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【廃線跡をめぐる】石川県能登半島の鉄道遺構①

 輪島朝市や白米千枚田など、数多くの観光地がある石川県能登半島。「奥能登」と呼ばれる最北端部は、金沢から車で2時間以上もかかる「最果ての地」。しかし、そんな奥能登にもかつて鉄道が走っていたことをご存じでしょうか。
 今回は2005年までに廃線となった「のと鉄道」廃線跡の紹介です。

■「廃線跡」の魅力とは?

 かつての街の姿や人々の暮らしを想像することが、廃線跡を訪れる魅力だと思います。
 廃線跡とは文字通り、廃線となった線路や駅、車両などの跡のこと。列車も来ない線路を見て何が楽しいのか、と思う方もいるかもしれません(実際私もそうでした笑)。
 ですが実際に目で見てみると、「この線路を通って出稼ぎに行った人たちがいるんだな」とか、「この駅でいろいろな出会いや別れがあったんだな」という思いがわいてきて、その土地に深く入り込めたような、しみじみとした気分になります。博物館などで歴史を学ぶ感覚と似ていますが、線路や駅といった今の生活にもなじみ深いものだからこそ、よりはっきりと過去の姿が思い浮かぶのかもしれません。
 また、地域によっては廃線跡を観光素材やコミュニティスペースとして活用しているところもあります。鉄道が形を変えて地域に貢献している様子も感慨深いものです。

■2路線が存在した「のと鉄道」

(画像:『北陸の私鉄』https://www.hokuriku-rail.com/Noto/Rosen/Rosen.html)

 能登半島にはかつて、七尾~輪島間を結ぶ「七尾線」と、穴水~蛸島間を結ぶ「能登線」の2路線がありました。国鉄時代に造られた路線で、国鉄の分割民営化後は第三セクター会社の「のと鉄道」が運営を担いました。2001年に七尾線(穴水~輪島間)、2005年に能登線が廃止され、現在は七尾~穴水間のみが残っています。

 仕事で北陸に移住してから何度か奥能登へ行っていますが、遠い&駅が多くなかなか回りきることができません(汗)これまでに訪問したポイントを少しずつ紹介していきます。

①藤波駅&謎の留置車両

 能登線のちょうど真ん中あたりにある藤波駅。近くにはテニスコートが並ぶ広々とした運動公園があります。

 公園へ行く道から逸れ、わずかな集落を抜けて行くと駅があります。

 藤波駅跡。草木に飲み込まれつつあり近寄れませんでした…。

 停止位置目標がぎりぎり残っていました。

駅のすぐ隣(穴水方)には踏切の跡があります。

 踏切から駅を見た図。何がなんだかわかりませんね(笑)

ホームと駅の外を仕切る柵らしきものがかろうじて見えました。

運動公園の方に戻ります。

陸橋の下の茂みをよく見ると線路が…!知らずに来たらまず気が付きません。

 テニスコートの横の道から、陸橋下の茂みに降りることができます。変な虫とかが出てこないか心配…。

 線路に降り立ちました。

 歩いていくと、奥に車両のような影が現れます。

 こちらが現存するわずかな車両の一つ「NT123形気動車」。人知れず、なぜかこんな場所に留置されています。

 「ワンマン 宇出津」の文字。

 台車も窓もボロボロですが、たしかにここを走っていた車両です。

 側面には「2003年7月能登空港開港」の文字が。時代を感じます…。

 車内は何となくきれいにも見えますが、一体どんな状態になっているのでしょうか…。

 裏側がどうなっているのか気になりましたが、さすがに怖くて近寄れませんでした…。

 訪問直前に雨が降ったこともあり足場は最悪。虫は大量、イモリのような生物もいました(笑)

 とはいえ、過去に訪れた方の写真と比べるとレール周りの雑草が少なく、多少は歩きやすくなっている印象も受けました。ただ、公式の観光スポットになっているわけではなく、誰が管理しているのか、そもそもなぜ残されているのかも不明。本当に謎だらけの場所です…。

 車両と反対側(藤波方)の線路は完全に草木に飲み込まれていました。やはり車両の部分だけ意図的に残しているのでしょうか…。

 長くなってしまったので、第2弾に続きます。

【MAP】のと鉄道NT123(保存車両)

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