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ガンとアーユルヴェーダ B.S.D.T.財団の「癌治療と研究統合センター」からの講演を聞いて(前篇)

何をさておき、大事なことを書いておきたい。アーユルヴェーダ治療でガンは消えない。アーユルヴェーダをすれば抗がん剤治療など化学療法をしなくてもよいわけではない。アーユルヴェーダが威力を発揮するのはQOL(生活の質)の改善と体力をつけることである。アーユルヴェーダは補助的に用いる治療であり、ガンを殺す治療ではない。

民間療法とガン治療

アーユルヴェーダは、少なくとも日本では民間療法である。つまり、誰でも施すことができ受けることができる可能性の高いものだ。ガンにかかると患者本人とその周りの人たちが多くの民間療法――漢方など伝統的なものから偽科学といわれるものまで――に手を出したくなるし、誘いを受ける。しかし、明らかに治療に役立つと証明されているものは少ないだろう。
「私の叔母はこれでガンが消えました!」
「余命1年と宣告されましたが元気で10年を過ごしています!」
それは、あなたが患者本人なのか?と問いただしたくなる宣伝文句や、誰が検証したのよ?医学的に発表したの?証明されたの?と聞きたいものがほとんどである。けれど、悲しいことに苦境にあれば藁にもすがる思いになるものだ。

ICTRC(統合医療によるガン治療研究所)の取り組み

サトヴィック・アーユルヴェーダ・スクールが開催した「ガンとアーユルヴェーダ」という講演会に行ってきた。インドではアーユルヴェーダは医療であり、そこは日本と状況が違う。講師はICTRC(統合医療によるガン治療研究所)副所長のDr.ヴィネータ・デシュムク医師。ICTRCでは西洋医学とアーユルヴェーダなど伝統医学を組み合わせてガン治療を行い、1970年代から取り組んできた。そして治療成績のレポートもしっかりとある。その中で西洋医学と伝統医学による統合医療は、明らかにガン治療に対して有効であるという結論が出ているという。私はがんサバイバーとして「確たる効果のある民間療法(正確には統合医療)」がどんなものか、聞いておきたかったのだ。ガンから回復後にヨガを始めて、多少の知識をつけていて興味が湧いたというのも、もちろんある。

詳しい内容はここには書かないが(有料の講演でしたからね!)、要点は以下の通り。

ICTRCでは患者を4つのグループに分ける。
1. 手術、化学療法、放射線などの一切の従来的な西洋医学の治療をのぞまない患者
2. 西洋医学的治療を行っても、ガンが進行中の患者
3. 西洋医学の治療とアーユルヴェーダの治療をうけることを望んでいる患者
4. 西洋医学的治療を完了して、アーユルヴェーダ治療の身で再発防止をしている患者

それぞれの患者に対して最適な治療を行うわけだが、重要なのは患者が「どうなりたいか」である。それは、実はアーユルヴェーダでなくても患者が、患者になる前から考えておかなくてはいけないことだろう。つまり「どう生きたいか」ということだ。それがなければ4つのグループに入ることもできない。ICTRCではそのためのカウンセリングも密に行っているそうだ。まず「どう生きたいか」がなければ、治しようがないのだ。

アーユルヴェーダ治療でできること

アーユルヴェーダのガン治療には薬剤治療、強壮法(体力や抵抗力を付ける)、毒素排泄(パンチャカルマ)、マッサージ等、食事と行動の見直しが用いられる。一般に派手なイメージがあるのがパンチャカルマだろう。オウム真理教を知っている世代なら包帯を飲みこんで胃におさめてから口から引っ張り出し「浄化」と言っていたのを覚えているだろう。おそらく、あれもパンチャカルマの1つとして取り入れていたのだと想像できる。しかしパンチャカルマが有効な患者、有効なガン、有効な状態はさまざまで、それさえすれば治るというものではない。あくまでも治療法の1つとのことだった。

重要なのは、患者それぞれの体質、歴史、癖、ガンの質を調べ上げてその人にもっとも適した治療を行うということだ。アーユルヴェーダのもっともベーシックな考え方は簡単に言えば、食べるものがその人の体も心もつくっている、そしてそれを実現する「消化力」を取り戻したり強化したりする。カウンセリングでは人生で口に入れてきたものすべてを聞きとるのだそうだ…歯磨き粉の種類までも。そして西洋医学の医師と連携を取りながら治療プログラムをたてる。完全オーダーメイドの、その患者のためだけのものを。抗がん剤治療の副作用に耐えられないようだったら、その体力をつけるために。生活習慣でガンができたようならその改善を。摘出の手術に耐えられる体力づくりを。そして、何よりもQOLの改善だ。ガンが消えても寝たきりになったのでは「平癒」とは言わないだろう。その人が望む生き方ができるように体と心を整え鍛える助けとなるのだ。

私は講演を聞きながら、自分と現在ガン治療を受けている数人の人を思い浮かべていた。自分は生活習慣的なことをいえば、ガンになってやむなしだったなあ…とか。比較的、良好とはいえ若年性の乳がんだったので、治癒後も再発の心配は長年にわたってつきまとうことになるから、インドまで行って治療を受けるほどではないにせよ、行動する意味はあるよなあとか。あの人は現在の仕事を続けたいだろうし、社会的にもその意義は高いのだからこの治療を勧めてみたいな、とか。つまり、それぞれが「どう生きたいか」が明確な人であればあるほど、意味のある治療法かもしれないと思った。

けれど、民間療法であるという恐ろしさは質疑応答の時間に垣間見えた。
(後篇へ)

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