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既存の仕事にほとんどやりたいものがない問題

アラフィフですが、わけあって派遣アルバイトをやり始めてから、かれこれ5年がすぎました(派遣5年ってすごくない?10年以上やってる人もザラにいるけど)

いやぁ、さすがに5年をすぎると、これオレもしかしてやりたくねぇんじゃねぇ?みたいな問題が立ち塞がります。

各々がやりたいことなどをやったら社会は回らん!

ん、まぁそれも理解できますけどね。
たとえば、日がな一日自販機の補充をやってくれてる方がいて、わたしたちは自販機の飲料を買えるわけです。

しかし、現在の労働市場は、労働やサービスが提供可能な人口に対して、ニーズがマッチングしてないという気がします。

そこで、そんな労働市場を相手に金を稼がなければならないわたしたちの問題を整理して、今後の展望を立てたいと思います。


【1】時間給商売は沢山時間を売るほど偉い

これはもう、時間給のお仕事の鉄則です。
スーパーのレジとかだと、1日2時間からとかありますよね。
しかし、時間給の商売は、時給にそんなに差がなければ
原則、週当たり(月・年当たり)沢山時間を売れる人の勝ち(?)です。

いい暮らしをしようとすれば、時間を沢山売らなければならない
しかし、週当たりに労働市場に提供する時間がものすごいのと、いい暮らしははたして両立し得るのか、といった問題がそのうち浮き上がってきます。

たとえば、興味深そうな文庫本を沢山買ってはみたものの、仕事に疲れ果てて、休日読む気力もないとかです。
そこで、疲れてる体に、さらに鞭を打って、メルカリ市場に出したりしています。

そんな生活に矛盾がある一定上に膨れ上がれば、時間給商売には限界を感じるかもしれません。

【2】1日8時間という不思議

これは、僕がアラフィフになったからというのもあるかもしれませんが
1日8時間というのは、内容にもよりますが、長すぎると思います。

もちろん、最低8時間(かそれ以上)いてもらわないと、構造的にまわらない職種もあるかとは思います。

戦後昭和ならいざ知らず、いまだにこれが崩れないのは、多分、人件費をケチりたいという企業の思惑もあるでしょう(たとえば、工場などでは、4時間やってくれる人を2人雇うより、8時間やってくれる人ひとりで済めば人件費がその分浮きます)
しかし、この原則8時間は、労働者のパフォーマンスを下げてる場合もあるでしょう。

今日だと、1日8時間で週5日では、職種や待遇、一日あたりの作業のキツさ
にもよりますが、7年くらいで、ひとつの職場に限界がくるのではないでしょうか?

【3】ひとつのことをズーっとやることのムリ

たとえば、シール貼りみたいな単調なことを朝から晩までやって、5年以上続く人はすごいなぁと思います。
というのは学校のような退屈な場所ですら、1日のスケジュールは多彩で、国語に外国語に化学や家庭科に音楽、古文に体育と、複数が混ざり合ってます。
そんなんじゃスペシャリストは養成できぬのだよ!というのも分かりますが
とにかく、ひとつのことを朝から晩までやるのは大変です。
バイトアプリで「シール貼り」と見ると、一見簡単そうですが、早晩そこを逃げ出すのは目に見えています。
たとえばですが、退屈な実作業を5時間程度に抑えて、あとの2時間は、資格取得を応援する勉強の時間とかにすればいいんじゃないかと思うこともあります。
こうすれば1日にメリハリができるように思います。
朝から晩まで肉体実作業なんて、1日中体育しかやらない学校みたいで
死ぬだろ、オイッ!って気もするのですが……

