憂き世のペリーロード
北亜墨利加の彼理(ペルリ)一行が、条約締結のため下田港に停泊していた艦隊から、その交渉場所となった了仙寺まで「通って」いたという数百メートルの小路。平滑川に沿って枝垂れ柳が立ち並ぶ瀟洒な石畳の道は、ふらっと訪れてそぞろ歩くには手ごろな散策路だ。古民家カフェや雑貨店に立ち寄りながら、ひとときほんの150年余前の歴史に身を委ねてみたかったのだが・・・。
訪れたのはまだ「宣言」が解除されるほんの少し前。観光シーズンではないとはいえ、本来ならばそれなりに人が行き交っているだろう道も、そっけない張り紙とともに過半数の店が扉を閉め閑散としている。ふと「アクセルとブレーキ」という言葉が頭をよぎる。例えとしてはわかりやすいが、こういう平易な置き換えは、単眼思考に陥りやすくてこわい。クルマはそれだけで成立していないし、ヒトは2者択一で生きているわけじゃない。平時が戻ったところで、はたしてこの小路が再び以前と同じ姿で人々を迎えられるのだろうか。
ペリーロードには「ブラタモリ」でも紹介された伊豆石を使った建物が小路の風情に一役買っている。番組では、ペリー艦隊が持ち帰ったという逸話にタモリも感嘆していた。
ちょっと一休みしようにも、軒並み休業中。ようやく見つけた蔵造りのカフェのオープンスペースでスムージーをいただく。美味。蘭のような花とミニュチュアの傘が添えられていて涼味を際立たせる。
小路の「終点」了仙寺の境内には黒船ミュージアムがある。黒で統一された館内は小さいながらも一見の価値あり。「日本人が見た外国、外国人が見た日本」をテーマに、幕末から明治以降の風刺画や戯画が数多く展示されている。上陸を許されたペリー一行と下田の人々の交わりは、なかなかに興味深い。庶民と船員の物々交換などは、それこそ非公式の「貿易」の始まりだ。異人さんといっしょに餅つきなんかもしている。軍楽隊のコンサートだって行われているから、文明開化はほかでもない下田で幕を開けたのだ。ミニシアターではそんな外国人との交わりや下田の昔が漫画仕立てで説明され(これがなかなかの傑作)楽しく歴史に触れられる。グッズも充実。
泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四はいで夜も寝られず
宇治の高級茶と蒸気船をかけ、幕府の慌てふためきぶりを皮肉ったあまりに有名な狂歌。まるっきり今と同じなのが笑うに笑えない。庶民とて驚きはじめは恐れもしただろうと想像に難くないが、こんな戯れ唄を詠えるのが民のチカラってものだろう。今じゃちょっとおふざけがすぎようものならすぐに炎上、詫びろ詫びないの大騒ぎ。それでいて人の心に土足で入るのは平気の平左。いったいどっちが開けているやら。
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