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自立に向けて。

きのうは朝から通院先の相談室に電話をかけて、担当の相談員さんとお話した。作業所のこと、障害年金のこと、家庭環境のこと、経済的な自立がしたいこと、生保から抜けたいこと、気持ちが溜まり溜まっていたのもあって一気に話してしまった。けれど相談員さんは落ち着いたようすで、会って話しましょうと言ってくれた。来月の通院日に予定をあけてもらっている。いつでも来てほしい、準備しておくと言ってくれた。電話を切る直前に安堵感から泣いてしまった。たぶん気づかないふりをしてくれたと思う。相談員さんは、あなたはひとりじゃないよ、とそっと言って、そっと電話を切った。

あいかわらず家にひとりで居ても、なんとなくひとの気配を感じてうまく眠れない。母親や祖母のことが気にかかる。ごはんのつくりおきを早朝からつくってしまう。複雑で、不安で、ここに居ることもいつまで居られるかも先がみえなくてこわい。ひとりぼっちじゃないことをなんどもなんども確かめている。ブログ、Twitter、精神科ノートや日記帳、箇条書きのメモ、友だちとのやりとり。そして母親とのやりとり。もうなんど読んだかわからない。すこしくたびれてきている。けれど、家のおとなたちと距離を置きつづけたい気持ちは一切変わらなくてじぶんでもおどろく。

母親が疲弊したようすでいるし、祖母はうつ病の症状が出ているふうにみえる。もうはやく気づいてほしい。このままじゃだめって、数年前にお姉ちゃんがてんかん発作を起こしたときにくり返し言って、今までどおりじゃなくなるよと伝えていたのに伝わっていない。なにが今までどおりだ。このひとたちにはまったく危機感がない。わたしがじぶんの人生を歩み出せないことに疑問視しているけれど、そんな、こんな環境下でげんきになれるはずがない。もう面前DVなどで悩みたくない。ずっとずっと記憶に残りつづけることをもっと覚悟してほしいとすら思ってしまう。やっぱり距離を置くべきだ。

部屋がごはんのにおいになるのがいやで、窓をあけてごはん時間にしている。すごく冷え込む。フリースのワンピースを着ているけれど、背中が冷えてじわじわ痛む。

あるとき母親に、引越しした先がいい環境だとは限らないけどね、私がそうだった、と言われた。そのことばをはやくわすれて、引越しを経験している、または予定を立てている友だちに引越しってどんなかんじなのかざっくり聞くつもりでいる。

つばを飲み込みづらいのが中学生の頃からずっとある。診断名が社交不安障害なのは納得しているけれど、発達障害とついたことに最近はすこしだけはてなを浮かべている。カウンセリングでは前々から話しているけれど、トラウマによるものではないかと思って、ノートにまとめてある。つぎの診察でまた診断名を聞くつもりでいる。正しい診断になりますように…(?)うーん。

きょうはいちにちのんびりすると決めていたのに、セルフケアというか、じぶんと向き合うこと、現在地を振り返ることを文章にまとめるなどしてやっている。休息もセルフケアのうちだと思う。深呼吸をしてひなたぼっこをする。たまには手づくりのおべんとを持って、公園でたべるのもたのしいかもしれない。ひとりで行動するのはわりと慣れている。ピクニック気分になる。こんどの朝活は、手づくりおべんとを準備する。お昼にリュックサックを背負って公園へ行く計画を立てる。きめたよ。じぶんできめた。ああ、自由って誇らしくなるのね。その日のおべんとをおいしくたべられますように。

読んでくれてありがとう。公園でのお昼ごはん、写真に撮ってブログに載せようと思います。つぎをおたのしみに。

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