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そこに意見はあるか

数人集まって、何かを決めようとしたとき。
みんなそれぞれの意見があるけれど、なんだか議論が上手く進まない。
そんな事があった。

なぜだろうと考えていたら、それぞれ「こう思う」は言っているのだけれど、「だから自分はこうしたい」の意見まで述べていないということに気がついた。

日常、行動をともにすることはほとんど無く、連絡や意思確認はメールやその他SNSをメインに行っている。
その連絡の中で、
「こうかなぁ、と思う」
「こんなふうに感じた」
というのにとどまり、
「だからこうしたほうが良いんじゃないかと思う」
までたどり着かないとき。
感想のみ述べられても、「ふーん、そうかぁ。……で?」となってしまって、その間無駄なラリーが生まれる気がする。
これが付き合うか付き合わないかのぎりぎりの男女のやりとりとかならあるいは面白いのかもしれないけれど、仕事にそんなことは求めない。

なにか自分の意見を言うときには、自分なりに考えて、
「こう思う → だから私はこうしたい」
まで教えてもらえると
「それは良い」「いや、違う」
のリアクションがとりやすい。

思ったことを述べたらその先は相手がわかってくれるだろう、と相手に変な期待をして、ふんわりしすぎたボールを投げると、太陽の光と重なって眩しくて、平凡なフライでも取りそこねることがあるだろうに。
甲子園が始まったので、なんとなく野球と重ねて書いてみたくなるのが悪いところです。

話を戻すと。
思い・考え  →  その結果の希望
までセットで伝えなければ、その人がその思いを持った結果、どうしたいのかはこちらでくみ取らなければいけなくなるし、くみ取った結果が正しいのかを本人に確認するという作業が発生してしまう。

自分が向かって行きたい方向の意思表示をはっきりすることが、ストレスの無いコミュニケーションにつながるのではないか、そう思ったわけです。

もっとも、自分の意見というのは、相手との信頼関係が出来ていない場合なかなか言うのは難しいと思うので、それがある程度出来ている、というのが前提になりますが。

人が何人か集まる場では、感想言って意見を述べた気になっている人にならないよう、気をつけないとなと思いました。
「こうしたい」がまだ分からない段階であれば、「まだ、"こうしたい"というのは決まっていないのだけれど、感じたことだけ伝えるね」と言い添えるだけでずいぶん違うのではないかと思うのです。

それを自分も、相手も、お互い気をつけることで、だいぶ身のある話が出来るような、そんな気がします。

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