はじめ

獣の日記帳。

はじめ

獣の日記帳。

最近の記事

いろいろあって、それからまたいろいろあった。

診察やカウンセリングでは、ひとりで溜め込まず、自己開示するちからを身に着けたけれど、どうやら一般的じゃないみたいで、みんな飲み込んでいるんだよと突っぱねられて恥ずかしかった。もうあまりひとに個人的な弱音を話さないことにした。執着を手放して、孤独になって、地に足ついてないような感覚、地面がひんやりしていてどこまでもひとりぼっちでいる感覚、たぶんずっとわすれない。 勝手に傷ついて、勝手に治っていく。と言うひとがいたけれど、彼らはたぶんそれでおしまいじゃないんだよって言いたかった

    • 四月、不安になる。

      四月に入ってすぐ、椎名林檎のギブスを聴いた。四月に入ってすごく不安で心細くてどうしようもなかった。なにより事業所の一日体験に行けなかった。めまいを再発した。だんだん良くなってきているけれど、朝寝起きが不調だとほんとうに自信をなくしてしまう。はやく元気になろう。 友だちがアプリで恋活を始めたらしい。それを聞いてわたしもいいなと思ってアプリを入れてみたけれど、むかし好きだったひとに振られたばかりでそれどころじゃなかった。やっぱりはやく元気になろう。 天気が崩れがちで、なかなか

      • 事業所見学へ行ってきました。見学を終えてひと安心した眠れぬ夜。これからやることいっぱい。どうかおだやかに過ごせますように。

        • 母親の愚痴や文句は、わたしとの関係性をきずくものだったのかな。

        いろいろあって、それからまたいろいろあった。

        • 四月、不安になる。

        • 事業所見学へ行ってきました。見学を終えてひと安心した眠れぬ夜。これからやることいっぱい。どうかおだやかに過ごせますように。

        • 母親の愚痴や文句は、わたしとの関係性をきずくものだったのかな。

          おかあさん、わたしを産まなくてもお姉ちゃんのことをあいしていたと思うよ。

          おかあさん、わたしを産まなくてもお姉ちゃんのことをあいしていたと思うよ。

          眠っていました。

          聴覚過敏でしばらく横になっていました。脳みそがもやもやして、あまりにつづくのが心配で脳神経外科へ診察を受けようかと考えていた。ネットで調べたら適応障害の疑いとして精神科を勧められた。ふりだしにもどる。 手づくりおべんとを持って、適当なベンチでたべることをしていた。風にあたるのがすきだ。葉っぱがきらきらゆれるのもすきだ。ひだまりで温められたブランコにゆられて、ありのままで居られて安心した。すこしずつ日々を繋げてゆく。 持病を抱えてから、老いや死を目の前に感じる。すこしずつ身

          眠っていました。

          聴覚過敏がひどくて、集中力が落ちています。パフォーマンスが下がっている。とてもしんどい。安物だけれど、ヘッドホンを買いました。とどくのがたのしみ。

          聴覚過敏がひどくて、集中力が落ちています。パフォーマンスが下がっている。とてもしんどい。安物だけれど、ヘッドホンを買いました。とどくのがたのしみ。

          夜になって昼をおよぐ。

          先日は遠出をした。モーニングをめあてに早起きをして、いそいそとバスに乗って長時間ゆられていた。モーニングのお店はとても混んでいててんてこまいだった。さっと注文して、さっとたべて、さっとお会計を済ませて出たので味がよく思い出せない。なんだかやさしさやぬくもりのはじっこをもらったような気がする。また行きたい。 その日、歩いてちいさなデパートの最上階へ行って散策していると日当たりのよい庭園をみつけた。ベンチやカウンター席が揃っていて、緑も多い。鳩もにんげんものびのびとしていた。こ

