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素直になるということ。

(きょうの手づくりおべんとは、すこし気を抜いてみた。味つけが濃くてたべやすく、ばくばく早食いになってしまった。やっぱりちゃんと主菜副菜のバランスが整っていたほうがいいな。反省点だ。けれどたまにはいいよね。)


おうちを見渡して、だらだらとなんとなく歩いてみて、いったんじぶんのこころを落ちつかせるというリセット方法が身についた。現在地や現状はどうであるか、言語化できるようになった。じぶんひとりで自由に過ごすことも増えてきた。自由な決断は心地よい。おうちのおとなたちにじぶんのこれからを話すこともあるけれど、感情を揺さぶられたくなくて、この話はもうストップね、とわたしからおとなたちに意思提示をしてみた。祖母は両頬を抱え込んだ。そして、寝込んだ。一方、母親ははりきって、どんどん話しかけてくる。ああすればいいこう思えばいいと言われるのは混乱するのでやめてほしい。声がのどの奥でつまる。わたしはこの家にトラウマがあるのだと自己認知する。それにしても、あきらかに成長した。こつこつ積み重ねてきたものが、間違いだおかしい変だと言われつづけていたことがひっくり返ったような感じ。他人に間違いだおかしい変だと評価されたり、レッテルを貼られることがほんとうにこわかった。どうもわたしはにんげんに関心があるらしい。わるいひとにもまごころを抱くらしい。けれど、ライバル視されたり競争心を向けられたり、そういった攻撃とも捉えられるまなざしには耐えられない。または避けてしまう。社交不安は治ってない。おくすりも通院もいつまでとは言えません、と主治医に言われたことがある。見透かされた気がした。当時は診察室でも話せなくて、はやく通院から逃げたかった。じぶんと向き合うことがこわかった。おうちからも外からもじぶんからも逃げたかった。わたしは、孤独になった。

いつでも出迎えてくれる友だちが居ることを思い浮かべることができない時期がけっこう長くつづいた。頼りにしていい、話していい、声が聴きたいと言われているのにわたしはがっちり緊張して身構えていた。裏切られないだろうか、傷つく覚悟はあるのだろうか、ほかのひとに漏らさないだろうか。腹の底に棲む獣がわあわあとあばれて、不安や怯えが膨らんでひとりでこっそり泣いた。どうかきみにこの孤独が伝わらないようにって、感じさせないようにって、へらへらして、友だちの大幅な遅刻も謝らないことも平気なふりして許してわたしはほんとだめだった。いやなできごとに、いやだな、ってもっと言っていい。伝え方はもちろんあるけれど、たいせつに、たいせつに育てていきたいなら、もっともっと素直になっていいのだ。なにも隠すことはない。丁寧に、織ってゆくように、関係性を紡いでゆく。きみがもし、わたしのことばや仕草で傷ついたら、わたしがなおしてみせる。そういうふうな気持ちをそっと抱いている。あたためている。どうか、わたしのぬくもりに育ちますように。

応援したいひとがいるってとてもいいな。なにかを贈りたいってとき、ことばを贈りたいって思うのってなんだかぬくもりだな、まごころだなと感じながら、この頃は過ごしている。いま居る環境は決しておだやかではないけれど、一歩一歩、じぶんのペースで歩んできた。正解だ不正解だとかジャッジは下したくないな。ただただ空のながれのように、風のゆくままに、波打つままに。こころだけはもう腐れぬように。丁寧な暮らしをしてゆく。

(おふとんにくるまって、じぶんのぬくもりを感じながら。Androidから送信。)

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