いつでも死ねると思ってた

初めまして。


こんにちは、こんばんは。
初めまして、友利(ともり)ユリといいます。

初めてnoteで自分の記事を書こうと思っています。
見ている人はいないと思うけれど、もし見つけてくれたならありがとう。出会いに感謝します。

いきなりですが、8月23日に私は死のうとしました。
クローゼットにバッグの肩紐を輪っかにして吊り下げて、なんかその辺にあったもので色々うまいこと考えて
長さを調節して、座って首を吊ろうとしました。

でも、私は今日このnoteを書ききりました。
死ねなかったんです。
わずかな後遺症すらありません。
圧迫された喉から時々咳が出るようになった程度でしょうか。
そんな生半可な行動で何を死ぬなど、と思われるでしょうか?
でも私が初めて本気で死のうとした結果でした。

私の話


父の事

少し、私の話をさせてください。
私は母子家庭の人間です。
最初からそうだったわけじゃありません。
最初は5人家族でした。父母と兄が2人。そして私です。
私が2歳の時、父親が自殺しました。棚の取っ手に紐を吊り下げて、座る姿勢で首を吊っていたそうです。
父は婿養子でした。
当時のことはあまり覚えていませんが、葬儀のために親戚が集まっている中、何もわからない私は非日常にワクワクしていた覚えがあります。

父の事で覚えているのは、私が父に柔道の技をせがんで、足払いをしてもらって転げるのが楽しかった事。
母の作った夕飯が並んだテーブルを、父がひっくり返して大声で母と喧嘩をしていた事。
それを三兄弟で見て、真ん中の兄が泣き出すと母に抱っこされたのをみて、私もそうしてほしくて泣くふりをしたら、一番上の兄から「泣くな」と言われた事くらいです。

そんなわけで、私の3歳の時の七五三の写真は、父の遺影とお骨と共に写っています。
小学校に上がって、ようやく父の死を理解した頃、死因を母に尋ねましたが、その頃は「病気で死んだのよ」と言われるだけでした。疑問を持ちませんでした。父はタバコを吸っていたから、肺が悪かったのだと思っていました。


兄の事。

小学生にあがった頃から、私は三人兄弟の一番上の兄からよく手や足、あるいは包丁など道具を使って殴打され、脅されていました。
なぜ兄がそうなったのか、今になれば原因は様々考えられますが、
兄が中学校に上がったタイミングでいじめられていた事とか
母に甘える事ができる幼い私を煩わしく思っていたとか、そんなところでしょうか。
一番上の兄と私は7つ離れていました。

とにかくよく殴られ、髪を引っ張られ、時にはエアガンの的になったり、部屋の隅に追いやられ包丁を突きつけられたり、首を絞めたられたりしながら、その兄に怯えて暮らしていました。
母は祖父の経営する会社に勤めていましたから、定時なんてものもなく、夜遅くまで働いていました。
だから兄と私の事はよく知らず、戯れていたと思ったそうです。

さて、ここで一家団欒の風景を思い浮かべてください。
テレビを見ながら温かい料理の並んだテーブルを囲んで家族みんなが談笑をするシーン。
それが私の家では、兄によってビニールテープで仕切られたテーブルで、仕切りからはみ出さないように気をつけて食事をしていました。
母はその事について何も言わなかったか、あるいは抗議をしたか覚えていませんが、とにかく私は兄から疎まれてテープの内側でしか食事できませんでした。
そして兄を含め、家族がテレビを見て笑っている時、私も一緒になって笑うと、兄が「お前何笑ってるんだ」というので、私はテレビがいくら面白かろうが、家族の話が面白かろうが、表情を動かさない事にしました。
ただし、例外があります。
兄がいかにも「俺は面白いだろ」と言わんばかりの話をした時、この時は笑わなくてはいけません。
私は小学1年生から中学3年生まで、家ではただずっと兄の顔色を伺っていました。
間違えたら殴られる。蹴られる。怒られる。
間違えてなくても馬鹿にされる。
それが恐ろしくて大人しく空気を読んでいました。

ある時、兄に暴力を振るわれても私ではやり返せないので、母に「私の代わりに兄ちゃんを殴って」と言った事があります。
珍しく母は「よしわかった」と言って私を部屋から出し、ガラス扉で仕切られた廊下の方に移動させました。
そして、「こら!」などと言いながら、平手打ちのような音が聞こえてきたのです。
私はやり返してもらえた事に嬉しくなってその光景を見ようとガラス扉から室内の母を覗くと、母は自分の膝を叩いているだけでした。
半笑いでした
兄2人もそんな様子を見て笑っていました。

この家に、私の味方はいないのだ。
幼心にそう思いました。

そんな折です。
人生で初めて「死にたい」と思ったのは。



人生で初めての「死にたい」

おそらく小学4年生ごろでした。
夜寝る前、その日何があったか定かではありませんが、私はテレビで見たリストカットを披露して自分の心の辛さや悲劇さを家族に思い知らせてやろうと、布団にくるまってから、ハサミの刃で手首を何回も擦っていました。
もちろん、安全に作られていますから、傷なんてつきもしません。
そんな私を目敏く一番上の兄が見つけて、案の定嘲笑してきました。家族の笑い者にしようと「ねぇ、ユリがハサミで腕切ろうとしてる」と家族に知らせていました。
私はもう途端に恥ずかしくなってそれをやめました。
そして、事態を聞きつけてやってきた母に「寝ている間に殺して欲しい」と言いました。
兄には怖くて話しかけることすらできませんから、家で私の話を唯一聞いてくれる母に言うしかありませんでした。

