを日々無意識に考えていると、いかに中華街や韓国レストランの存在が心強いことか。

昨今のBLM(Black Lives Matter)運動を見て、黒人って大変だなぁなんて他人事のように見ていられません。日本人は、いえアジア人は、立派なMinorityです。事実、コロナ渦のなかアジア人へ対する露骨な嫌がらせがたくさん報道されていたのは記憶に新しいはずです。BLM運動は「黒人の命」ではなく「黒人の命"も"」大事であるという運動です。アメリカの抱えるとても複雑な問題でこれに関してはいろんな意見がありますが、我々Minority全体の運動であると感じている、黒人以外の人々もたくさんいるのです。

このような複雑な社会の中でも、国内外にはリスペクトの気持ちをもってMinorityにきちんと接してくれる人々がたくさんいるのも事実です。そういう方々とは本当に大事につきあってきました。どうやら教養があるというよりも、育った環境がそういう人間にしているのだろうなと考えるようになりました。どういった職業についていようが、世界中どこへ行こうが、きちんとした人はきちんとしています。外見も年齢も国籍も人種も性別も学歴も関係ありません。これはユニバーサルなものです。あのダンキンのおばちゃんもその一人です。

10.アジア人

残念なことに日本にも差別はあります。あなたの周りに、露骨に中国人や韓国人を嫌っている日本人はいませんか?それと同じようなことを海外で日本人はやられているわけです。外国人の近所のゴミ出しの分別で争いが起きている報道も最近よく耳にします。なぜそんなに強く出れるか。日本では自分たちがMajorityだからです。そんな人でも一歩外へ出たとたん自分はMinorityであることに気づき、自分のことが小さく見えるはずです。結局はアジア人という集団の中にいると落ち着いたりするものです。誤解のないように言っておきますが、欧米人と付き合わないということでは決してありません。僕にも長年親しくつきあっているいろんな国籍・人種の友達がいます。自分が基本とするホームベースの意味合いで話しを続けます。

フロリダでは、ふとした小さな出会いで韓国人のコミュニティに受け入れられ、大変多くの韓国人の友達・知り合いができました。食の文化が近いのも理由で、海外での多くのアジア人は、それぞれのコミュニティを少し広げてアジア人という枠の中で助け合って生きています。中華街・韓国レストラン・日本食料品店、食の文化の助け合いは特に助かります。日韓問題が取り上げられる度に不思議に思います。僕は幼少期をマレーシアで過ごしましたが、近所には仲の良い中国人とインド人の友達がいて毎日のように一緒に遊んでいたのを覚えています。子供には差別という感情はいっさいありません。なぜ国同士のレベルになるとこうも仲良くすることが難しいのか。

11.結局

そんな背景の中、ダンキンに行く時の僕の中の期待値はいつも低い設定でした。ところがその日、僕のようなアジア人の若い学生に対し、こともあろうが白人の年配の女性が真剣に対応してくれたんです。戸惑いがあったのはそれも理由の一つです。期待値が低いのに、意外な形で僕のことを普段から常連とみてくれていて、気遣いもあったことがわかったんです。そんな女性に対し不愛想な態度をとってしまったわけです。それは後悔します。

いつもより元気ないように見えたのでしょう。こちらとしては落ち込んで機嫌が悪く人と話したくない。目も合わさず"Yeah, I'm good." かなんか適当に言って会話を終わらせようとしたのだと思います、よく覚えていません。気分を害したとしても不思議ではありません。車に乗ってから後悔しました。せっかく気づかってくれたのに、あんな態度はダメだよなぁ。運転しながら引き返そうかとも思いました。でもまた来ればいいか。結局その日はそのままコーヒーを飲みながら運転を続け、家でドーナツを食べる、いつものルーティンを完了させたのだと思います。

気になったので数日してから謝りに行きました。その日はおばちゃんはいたけど混雑の中ほかの人の接客中でした。しばらしくしてまた行きましたが、今度はおばちゃんがシフトに入っていませんでした。いつでも話せるやと思っていたおばちゃん、探しだすとなかなか会えないものです。そこにおばちゃんがいるのに別の店員に接客されてしまった日も。そうこうしている内に僕はフロリダを去ることになってしまいました。

