自足と不足を行ったり来たり
ネットの時代は満足(刺激?)は増えましたけど
不足を感じることも増えました。
YouYubeやXのタイムランを日に何回もスクロールするのは、もはやしゃぶ中(薬中)患者を思わせます
不足を感じてる時間が長いのが「飢餓」や「貧困」なんでしょうね
どんな人にも「不足」を感じる瞬間はありますが
逆に、かなりの人は、「自足」を感じる瞬間もあると思います。
この「自足」という感情には、いくら金を持ってるとか、どんな地位があるとか、どんな人間関係かは、最大のファクターではありません(無関係ではないにせよ)
ところが、この「自足」の感情が永続きすればよいのですが
なかなかそうはいきません。
そこで、人間は、「不足」を補うため、いろいろ活動するわけです。
いまはネットで無料でいろいろな情報や創作物を、部屋にいながらに提供されるので、逆に「不満」がたかまった部分もあります(有料になれば解決するとも思いませんが)
「不足」の感情はしばし、偉大な業績に結びつきますが
あんまり長く解決されない「不足」は病気その他の引き金になります。
SNSができて以降、世界はより混沌としてしまった感じがあります。
これは座標軸(評価の)を失ったことも意味していて
人間は、その活動の手ごたえを実感しにくくなりました。
失われた座標軸は、たとえば就業しない人(できない人)を増やしました。
これは、就業をしても「不足」が埋め合わされる見通しがつかないためだと思います。
うつ病とかも、「不足」が埋め合わされる見通しがつかないので、何にも活動ができない状態です。
はなしがそれましたが
ズーっと「自足(涅槃)」が続くことはありえず
しかし「不足」が長引くことはあります(病気や貧困などで表面化します)
健康な人は、「自足」と「不足」を行ったり来たりして
しかも、「不足」が健康を脅かすほど大きくはなく
かつ「不足」を埋め合わせる技能や可能性がほどほどにあります。
しかし、こうではない人が増加してますね。
それは、ともかく、人間は本来
「自足」と「不足」をいったりきたりするものです。
だから、「不足」そのものが悪というより
それを埋め合わせる見通しがつかないことが問題でしょう。
僕も、こんな、noteを書くことが「不足」を埋め合わせる作業のひとつになってますね。
(あとがき)
YouTubeとXを昨日一日断食しました(今日もまだ、いまのところ見てません)
そこでいろいろ今朝考えたことを書きました。
わたくしの論考におつきあい下さり、ありがとうございました。
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