新井由木子【思いつき書店】vol.008 神様を食べた話(下)
これは、正気を無くさねば食べられない。自ら持参した100円缶酎ハイをあおるスピードが上がります。そこへ
「おくれてごめんね」
ONU氏の奥方が娘さんを連れて現れました。
この奥方はとってもべっぴんさん。娘さんと揃って白く細く可憐で、ふんわりとした長い髪のフランス人形のような二人。娘さんにONU氏のエキスがあまり入っていなくてよかった。
奥方は「すこし、怖いわ」と言いながらも、平然とした顔をして実を口に入れました。
原始人でなく文明人がそれを食べたのを見て、わたしの心が『yes大丈夫』と言いました。
また怖くならないうちにすかさず口の中に入れると、それはまるで葡萄のよう。透明の果肉は噛み応えがあり、タンパク質なのか果実なのか判然とせず、わたしはそれを美味しいというより美しいと感じました。
口の中のものに対して美しいと思ったのは、生まれて初めてです。
さて、もうだいたいおわかりになったかと思いますが、この時わたしたちが食べていたのは、生きた蜂の子。しかも雀蜂の子ですから、大きくて立派なものでした。
続いてONU氏が房の白い綿毛を箸で剥がすと、そこに入っていたのは既に成虫の雀蜂になろうとしているさなぎ。純白の体に、まだこの世の何も映していない大きな黒い目が美しい。
テキーラに入れて気絶させると、原始人とフランス人形とがっしり太って汗を流している女の三人が、公園の薄暗い東屋で儀式のように口へと運びました。
小さい方のフランス人形は夜の特別な集まりにはしゃいで、ハムスターのぬいぐるみを振り回しながら意味もなく東屋の周りを走り回っています。
幼虫を食べた感想は、美しい生命を食べた感じ。
恐ろしくも美しいさなぎを食べた感想は、神々しい神様を食べた感じでした。
命を食べるとはよく言われている言葉ですが、ほんとうに命を、生命力を、命が形作る神秘を、食べた感覚。それはこの世の真理を見たような、これから見る世界が変わるような体験に、わたしには思えました。
『次に食べる時は、テキーラで気絶させないで食べてみたい』
そう思いました。生命を食べるということに、もっと肉薄できる気がしたからです。
そう思えることは、わたし自身が生命の謎の中核に一歩だけ踏み出したことなのですが、そういうことの全くわからないONU氏が
「あ、まだ一匹いますからドウゾ」
と言い、わたしはわたしがウソをついていたことがわかりました。
自分の心が綺麗ごとを言い、その自分の心のウソにこんなに早くはっきりと気がついたのも初めてのことでした。いそいそと箸を取ったONU氏に、わたしはすかさずお礼を言って謝って、踊り食いはお断りしました。
(了)
※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。
文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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