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割れてしまったお皿はもとどおりにならない

札幌に住んでいたことがある。たったの2年間だった。
振り返ってみればあまりに短かったけれども僕の人生では最も濃密だった時期。

当時の僕は27〜28歳。なんというか現役という表現が適切な年頃だと思う。

札幌のいいところは人との距離が近いところで、仕事都合で友達ゼロで引っ越した僕も、夏になる頃には職場以外での友達が7人くらいできた。「とりあえず飲みに行こう」と一緒にお酒さえ飲めば分かり合えるということを覚えたのはこの時だ。

その中の友達のひとりとはビアガーデンで知り合った。隣の席で飲んでいたグループの中のひとりだった。その人は目を見た瞬間に全てを察した。何もかも見透かされて恥ずかしいと思うほど澄んだ瞳をしていた。と思えば突飛な発言を繰り返し、あたかも突飛と思っているのはあなただけという瞳をまた向けられる。

それが、札幌時代の最も重要な人物との出会いだった。
そして丸2年間、生活の中心にいた。

その出会いの後も、しょっちゅうサシ飲みに行き、一緒にギターを弾いた。それでもどれだけお酒を飲んでも一度として酔っぱらうことはなかった。

が、ある時僕はその時には踏み込んではいけなかったとこに踏み入れてしまった。そして3ヶ月の疎遠ののちまた自然と会って、いつものようにお酒を飲んだ。

その時僕は気がついた。完全にお酒に酔っている。

それからしばらくして踏み込んでしまった出来事のことを話す機会があったのだが、僕の体はアルコールに飲まれてしまったことからも僕自身が元通りにはならないと完全に理解した。

その時に村上春樹の一文を思い出した。

起こってしまったことというのは、粉々に割れてしまったお皿と同じだ。
どんなに手を尽くしても、それはもとどおりにはならない。 -海辺のカフカ-

それまで28歳の僕は一緒に酒を飲めば分かり合えてなんとかなると人生を甘く見ていた自分を過去のものにした。




札幌を去って1年後、その人から珍しいことに一度電話があった。30分くらい昔話を一通りして、当時のことを噛み締めていた。割れているお皿がもとどおりにならないことを再確認するように。悲しいでもなく納得し合う時間だった。



そしてさらに3年後、ママになるという知らせが届いた。
心の底からおめでとう。

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