12.その後

確か2年もしない内だったと思います。フロリダへ数日間戻る機会がありました。せっかくのチャンスです、当然そのお店に向かいました。が、もうそこにはダンキン・ドーナツはありませんでした。理由はわかりませんが、建物ごと消えていました。おばちゃんの所在なんてわかるはずもありません。後悔しています。人生そんなにチャンスってないものです。これ以来なにごとも、チャンスは何度もくるものではないと思うようにしています。そして何か人に気持ちを伝えたいことがあるなら、なるべく早く伝えるように努めています。だってあの時引き返していたらすぐに謝れたんです。また今度でいいか、いつでもまた話せるだろうと思っていたから、こうして一生話しをする機会を失ってしまったわけです。

普段さまざまな場面でチャンスを逃す人を見かけます。面白いことにそれがチャンスだと気づいていない人がほとんどです。伝えてあげても見えないから逃してしまうんです。チャンスとは、自分がそのタイミングでつかむ準備ができていないとどうやら見えないもののようです。この時以来、仕事であれプライベートであれ、チャンスだと思ったら、ピンときたら、躊躇せずつかむようになりました。そして経験上、往々にしてそれは正しい決断だったことが後からわかります

13.ダンキンが好きなわけ

もうあの店舗はないし、あのおばちゃんに会うことはないでしょう。でも、アメリカに行ったらどこの店舗でもいいからまたダンキンに寄りたいと思っています。あの大好きなコーヒー飲みたいし、ドーナツが食べたい。舌がしっかりと覚えているから。もう一つ。心がしっかりと覚えているんです。学校の授業などで詰め込む知識はで覚えようとしているからすぐ忘れてしまいます。でも舌や心で記憶したものは忘れません。母の手料理や感動した出来事は一生忘れないのと同じです。ダンキンへ行くとなんか温かい気持ちになれるんです。あのおばちゃんがHow are you?って、うわべの挨拶ではない本当の気づかいの温もりをくれたから。舌と心の両方で触れてくれたダンキン、どうして忘れることができるでしょうか。

これが僕がダンキン・ドーナツが好きな理由なんです。日本ではいまのところ、ダンキンに似た本格的なアメリカンドーナツはクリスピー・クリームでしか食べれません。その頃食べていたアメリカンドーナツの味が恋しくて、時々クリスピー・クリームのドーナツを食べます。ちゃんと舌が覚えていて、口にするとやはりあの頃のことがよみがえります。クリスピー・クリームで夜並んで買ったホットドーナツも、ダンキンのコーヒーとドーナツの匂いも。ドーナツを食べたいろんな場面だけでなく、あの時代のいろんな風景、あのおばちゃんの顔も、いまだにちゃんと浮かんでくるんです。

When I ask people "How are you?" I mean it.

いつまでも忘れない言葉というのは、心に触れた言葉。今でも昨日のように覚えてるこの出来事、僕の心に触れたから。こういう何気ない言葉で誰かの心に触れることができたら最高ですね。ちょっと気分が沈んでる時、少し踏ん張らないといけない時、アメリカンドーナツを食べます。あのおばちゃんが力をくれるような気がして。

*****

ついこの間も、自分で娘にこう言っていて気づきました。
なんかいまいちな返事な時に"I mean it."って。
これってダンキンで学んだことなんです。
忙しいやりとりの中で、僕に一生モノを自然に教えてくれました。
あのおばちゃんが。

かくして、僕にとってドーナツは優しさでくるまれているんです。
そしてアメリカンドーナツでなければいけないんです。
あなたにはそういう食べ物ってありますか?

最後まで読んでいただきありがとうございました。
ただいま次回作を執筆中です。
またお立ち寄りください、ぜひ!
Happiness is like a cloud, staying up there, no matter it rains or shines. 
Thank you for lifting my spirits.
寺ピー


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