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【50記事目の投稿】『文筆家の端くれ』である父とした話色々とこれから

※2020/12/31、ついに大晦日だ。今日は(今日も)意識が高い大学生みたいな青臭い話をする。青臭いのが苦手な方は鼻でも塞いでおいてくれ。

私は最近(2020年に入ってから)父と会話をする時間が明らかに増えた。これは、今後、「うつにより家族との関係が変化した」という話で触れるつもりであるが、特に今年の夏ごろから家族とのコミュニケーションが急速に活発化している。そんな状況のなか、父とも会話をする時間が増え、くだらない話から人生についての真面目な話まで、様々な話をするようになった。

父は文筆業に長く携わっている。父から聞いた話だと銀行員として現役で働いていたころから、退職した現在に至るまで、30年くらいは色々の執筆活動に勤しんでいるらしい。父は最後に在籍した会社を退職した後、老後の生活のため、自分の好きな文筆の世界でフリーランスとしてわずかながらの稼ぎを得ることにした。今は、文筆に関する講師業のようなこと(詳しいことはここでは伏せるが)をやっている。

父は若かりし頃からモノを書くことに携わりたいという強い思いをもっており、大卒で出版社に勤務したかったらしい(あるいは、小説家になりたいという夢をもっていたらしいが、自分にはその才能がないと思って諦めたというのは後から聞いた話である)。しかし、当時の就職活動では今以上に厳しい学歴フィルターが存在し、それに引っかかって面接にたどり着くのすら難しかったという話をたびたびされた。

結果として、出版社に勤めるという夢は叶わず、銀行員として定年まで勤めることになるのだが、創作意欲は相変わらず強かったようだ。銀行員として働きながらも趣味として俳句や短歌をやっていたのだが、30歳を過ぎて少しした頃に自分の作品をかなりデカいコンクールに出品して、優秀賞のようなものをとったと聞いている。それをきっかけに文章をお金に換えるということを始め、俳句や短歌、雑文の類を様々な出版物に寄稿して原稿料を頂いていたらしい(あくまで本業は銀行員であるが)。そして、銀行員を定年まで勤め上げた後、関連会社に出向し、そこを勤め上げ退職。現在に至る。

父が40年近く働いてきた感想としては、「会社員(組織)は合わねえな…」だったらしい。だから、フリーランスで、自分の好きな文章で食っていくことを選択した。会社員時代には叶わなかった小説家になるという夢もあり、会社員を引退した今、自分の筆力を試したい(自分の筆力でどこまで行けるのか挑戦したい)という思いもあったようだ。現在は文学作品を創作することや文筆家の歴史について教えるという講師業のようなものをやっている。いくつか講座をもっており、週の半分くらい(3-4日)は、教室に出向き、講義を行っている。

そんな風にして、およそ30年にわたり文章でお金を得るということをしてきた父は、私にとっては立派なプロの「文筆家」である。

先述のとおり、父は文筆家の端くれ(と自称している)として、週の半分くらいは働いているが、週の残り半分は1日中家にいることが多い。そうなると、仕事を辞めてほぼ毎日家にいる私と一緒にいる時間が必然的に増える。当初は1日中、ほぼ一言も口を利かず、非常に気まずい空気が流れていたが、冒頭でも述べたとおり、ここ最近(たしか2020年の6月ごろ)から、関係が急速に改善し、一緒にいる時間が増えたことも相まって会話する時間がかなり増えた。

そんな父とは、様々な話をする。大抵聞かされるのが、昨晩布団の中で見た面白かったYouTubeの話である。つい先週は、「自分が通っていた高校の最寄り駅や祖母の家の最寄り駅、学生時代通っていた剣道教室の最寄り駅を通る地元(関東)のローカル線の車載動画を見た。そこに映る駅の外観こそ改装によって変貌したものの、駅の周囲の地形や道路の形などが当時見たままで郷愁を誘った。祖母はとうの昔に亡くなり、もう死ぬまでその地を踏むことがないと思われる土地が今も変わらず存在することを確認した。あれは私にとって大変意味の深い動画であった」という話をされた。

あとは、私が「YouTubeで見れるASMRがいいよ」と紹介したら、後日、実際に見たらしく「最近はちょっといかがわしい助兵衛な内容のASMRにハマって夜も眠れない(笑)」みたいな話をされて困惑とともに苦笑した覚えがある。(この話が父にバレたら名誉棄損で訴えられないか心配で私も夜眠れない)

こういうくだらない話をしたと思ったら「ぶっちゃけ、今のお金の状態はどうなの?所得補償とかはいつまでもらえるの?これから先どうやって生きていこうと思ってる?お金の問題はどうクリアするの?」みたいな結構シビアな人生の行く末についての話も何回かしたこともある。