【4】非就労の人が増える

いまだに、ある分野では、戦後昭和型の就労スタイルが残ってますが
これらのスタイルが機能したのは、アメリカに追いつけ追い越せの、所得倍増が可能だった高度成長期だったからというのもあると思います。
もう誰が見ても、高度成長は終わったのに、職業の現場の昭和スタイルは、経営側の都合でまったく見直される気配がありません。
その結果、様々な社会不適応が増大しています。
学生から、引きこもり、生活保護、年金受給者、ホームレス、ニートや社会との関わりのない高齢者等が増大し、特に何の策も打たれてない気がします。
「できるヤツさへ働いてくれればいい!」
いや、それはマズいでしょう。
職場の機能とは、できないヤツを根気よく、できる(最低限のことは)人に仕立て上げていくことでもあると思います。
できる人を仕立て上げることに無頓着な職場は、できる層が大量退職したとき危機を迎えます。
いや、それは、ともかく、非就労者(自分の意志でそうしてる人を除く)が増大して、X(Twitter)が唯一社会との関わりという人も増えてます(別にいけなくはないとは思いますが)

【5】クリエーターの時代がくる

さて、就労可能な人口に対して、既存の仕事とのアンマッチがこれだけ拡大してしまいますと
システムは部分的にせよ組変わらざるを得ないでしょう。
学校の世界とかも、公立と私学の2本立ての従来の枠組みだけでは限界がきてるので、フリースクールなど、従来型の枠組みに適応できない人への新しいかたちが模索されています。
「できるヤツさへ勉強してくれればよく、あとの人はホラ穴にでも一生隠れてくれてればいいんだ!」なんて理屈は通らないでしょう。
というより、教師自体が職場のジレンマにどうにもならなくなっているようで、こういった従来型の限界を放置しておくと、教職を目指す人の減少にもつながるでしょう。

従来型はあちこちで限界を露呈し始めています。

もちろん、ひたすら黙って働く戦後昭和のスタイルも、ある美徳ではあるため、これを堅持して、ムリに適応してる人も、まだまだ沢山見受けられるようです。
しかし、ある日突然限界がきて、ウツや癌などになったり、入院や訃報、または突然の離職があったりします。
そこから、さらに転落していくこともあります。

こうなると、人々は、クリエーターにならざるを得ないと

いや、ここでいう、クリエイターとは、イラストで生計を立てたいとかミュージシャンになりたいとか狭義の意味での、創作家的なクリエイターだけでなく、
たとえば、大河ドラマで話題になった、資本主義の父とも言われた渋沢栄一のような実業家もクリエイターと呼べると思います。

noteやYouTubeなどでも、現状に疑問を感じる人が様々な試みを展開しています。
僕は、こういったSNSは承認欲求のようなものだけで投稿がなされてるとは最近あんまり考えなくなってきました。
というのは、承認されたというほどのリアクション(バズるとか、フォロワー1000人とか)がなくても、現状に問題を感じる人は、根気強く問題を提起しているからです。

さて、いろいろ書きましたが
既存の仕事に、これだけやりたいものが少ないということは
もう、おそらく僕らはクリエイターにならざるを得ないのかもしれません。

それは、単純に、好きなことで生きていくということをは必ずしも意味しないかもしれませんが
既存の世界への一方的適応は、そんなに遠くない将来の破綻が見えてるんであれば、僕らは、世界をクリエイトするしかないのではないか?

というのが、既存の仕事にやりたいことがほとんど見つからない自分の、漠然としてはいますが、
一応の結論です。

いや、もちろん、おそらく、そんなにはやりたくはない仕事に従事してくれる人が沢山いるおかげで、自販機で飲料が買えたり日々の生活がまわっているというのは一応理解した上での発言ではありますが……

(あとがき)
昨日やった夜勤のバイトが、すごいキツくて、何だこりゃ!ってくらいぶちのめされて、それで、もうクリエイターになるしかないのでは?という、なんか決起宣言に近い文ができ上ってしまった次第です。
もし、「うん、そうかもね!」とか少しでも思っていただけましたら、気軽にスキ💛を押していただけると励みになります。
昨日の夜勤で昼夜逆転してしまい、こんな夜中に文を書いてしまったという次第です。

御一読どうもです!


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