note_第44回_島の雨

島の雨/新井由木子

 六月に帰郷すると、式根島には梅雨らしい雨がザアザアと降っていました。
 降り注いだ雨は島のコンクリートの道に集まり、海まで流れていきます。それは、普段真水の得られない小さな島に、いきなり現れる川です。急な坂道ではそのまま急流に、透き通って冷たい雨水そのものの、きれいな浅い川。
 子どもの頃にはこのできたての川にビーチサンダルのまま入り、笹の小舟を浮かべて海まで追いかけていくのが楽しみでした。場所によっては、流れの上に透明な青海波を双方向から重ね合わせたような模様ができているのに驚いたり、落ち葉溜まりがダムを作って小舟の行く手を阻むのがスリルだったりする、今思えば贅沢な遊びなのでした。

 また、雨上がりにグンと大きくなる(気がする)カジイチゴも、梅雨の季節の楽しみでした。黄色く輝く粒の集まったカジイチゴの実は、雨に磨かれて光っています。枝が弾力を持って強く跳ね返り、侵入を拒むカジイチゴの藪に無理に分け入り、ホロリと崩れないようにイチゴを摘んで、そのまま口に入れると、瑞々しく甘い花の香りがして、小さな種が口の中に残るのをジャリジャリと噛むのも楽しいのでした。

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 もうひとつ、島の雨と一緒に思い出されるのは、あの辛子色の傘のこと。
 辛子色という渋さでありながら子ども用だったその傘には、当時流行っていた子ども向けテレビ番組のレンジャーがたくさん描かれていました。テレビキャラクターもののグッズは、あまり子どもに与えない方針の新井家でしたが、その時、島の雑貨店にはそれしかなく、仕方なく買ってもらえたその傘がすごく嬉しかったのです。

 待ちかねた雨は、少しだけ風を含んでいました。正面から柔らかく吹き付ける雨風をビニールの匂いも新しい傘にはらんで、島の中心にある小学校へと向かう気分は、遊びの途中のように最高でした。
 小学校が近づくにつれ通学路には島の小学生が集まってきて、お調子者はメリー・ポピンズのように風に乗るマネをしてふざけたりします。わたしはクルクルと傘を回し、レンジャーたちの表情を楽しみました。雨を落とし続ける空は薄い灰色で、この分では外遊びも出来ない一日になりそうでしたが、この傘があれば毎日雨でも良いとさえ思いました。

 しかし、風は優しいままではありませんでした。その突風が訪れたのは、いきなりだったのです。

 風の圧力が傘にかかり、新品の傘を吹き飛ばそうとします。そうされてはなるものかと、わたしは傘の持ち手を力一杯握り、耐えました。先ほどまでそう願っていたにもかかわらずメリー・ポピンズになる小学生は1人もおらず、みんなその場に踏ん張って、突風が過ぎるのを待つのです。そんな中、わたしの傘だけに異変は起こりました。
 突然、圧力から解放されたかと思うと、手に傘の持ち手だけが残されていたのです。
 天空には自由を得た傘がうれしげに、辛子色のコウモリのごとく飛んでいくのが見えました。

 呆然とするわたしに降り注ぐ雨。腹を抱えて笑う島の小学生たち。
 無情な雨に打たれながら、そりゃ笑うよね、と思いました。
 そして、やっぱりキャラクターものには縁がないんだな、と唇を噛むのでした。

(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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