このように色々な話を父とはするようになったが、最近話す内容に「文章について」という話題が新たに加わった。きっかけは私が最近ブログ(このnote)を始めたことである。私はブログを始めてから、結構な時間をブログに割くようになった。とは言っても1日3-4時間程度ではあるが、完全に私の生活に食い込み、その一部を形成している。

だから、自然と私から「昨日こんなブログを書いたらこんな反響があって…」とか「新しいブログのネタとしてこういうのを考えてるんだけど、どう思う?」みたいな話をするようになる。そこから自然な流れとして文章の話をすることになるのだけど、さすが文筆業に30年も携わってきただけあって文章について話しだすと、立て板に水がごとく流麗に言葉が出てくる、出てくる。父からはこれまで文筆にかけてきた熱意のようなものを感じる。時折暑苦しいくらいに。さすが文筆家して長く生きてきただけはあるなと思わされることも多い。

そうやって文章の話をする中で、父からは私のブログ活動(まだ、活動と言えるほどモノにはなっていないが)を鼓舞するようなことを色々と言われる。たとえば「お前は文章の量がそこそこ書ける。しかも、そこそこの重さをもたせて。それはできるだけ途切れさせず続けろ!いつか誰かが見てくれるようになる」とか「俺の家系には小説家がいる。俺自身も文筆家の端くれだ。だから、お前に文章を書く能力がないはずがない。自信をもって書け」とか、さらにこれは最高に笑える話だが「いつかお前のブログがバズって、大量のファンが出来てひと稼ぎできたらいいな!(笑)」とかいう話を半分冗談、半分真面目に言ってくれるのである。(念のために申しておくが私自身はそんなこと、万が一も起こるとは思っていない)

このように父からは、言葉の端々から、あらゆること(特に働くこと)に対する意欲を失っていた私に対して「なんとかして得意なことで身を立ててほしい」とか「プロの文筆家になるまでは行かなくても、文筆業で市場に落ちている小銭でも拾えるように能力を蓄えておけ」といった期待と少しのプレッシャーみたいなものを感じる。

「うまい文章とは何か?」とか「文筆家として生きていくには」みたいな抽象的な話もときどきされる。あるときは「表面的に技巧(レトリック)を凝らした作品より、素朴だがその人の感じた想いが素直に表れている作品の方を評価するし、それが独自性というものだと思う」という文章の独自性についての見解を述べられたし、また別のあるときには「文筆家として生きていく(稼いでいく)ためには、いくつか必要な条件がある。①ディテールの込んだ文章が書けること(文章にはある程度の“重さ”が必要)、②ある程度まとまった量が書けること、③速筆であること、④テーマに沿って柔軟に文章が書けること(自分の型にこだわらないこと)だ」ということを言われたりした。他には「うまい(人を惹きつける)文章にはその人固有の“味”がある。それは文体であったり、文章のもつリズム(テンポ)であったり、硬軟おりまぜた要素等から生じる。そういうなんらかの“独自性”を文章を生業とする人は必ずもっている」というような話も熱く語ってくれた。長年文筆家(の端くれ)として生きてきた父らしい説得力のある言葉だと思った。

正直、ここには書ききれないくらい色んな話を父とはしている(すでに記憶にないものも含めて(笑))。父が講義している内容に絡めてもっと抽象度の高い、高度な内容(実作者にしかわからない表現の機微)の話もいくつかされた気がするが私にはまったく理解できなかった。私と父では文章を書いてきたキャリアが、今まで書いてきた文字数が違い過ぎる。しかも、彼は文章を書いてお金をもらっている正真正銘の文章のプロである。そんな父から期待とプレッシャーをかけられるのは喜ぶべきことであるはずだ。

父は私が文章を書くことに対して好意的な印象をもってくれているし、それを継続するよう鼓舞してくれる。その一方で、私の文章に最もシビアな目を向けてくるのも父である。父は私に「文章を書くことを生業にしてもらいたい」という思いをもっているはずだ。当たり前だが、文章を書くことを生業とすることは、つまり、自分の書いた文章で金をもらわなければいけないということである。だから、私が文章を書くことを“真剣に”続けてほしいと一番強く思っているのは父である(と私は思っている)。