「いやだよ。お母さん犯罪者になりたくないもん。」

それが母の答えでした。
私の望みは「なんでそんなこと言うの?何が辛いの?」と話を聞いてもらうことでした。
母から聞こえた利己的な発言に「ああ、そうなんだ。やはりそうなんだ。」とまた絶望しました。
「殺して」と訴えた時より、一層死にたくなりました。

この頃の事は、思い返すと色々あるのに、色々ありすぎてもう書ききれないほどとにかく最悪な日常でした。
でも、学校には友達がいたし、兄はゲームをよくしていて、その時だけは大人しくしていればゲームをしている画面を見ることを許されていました。
そして何より懸命に働いて、育ててくれた母のおかげで比較的、真面目に育ちました。学校の成績も悪くはありませんでした。真ん中の兄とも、あまり話はしませんでしたが一番上の兄ほど最悪な関係ではありませんでした。

そして月日が流れ、私が19歳のある夏の日。
兄は一人暮らしをしていたアパートで死にました。
首吊り自殺でした。兄は鬱病でした。


いつでも死ねると思っていた。

なんとなくお分かりいただけますでしょうか?
父が死に、兄が死に、それなら私も死ねるだろうという謎の自信が生まれる事が。

今日、30歳の私ですが、この歳になるまでもう数え切れないほど「死にたい」と思って生きてきました。
行動に移そうと死に方を想像する時もありました。
私が死んだ後の家族を想像する時もありました。
でもいつもそんな想像だけでした。
シミュレーションでは、私は包丁で自分の頭をひと突き。あるいはザクザクと何度も刺しました。
もしくは、特急電車に飛び込んだり、家の屋根から飛び降りて車に轢かれたり…
でも一度も行動したことはありませんでした。
自傷行為すらしませんでした。
死ぬ勇気がなかったのです。もっと言えばこの頃の「死にたい」なんてそんなに切羽詰まったものでもありませんでした。

では、なぜ今回行動にしたのか。

今から2年ほど前から現在の職場で5人目、5回目のセクハラに遭っていた私ですが、今回のセクハラ加害者は、かつて私が心から尊敬し、信頼していた人でした。
この人を助けるために働く、そう思っていたくらい尊敬していた人から、ある時を境に「付き合って」「かわいいね」「本気で好き」「結婚しようよ」と言われるようになりました。
その人は既婚者でお子さんもいます。私はそんなふうにその人を見た事は一度たりとてありませんでしたから、とにかく不快でした。
でも耐えました。尊敬している人でしたから。
2年間耐え続けて、先月、一体何が相手にとって気に入らなかったのかわかりませんが
「もう俺から離れてくれない?」と突然言われました。
言ってる意味がわかりませんでした。業務内容ではその人から完全に独立していたし、仕事はフルリモートなので、実際に近距離にいるわけでもありません。
接点としては、うちの部署のパートさんが、その人の部署の業務も兼業していたことくらいでしょうか。
まさに青天の霹靂。どうしてそんな事を言われなきゃならないのか。と思いましたが、持ち前の顔色伺いスキルを使って、穏便にすませようとひたすらに謝りました。わけもわからず。
すると、

「俺から離れて欲しいからセクハラ発言してたんだよね。察してよ。」

と宣うのです。
いよいよ頭に来たので、丁寧に謝罪した後、一切のメールもチャットも無視して、必要もないのに繋がっていたLINEもブロックしました。
確かに私が頼りすぎていたかもしれない、私が何か気に入らないことをしてしまったのかも知れない。と自分を責めたりもしました。
ただ、信頼と尊敬をしていた人からの突然のその言葉は、どう捉えようと思っても非常にショックでした。

じゃあいっそ転職でもしようと思い、昔から興味のあったグループ会社を受ける事にしました。人事を通して話をしていたし、グループ会社だからきっと入れるだろう。
と謎の自信すらありましたが、かすりもせず書類で落とされました。志望度がとても高かった分、お見送りメールのあまりの簡単さに絶望しました。
その会社に入る事が、天国への脱出口だと思っていた私には、地獄に落とされたも同然でした。

そんな折、ちょっとした事で上司と部下の板挟みに遭い、その日、私はついに想像から脱して、死ぬことにしました。

そして、冒頭の通りです。

苦しくて、辛くて、悲しくて、寒くて、暗くて
私まで自殺したら母はどう思うのか、
そんな想像をしながら、クローゼットの欄干に首をぶら下げていました。
やがて頭がボーーっとしてきます。咳してるのに、苦しくて咽せてるのに、別の人のことみたいに思えてきます。
その時間がどれほどあったのかわかりません。
きっととても短かった事でしょう。
私はその苦しさに耐えきれず、首を吊り下げていた紐から抜け出ました。
その時の無様さと情けなさと言ったら、言いようもありません。
死ぬことすらできない自分に心底嫌気がさして涙が止まりませんでした。


父や兄のように、私もいつでも死ねると思っていました。
そんなことはありませんでした。


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