          夜になって昼をおよぐ。

          素直になるということ。

          (きょうの手づくりおべんとは、すこし気を抜いてみた。味つけが濃くてたべやすく、ばくばく早食いになってしまった。やっぱりちゃんと主菜副菜のバランスが整っていたほうがいいな。反省点だ。けれどたまにはいいよね。) おうちを見渡して、だらだらとなんとなく歩いてみて、いったんじぶんのこころを落ちつかせるというリセット方法が身についた。現在地や現状はどうであるか、言語化できるようになった。じぶんひとりで自由に過ごすことも増えてきた。自由な決断は心地よい。おうちのおとなたちにじぶんのこれ

          素直になるということ。

          空港にて。

          空港にて。

          和解のかたち。

          日々一歩一歩、着実に踏み出している。母親の前で手帳をつかっても怒られなかった。母親もひとりのにんげんとして生きているのだとこの身で肌で感じている。お姉ちゃんに伝わることばがないとき、わたしのなかで葛藤や混乱がある。祖母のうつがひどくて、もうこのひとは根っこからそうなんじゃないかと疑ったままいちにちを終えることが多い。心労が耐えない。このままではいけない、となんどもなんども祖母には訴えてきたけれど、この家の主を名乗る祖母はなにひとつ行動をしないようにみえる。わたしが朝活しないか

          和解のかたち。

          わたしのお姉ちゃん。

          母親に近所の食堂へ行こうと誘われて、母親とお姉ちゃんとわたしの3人でお昼ごはんをたべに出かけた。母親はお姉ちゃんに合わせてからあげ定食、お姉ちゃんは沖縄そば小、わたしはここでずっとたべたかったレバニラ定食にした。注文を済ませて待っているあいだも、ごはんが席にとどいてからも、たべているあいだも、お姉ちゃんはずっと不機嫌だった。いらだちが抑えられずにいるらしい。最近までわたしも母親も祖母も不安定だったし、お姉ちゃんからの信用をすこしうしなったような気がする。 たべてあとに、徒歩

          わたしのお姉ちゃん。

          +2

          きょうの手づくりおべんと。おやつ。

          きょうの手づくりおべんと。おやつ。

          セルフケアについて。

          (写真はこの街の住人。けっこう前からずっとあの木のしたに居る。見かけるとときどき写真を撮っている。なんとなくせつなくて、きょうも会えたなあとすこしだけこころが弾む。) 身体をよくほぐすこと、マッサージをすること、夜は玄関から街を見渡すこと、朝活として瞑想やストレッチをすることをつづけている。それでもまだ2ヶ月ぐらいだろうか。マインドフルネス初心者ではあるけれど、ここがカウンセリング室でなくても、ずっと落ち着かなかった部屋にひとりで居てもじぶんの気持ちに素直になれているような

          セルフケアについて。

          自立に向けて。

          きのうは朝から通院先の相談室に電話をかけて、担当の相談員さんとお話した。作業所のこと、障害年金のこと、家庭環境のこと、経済的な自立がしたいこと、生保から抜けたいこと、気持ちが溜まり溜まっていたのもあって一気に話してしまった。けれど相談員さんは落ち着いたようすで、会って話しましょうと言ってくれた。来月の通院日に予定をあけてもらっている。いつでも来てほしい、準備しておくと言ってくれた。電話を切る直前に安堵感から泣いてしまった。たぶん気づかないふりをしてくれたと思う。相談員さんは、

          自立に向けて。

          減量中。

          摂食の問題があり、たべられなかったりたべすぎたりを繰り返していて、ついに糖尿病として身体にあらわれた。内科にも通って、毎月検査や栄養指導、診察をしている。病院でははじめにタニタに乗るのだけど、わたしの脚の筋肉量は男性並みにあるらしくて、また脚、体幹も含めて筋肉の質がとってもいいらしい。毎回のようにほめられている。わたしは車を運転できないけれど、そのぶん歩くので、習慣になってよかったことに挙げられる。筋肉をほめられると誇らしくなる。 検査結果は良好で、さいしょに罹った頃、Hb

          減量中。