見出し画像

贅沢って何だろう……って考えてみる

贅沢って聞いて何を思い浮かべるでしょう?

最高級の牛に高級店で舌鼓を打つとか、青山あたりでホンモノのブランド品を手に入れることとか、高級ホテルのスイートに恋人と泊まるとかですかね。


昔、ロック音楽とかが流行ったころって、エレキギターにペインティングしたりするひと(ロックンローラー)も結構いたんです。
ちょっと適当な写真が見つからないんですけど。

で、ギターの有名なメーカー(ギブソンですとかフェンダー)は、大抵、純正品みたいなものをつくります。
いわゆる量産品ですね。

メーカーは「金」を生まなければいけないんで、量産品をつくるのは仕方ないんです。

そうすると、もしかすると、「贅沢」とは、金を生まない類い(少なくとも直接は)の行為ではないか?

釣りに山登りに、デートにBBQに、これらは直接「金」を生まないです。

「金」を生むビジネスも、当人が面白いと感じることをやってる限りにおいて、贅沢といえるでしょう。

ただ、ごくフツーの人が、「金」を生もうとすると、エントリシート書いて、就活やって、満員電車に乗って……っていう、ステロタイプを抜けられない

で、企業でよく使われるエクセルとかって、誰がやっても同じ結果にしかならない。
いや、できる人とできない人じゃ全然違う!っていうかもしれないけど
結局、量産品みたいな、版型にそったものしか生み出せない。

いや、量産品には量産品の価値はもちろんありますよ。

スーパーで売ってる大手メーカーの食パンみたいな

ただ、それは贅沢では多分ない。

社会自体が戦争時みたいに困窮してくると
「贅沢は敵だ!」って掛け声が増えるんだけど
そういうときって、いくら節制して、踏み車まわしても、富は増えなかったりする。

いや、もちろん、社会や家族の一員である限り、果たすべき最低限の義務とかはあったりすると思うんで、それを踏まえた上での「贅沢」ってはなしになるでしょうけど

そうすると、金を生まない時間が長い人ほど贅沢な人生で、金を生むことに従事してる時間が長い人ほど贅沢から遠ざかってるということでしょうか(当人が面白いと感じてやってるビジネスとかは除く)

もちろん、ホームレスの方とか社会から疎外されてるに近い境遇の人も除きますが

だから、そう考えると、所得や総資産の絶対額で、人生の贅沢度を計れないということでしょうか?

GDP(国民総生産額)主義みたいな尺度は、相変わらず幅を利かしていますし、経済成長が鈍くなるほど、そういった物差しにすがるのが人情ではありますが


さて、以上でこの文は終わりです。

「贅沢」って、そもそも何だろう?って価値観をめぐる哲学っぽい考察の記事でした。
タワマンに住んで、フェラーリーを所有するような暮らしが贅沢と信じてる人はまだ多そうだけど、それってホントなの?って再考を促すような文章でした。
それまでの価値観がちょっとでも揺さぶられて、「ふ~ん、そうかもしれないな」とか思われましたら、是非スキ💛を押していただけると書く励みになりますので、よろしくお願いします。

贅沢とは、金を(直接は)生まない(行為をしてる)時間ではないでしょうか、というはなしでした。


(あとがき)
お金を生むことにそんなに従事しなくても暮らせる人が増えたのは、もちろん、ひとつには、経済成長期に鬼のように働いてくれた昭和世代がつくった貯金(資産だけでなく)のおかげもあるのでしょう。
お金を生まない贅沢なんかに耽っていると、そのうち、国の経済が斜陽化するよという人もいるでしょう(あるいは、とっくに斜陽してるでしょうか)
しかし、昭和みたいに大勢で、単純労働に励めば経済が成長する時代ではないとすれば、踏み車をガンガン回せみたいなスロ―ガンもどうなのかという気はします。
また、アフリカの飢えた人とかアジアの困窮民みたいに絶対的な困窮というのもあるので、そこまで極端な状況では意味のないはなしですが
日本の一般の人を読者と想定して書きました。


御一読、ありがとうございました。

サポートされたお金は主に書籍代等に使う予定です。 記事に対するお気持ちの表明等も歓迎しています。