母は「ブログなんて趣味なんだから、気楽に書いたらいいよ!書けるときに書きたいものを楽しく書いたらいい」と言ってくれる。一方、父は「文章を書くのは楽しまないと!続けることが大事なんやで!」と口では言っているが、その実は「お前はこれから自分の力で身を立てていかなければならない。だったら、自分の得意な文章で身を立てていけ!そのために妥協はするな」という強い意志のようなものを含ませている。私にはそう感じられる。正直なところ、今の私はどっちつかずの態度である。母のように「文章は趣味として気楽に楽しむべき」と思うときもあるし、父のように「私が将来身を立てていくにはこれしかない。これで銭を少しでも稼ぐんだ」と思うこともある。私は両者の間で揺れている。「自分には文章でお金を稼ぐ能力はないことはわかっている。でも、私の中でできることがこれぐらいしかないからやるしかない」という話は前にもした。けれども同時に「文章を書くことが苦痛になったら絶対に続けられないから根詰めるのもほどほどにして、文章を書くことを楽しもう」という気持ちもある。どっちつかずで申し訳ない。実際、私は日々揺れている。

たぶん決心がつかないのは私が自分の能力に対して、“中途半端な自信”を持っているからだと思う。「自分には文筆家として生計を立てていけるような能力はないし、何より人がお金を出したいと思える魅力的な文章が書けない」と口では言いつつも、父に唆されて「巷に溢れているビジネス書の中には内容がスカスカでお世辞にもうまいとはいえない文章がわりとたくさんある。その程度の文章なら自分にも書けるかもしれない。文章を書くことで小銭を拾うことくらいならできるかもしれない」みたいな甘ったるい妄想もしているのである。もちろん、文章がうまくなるだけでお金が取れるという単純な世界ではないことは重々承知している。

ただ、私は文章がうまくなること自体は自分の人生にとって、得にしかならないとは思っている。たとえ、文筆業でお金を稼げなくても、仕事で文章を書く機会は少なくない。万が一、億が一、最高にうまくいけば文章でなんとか小銭が稼げるくらいにはなれるかもしれない。文章がうまくなるためには、父からも言われたが、当然書き続ける必要がある。だから、ペースはまちまちにはなると思うが、細々とでも書き続けたいと思っている。そうやって文章を作り続けてストックを作っていくことが自分には必要なことだと思う。ストックを作ることはたとえブログとはいえ、ちっぽけではあるが、創作したという”実績”である。その実績は今後役に立つことがあるかもしれない。私がもし文章でお金を稼げるとしたら、それは“スピード”ではなく“ストック”によって生み出されるお金である可能性の方がたぶん高い(将来的にはスピードをつける必要ももちろんあるが、自分はまだそのレベルにはない)。そのために、些細ではあるが目標を立てた。現在(このブログを執筆している2020/10/21時点で)、私のブログには15件の記事を掲載している。とりあえず当面は(「期限のない目標など目標ではない」という方もおられると思うが、今の私にとって大事なのは“累積”であって“速度”ではない。目指すところはストックを持つことだから。このような考えから、期限は切らない)50件のストックを作ることを目標に設定した。私の今までの経験上、大きな目標を立てると挫折する可能性が極めて高いので、“現実的”な目標にした。この目標を達成したら、また次の“現実的”な目標を立てる。それを繰り返してある日「膨大なストックができていればいいな」というのが私の遠大な希望であり、目標である。

以上が『文筆家の端くれ』である父と会話し、それを受けて考えていたことである。

<2020/12/31追記>
そして、ついにこの記事にてnote通算50記事投稿を達成した。この記事内では「50件ストックをつくるという数値目標は立てるが、期限は定めない」と言っていた(達成できる自信もなかったので…笑)が、実は、心の内でひっそりと「年内に50記事投稿達成できればいいな…」と思っていた。それが達成できてひとまず安堵というか、嬉しい。ただ、私の中で50記事というのは、あくまで通過点に過ぎず、これからもたくさん新作を書いていきたいと思っているし、文章もどんどん上手くなっていきたいし、色んなテイストの文章が書けるようになりたいと思っている。とりあえず、次の目標はさらに50投稿プラスして100件の投稿を目指そうと思う。これも、敢えて期限は切らない。正直、達成できる自信はない笑。どこかで、更新が途切れてしまうこともあるかと思うが、細く長くでも続けて100記事投稿を達成したいと思っている。

しかし、この記事(上の文章)、10月に書いた記事ということもあって、やはり文章がヘタクソだな笑。それだけ、成長できたということなのかもしれない。100記事投稿を達成した暁には、過去の文章を振り返って「(今、私が過去の文章を振り返って感じているこの気持ちよりももっと)下手だな!なんやねん、このヘタクソ文章笑」と思えるくらいにはなりたい。2020年はこの記事で締めくくることにする。来年(2021年)は、もっと“おもろい”文章をたくさん書いて、もっと読者さんが増えてくれればいいなという気持ちである。人の心に刺さる文章を書いて、ちゃんと「実力」で読んでくださる方を惹きつけられるようにしていきたいものである。

