ゆとり世代はどう生きるべきか
最近はあまり聞かなくなりましたが、日本では少し前までゆとり教育というものが行われていました。それ以前の詰め込み教育に代わり、教育内容を削減してゆとりを持って学習させることを狙って出現したそうです。
しかし結局、このゆとり教育が生徒の学力の低下につながっているとの批判が生じ、脱ゆとりが叫ばれるようになりました。
こうした負の結果を生み出してしまったゆとり教育ですが、そもそもゆとりをもって学習させることで、どのような効果を発揮することを期待していたのでしょうか?
ゆとり教育の狙い
僕はゆとり教育が、生徒が能動的な態度を養うことを狙っていたのではないかなと思います。
詰め込み教育の怖さは、生徒に受動的な態度を養わせてしまうことにあります。与えられたことをこなすので手一杯になり、生徒が主体的に考えて動いて経験していく余地を無くしてしまいます。
学校は生き方を教える場であるため、こういった考え方により詰め込み教育からゆとり教育への転換が生じたことは理に叶っています。さらに言えば、ゆとり教育は社会が進歩し生き方が変わってきた当時に適した考え方だったと思います。
しかし学力低下が原因で批判を浴び、結果としてゆとり教育はうまくいきませんでした。(この記事では「学力」という言葉を、テストで高い点数を取る能力という定義で用いていきます。)
なぜこういったことが起きたのでしょうか?僕は二つの理由を考えています。
ゆとり教育の失敗理由①
一つ目は、日本が学力至上主義の国だからです。
生徒が学校で身につけるべきなのは「生きる力」であり、学力は生きるために有効な一つの手段でしかありません。ですので、たとえ学力が低下しようと、他の主体性等の能力を養うことができているのであれば、ゆとり教育は成功だったはずです。
しかし、日本は学歴がモノを言う国であるがため(最近は少し変わってきていますが)、生きるための手段の一つである学力の向上を目的化してしまっている人が多くいます。この誤った考え方により生じたゆとり教育の意図を汲まない批判が、日本のゆとり教育を崩壊させる一因となったと言って間違いないでしょう。
ゆとり教育の失敗理由②
二つ目は、生きる力を向上させる教育の質が低かったからです。
つまり、教育環境の整備や教員育成が進まず、ゆとり教育の狙いであった能動的な態度の養育を具現化できず、学力の低下だけを生む結果になってしまったということです。
狙いを達成できず負の側面を生み出すだけの結果になってしまうのであれば、世間から批判を浴びるのもある意味仕方なかったのかもしれませんね(笑)。こうして、社会において使えないと揶揄される「ゆとり世代」が誕生したのです。
ゆとり世代はどう生きるべきか
ではゆとり世代はどう生きるべきなのでしょうか?それはゆとり教育の失敗を反面教師にすれば見えてきます。
答えを言うと、学力を目的化せず問題解決の手段として捉え、能動的に経験を積む生き方をすればよいのです。
僕たちは学校でそうした生き方を学んできませんでした。しかし、今日からでも意識次第でこうした生き方へ転換することができます。
というか、この記事を読んでくださっている皆さんは既に何らかの形でこのことに気づき、学び始めることができています。能動的にnoteを始め、記事を読み書きして学びを深めようとしているのですから(笑)。
これからも皆さんが能動的な学びを深めていけますように。また、未来の子供達のために、生きる力を向上させる学校教育が発展しますように。
ではまた!
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