編集で大化けするコンテンツもある
こんにちは、木月まことです。
日夜、執筆に精を出されてる人が多いと思われます。
世には編集が特に要らないコンテンツと、編集次第で化けそうなコンテンツと、そして残念ながら煮ても焼いても大してよくならないコンテンツがあります。
コンテンツに優劣などない!
煮ても焼いてもよくならないコンテンツなどというものはない
コンテンツというのはそれ自体素敵で価値があるんだから
というのは現実を超越したスピリチュアルな領域です。
それは精神世界のおはなしで、そういう考え自体には無論価値があります。
しかし、今日はもう少し現実的なはなしをしたいのです。
編集が特にいらないコンテンツもあります。
僕の考えでは紫式部の『源氏物語』とかです。
しかし、実際には、編集で大化けするコンテンツというのもあります。
ダウンタウンの松本人志が90年代中盤くらいに『遺書』というエッセイ集を出してベストセラーになりました。
妹が持っていたので、当時引きこもりでヒマを持て余していた自分も読んでみました。
正直、お笑いタレントが書いたエッセイにしてはよくできてるという印象は否めず、松本人志の株はあれでさらに上がったでしょう(こういったことは太田光にも起こってます。お笑いタレントは映画監督とか著書を出したりで株が上がることがあります)
パッケージングの勝利という部分もあります。
松本人志で、『遺書』?どういう……という興味を誘います。
もともと、単体でよかった内容のエッセイが『遺書』というタイトルで綴じられることによって、さらに脚光を浴びました。
当時、中学生くらいだった、SPEEDというアイドルグループの島袋寛子がお気に入りの本として挙げていましたが、大人が読んでも中学生がよんでも「よい」と思える内容だったのです。
しかし、それだけの内容もやっぱりパッケージングによって化けた部分は否めないと個人的に思います。
こういったことは、今日の若い人が知ってるかわかりませんが
山田真哉の『さおだけ屋はなぜ潰れないか』でも起こりました。
これも新書で、内容がそもそも面白いんですが
あれだけ売れた要因は、やっぱりタイトルだと思います。
確か、著者の山田真哉が、ホームページかなんかでタイトルのアイデアを募ったっていうはなしだと記憶してます。
これが、山田真哉が自分で考えてとなったら、折角の面白い内容も、売り上げ的には多分10分の1以下の結果しかでなかったと思います。
しつこいのを承知でもうひとつ例を
故渡辺和子さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』です。
これも、パッケージング(タイトル)勝利の好例だと思います。
当時、スーパーにいるべきか、飛出して別の道へ行くかの悩みが生じていた自分にはタイトルが刺さりました。
「ふざけるなよ!」という反感混じりの感情でした。
タイトルを決めた人がそこまで自覚的だったかどうか分かりませんが、
あの本は、主にタイトルへの反感が買わせる動機につながるというミョーなかたちで脚光を浴びた本だと思います。
内容は、置かれた場所で咲くことの重要性を説いてるものかと思いきや
もし、内容を直接タイトルにするなら
『あとちょっと頑張ってみましょう』とでもいう内容で
沢山ある小文の中に「置かれた場所で咲いてみましょう」みたいな一節があって、それをタイトルにしたのだと思います。
この本は、タイトルから生じる誤解のようなものによってベストセラーになったと見ていますが
それぞれの文章は、売れるに値する(読まれるに値する)内容ではあったと思います。
読まれるべき内容がパッケージングによってしかるべき結果に結びつきました。
いままで言ったようなことは編集というより、タイトル決めやパッケージングのはなしだろう?
編集っていうのは、もうすこし違うニュアンスだろう?
って言われれば、厳密にはそうですけど
でも、こういったパッケージングも広義的には編集の一環だと思います。
どういったタイトルで、バラバラな小文を綴じるのかも編集という作業であると思います。
言いたかったことは、
単体でよい内容や、あるいは素晴らしい文章も、表紙のデザインやタイトル含めた編集如何で結果には天地の差がでることもあるということです。
もちろん、文章自体や表現の仕方、構成などに注文をつけることもあります。
たとえば、アイデアは素晴らしいんだけど表現が窮屈だとか、ではどうすればいいのかについてアドバイスしたりします。
あるいは著者の漠然としたアイデアに方向性を与えることもあります。
インターネット空間における執筆は、どうしてもこういった「編集」という観点が抜け落ちた展開になることが多く
折角よいものを持っていても「孤軍奮闘」するという形で空回りが起こりやすいのも確かです。
つまりは、素晴らしいモノ(文章)をつくる(書く)だけではどうにもならないことが多いのです。
そこで必要になってくるのがタイトルパッケージングを含んだ「編集」という作業なのです。
これが要らない作品もあります。
冒頭で述べた『源氏物語』とかです。
でも、そこそこ見どころのある執筆者も、編集という観点が抜け落ちてるため冴えない結果に甘んじてる人も多いようです。
もちろん、「編集」に成功しても「売れる」「読まれる」ためには、従来のルートだと書店取次という流通ルートを通ることが必要です。
つまり「売る」ためのハードルは思ったより高いのです。
素晴らしい作品をつくる(書く)だけでは実際は厳しいと思います。
でも、いまはKindle出版とかもあるし、noteでも稼げるよ。
いやまぁそうですけど
ネットも比較的、稼ぎやすいジャンルがあって
それはネットブレイクと直接関係した内容を扱ってる場合です。
そっちに関したノウハウを扱ってる人です。
そっち方面の人は他のジャンルよりスポットが当たりやすいのです。
それに関する情報を知りたがってる人の絶対数が違うからです。
いや、はなしがそれましたが
「編集」で大化けするコンテンツもあるということです(「売る」ためには取次という流通に乗る必要もありますが)
よい作品をつくることに全力投球する。
それももちろん価値あることです。
しかし、やや自己満足に堕してしまうことも多く
違う展開を望む場合は、「編集」を含めた違う作業や観点が必要になってくる場合も多いと思います。
もちろん、noteなんかをやってるアマチェアの多くは
とりあえず沢山書くことがまず大事なのかもしれませんけど。
(製作データー)
書き始め:2021年12月2日午前7時29分
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