私にとって2020年は「変化の年」であった。しかも良い方向への変化が多かったのが喜ばしい。あらゆることに気力を失い、無職期間が長く続いて、人生に絶望していた2019年までとは打って変わって、人生を前向きな方向に歩みだした年である。今年の前半は就職活動が失敗の連続で1つも内定をもらえなかったが、正社員からアルバイト、公務員試験まで、色々挑戦した。今年の7月頃には体調が急激に悪化し、一時活動が停止したが、その期間に色々考え、今後の方針を転換することにした。無理に雇用関係に戻ろうとせず、自分の得意なことで勝負しよう。「実力」をつけてメシを食っていける人間になろう。そういう決意をした。もちろん、稼ぎ口は複線化して、場合に応じて自分のできそうな仕事をするなど、様々なパターンを想定してリスクヘッジはしていくつもりである。この方針転換に伴って、始めた活動のひとつがこのnoteである。noteを始めたことは私の生活に決して小さくない変化をもたらした。日常に創作的な活動を取り入れることで、私の視界にかかったフィルターも以前とは違ったものになった。世界の見え方が変わった。具体的に言うと、より緻密に世界を見るようになった。人の言葉を一言一句メモしたり、体験した出来事を記録に残したり、目にした景色をカメラに収めたり、より多くの情報を鮮明に記憶に残すように日々を過ごすようになった。日々の生活の中で達成感を覚える瞬間なんかも出てきた。そして、嬉しいことに、つい先日(2020/12/25)、はじめて私の文章に投げ銭(サポート)してくださる方も現れた。私が文章で頂いたはじめてのお金である。一生忘れることのないクリスマスとなった。

2020/09/14から、このnoteをはじめて約3ヶ月半と短い間ではあったが、私をフォローしてくれた人、私の文章を継続的に読んでくれている人、たまたま目に入った私の文章を読んでくれた人(斜め読みの人も含めて)、スキを押してくれた人、コメントをしてくれた人、私が記事を書くにあたって様々なネタを提供してくれた人々、そして、私を支えてくれた家族・友人・主治医・カウンセラー、その他支援してくださった人々、すべての人々に心から感謝申し上げる。来年(2021年)は、私らしくあまり気張らず(あんまり頑張りすぎず)、自然と湧き出てくるモノをどんどん文章の形にして残していきたいと思う。noteは、私の気力が続く限りは、他の何かで大きくリソースが割かれることがない限りは、細々とでも続けていきたい。

因みに、私のTwitterのbio(バイオグラフィ)には、こう書かれている。(「書かれている」じゃなくて「私が書いた」のだが笑)

・色々あって一度は死んだ身として、二度目の人生を歩んでいる者です。
・雑記、診察用の記録。
・"凪のような心をもつこと"

このbio「カッコつけて書いてんなコイツ笑」って思われた方もいるかもしれないのだけど、父から直接言われたことをほぼそのまま書いている。「お前は一度死んだ人間だ。これからは二度目の人生で医学的な死を迎えるまで生を全うしろ」という言葉を。そして、二言目の記述は「事実、そういう運用をしているよ」という意味で、三言目は目標を記した。一応ちゃんと意味があるのだ笑。私はこういう人生を生きていきたい(生きていかねばならない)という思いをここに示したつもりだ。そして、私のTwitterのヘッダー画像には、次のような英文が掲げられている。

"The game should have been over."
(直訳:その試合は終わった"はず"だった。)

ヘッダーの文章は、そのまま訳すと「そのゲーム(試合)は、すでに終わった(負けた)はずだった」という、サッカーの試合なんかで、前半負けていたチームが後半逆転するシチュエーションなどでよく使われる表現らしい(文法的に正しいかどうかはわからない笑)。私としては「今は負けてるけど、この先どうなるかはわからないよ」という意味を込めた(これは正直、格好つけた笑)。一度大コケした人生、これからすぐには追いつけないかもしれないけれど、私は牛歩であっても進んでいく。いずれは追いついて、追い越してやろう。そういう気持ち(野心)は失わずに持ち続けたい。時に心が折れることはあるだろうが、七転八起(七転八倒じゃなくてね笑)しながら生にしがみついていきたい。今年に入ってからはそういう心境になることが多くなった。色々応援・支援してくれる人たちもいるしね。そういう人たちにきっちり(金銭で)お返しができるようになること。来年はまだその準備段階だと思うが、これは私の人生における最大の目標である。1年1年をこの目標に向かって突き進んでいくつもりだ。私らしくスモールステップで笑。

挨拶ポエムが長くなってしまったが笑、これにて、2020年最後の記事を締め括らせていただく。それでは、皆様、よいお年を!そして、来年もよろしく!

ご支援ありがとうございます。また見にきてくださるとうれしいです。頂戴したお金は大切に使わせていただきます。