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チューナーレステレビに思う(一般というものは消滅するのか?)

ドンキ(ホーテ)で売り出されてるチューナーレステレビが話題になっているようだ。

地上波を受診するチューナーがついていないため、NHKの受信料を払う必要がない(これを書いてる3月6日の時点)のもウリのひとつのようだ。

androidが見れるようになっており、地上波以外のネット接続の画像を見るための液晶モニターというはなしだ。


地上波(テレビ)はいろいろな理由で苦戦してるのは間違いないようだ。

しかし、テレビのモニターから地上波が締め出されるという事態は、これからの時代の何かを暗示してるようです。

簡単に言ってしまうと

「一般」というものがなくなるのかな

という気がしています。

テレビは一般を象徴していたと思います。

一般を作っていたと思います。

『ドラえもん』『ドリフターズ』『王・長嶋』(全部古いか?これを書いてる僕はアラフィフの人です)

全部テレビがつくったとも言えます。

王貞治(氏)が現役のころ、ホームランの世界記録を樹立したときの光景は、それをテレビで見たのが、小学校2年のころとかだったのに、かなり覚えてます。

『ドラえもん』『ドリフターズ』……『機動戦士ガンダム』とかも、は

共通言語みたいなものでした。

地上波の影響力が弱まるのは、共通言語がなくなることなんでしょう。

テレビのCMみたいなはなしをしても

「えっ、知らないけど」

みたいなことが、どんどんフツーになるのでしょう。

時代の流れなんだとは思います。


地上波がなくなっても

代わりのメディアをうまく見つけられた人には、むしろエキサイティングな現実が展開しているかもしれません。

地上波のかわりになったものは、ユーチューブやインスタみたいな投稿メディアだったり、アマゾンプライムみたいな配信メディアなのでしょう。

直接の隣人との接点を探すのが難しくなりそうですね。

こうなると、ヲタク度が強い人(超ヲタな人)の方が、Twitterなどで覇者になれる可能性もあり、深いはなしもできるので、生きやすくなりそうな気もします。

一般の話題は半数くらいの人には敬遠されるようになりそうです。

大谷翔平、(半数くらいは)「うっぜ!(うざい)」

藤井翔太、(半数くらいは)「うっぜ!」

鬼滅の刃、(半数くらいは)「うっぜ!」

新庄剛志、(半数くらいは)「うっぜ!」
(これらのファンや支持者のみなさま、たとえばなしですから、右から左へ、すうっ~と流して下さいね)

こうなると、特定のジャンルにヲタ的没入ができない人は、さきほども言いましたが、生きづらくなりそうです。

一般が存在しない世の中というのは

特にこれといったアイデンティティーがまだない子供たちのほうが

より生きづらくなるのかな

という気もします。

地上波のかわりのひとつの投稿メディアは、

これは、戦国時代を思わせる、無秩序や混乱を呈しているようにも見えます。

一般がないということは

これは、ハードウェア(今日話題にしている、ドンキのチューナーレステレビやウェブプラットフォームなどを含む)が有利で

ソフトウェア(を作ってる人)のほうが不利ということでしょうか?

一般がないということは

ソフトウェアは『鬼滅の刃』クラスのものをのぞくと

ヲタコミュニティー内部で、ヲタ的に無料消費されるものが大半ということでしょうか。

ソフトウェアは一般化が難しくなりそうな気もします。

一般化とは、つまり「お金」化ということです。

戦国時代は、室町幕府の崩壊によって火ぶたをきられました。

室町幕府の崩壊とは、一般基軸の崩壊で

そこから、戦国時代がはじまり

織田信長、明智光秀、豊臣秀吉ら、そうそうたる面子が

すごい争いを展開していきます。

ネットメディアの時代は

猛者たちが覇権を握るための争いにも見えます。

戦国時代のようです。

チューナーレステレビは、一般を度外視して、好きなコンテンツにヲタ的にのめり込みたい人には素晴らしいツールなのかもしれません(というより、タブレット端末をテレビにしたようなものでしょうか)

しかし、テレビをむしろ、一般を知るツールとして活用したい人にはどうなのかなぁという気もします。

一般のない世界というのは、人々の認知機能に障害を引き起こす場合もあるような気もします。

ちょっと悲観論ぽくなってしまい

日曜の午前に読むには適してないかもしれませんが

『ドラえもん』だとか『ドリフターズ』みたいな一般はなくなってくのでしょうね。

流行歌が既になくなったに等しいですよね。

まぁ、でも全部時代の流れかな。

もう、一般(お金)を離れたところで、好きなことをやるしかないのかな

なんて


(あとがき)
僕はFC2で趣味のブログもやってますが、それはお金(一般)を目指していません。
やや自閉的に、文字通り「ヲタク」にやっています。
noteの投稿はそれとは違って、多分ですが、一般(お金)を目指していた部分があります。
で、noteなんですが
3年9ケ月くらいやっていて、正直、自己の「非力」に直面しています。
じゃあ、趣味ブログは楽しめてるの?っていうと
趣味もテコ入れしすぎると
結局、パワーゲームになっていく部分があります。
金(収入)になってればまだ別ですが
金にならないパワーゲームほど虚しく、またバカバカしいものはありません。
地上波のような一般も瓦解してしまい
投稿メディアの戦国時代みたいな感じにもげんなりして
どうすればいいんだみたいな部分はあります。

こういう舞台が整うと
ゼロイチをつくれる人の方が有利なのかな、
という気はします。

自分は、ゼロイチを作れる人だとは到底思えないので難しいところ。

難民が増えそうな気もするけど

どうなるのかな。

「一般」が瓦解して、他方、戦国時代みたいな投稿メディアがある空間で

弱者はどう生き延びるのか?

が、これからのテーマになりそうです。


御一読どうもでした。

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