見出し画像

娘と一緒にもう一度行きたいハワイ島/沢野ひとし

 ハワイ島に足繁く出かけていた時期がある。ハワイ島はハワイ諸島の中で一番大きな島で、“ビッグアイランド”と呼ばれていた。日本の四国の半分ほどの広さである。

 知人の別荘がカイルア・コナにあり、まるで私が持主であるかのように、何度も利用させてもらっていた。その代わり一所懸命に家の掃除をしたり、庭の剪定を業者に頼んではその支払いまでもしていた。
 知人は私の片づけ魔を知っていたので「いつでも使っていいよ」と諦め気味にお墨付きをもらっていたのだ。

画像1

 娘はハワイ島というと私に付いてきた。
 温暖な気候が彼女の体調に合っているのか、カイルア・コナの空港に着くと、途端に表情が生き生きして、彼の地特有のコーヒーと甘いチョコレートが混ざったような匂いに両手を上げるのだった。

 別荘の裏はフアラライ山のこんもりした森の裾野が広がり、その中腹にはコーヒー農園がいくつもあった。そこには日系人が多く住んでおり、農園の跡地を利用してカフェや画廊、そして地元の有志が立ち上げた小さなアートスクールがあった。わずかな金額を寄付すると、自由に教室を利用し、絵を描いたり、工作作業ができた。

海べり


 私と娘はレンタカーに絵の道具を積み込み、一日中教室で過ごすことが多かったが、時には海のほうへスケッチに出かけることもあった。海岸は日差しが強く、肌の弱い娘は木陰でバスタオルを頭に巻き、音楽を聴いたり、日記を付けたりしていた。その日記をもちろん見たことはないが、娘は旅に出ると、朝から晩まで何やら熱心に書き込んでいる。おいしかったアイスクリームの絵から挟み込んだレシートまで、ノートはいつもまたたく間に分厚くなっていく。

 思えば日本が冬になると、渡り鳥のようにハワイ島にやってきた。クリスマスから新年にかけての滞在も何度もあった。常夏(とこなつ)のハワイでもクリスマスが近づくと、スーパーマーケットや土産物店にはジングルベルの曲が流れ、トナカイのネオンが点滅していた。

クリスマスのベンチ


 その年、娘はレンタルバイクで、町の狭い路地の一つ一つを探索して絵に描き、日記帳もやはり細かい字で埋めつくしていた。
 そして帰る段になり、トランクの中を整理していると、娘がやってきて「まだ残りたい。でもここに一人だと怖いのでコンドミニアムに行く」と真剣な顔で言うのだった。
 大学の春休みが長いので、思い切って二カ月はこの場所にとどまりたいと、娘はすでに決意していた。いつの間にかバイクであちらこちらのコンドミニアムに行って、見学していたのだ。
「お金は平気か」と心配すると、なんと銀行カードとクレジットカードを今回のために前もって手配していた。

 そういえば娘は高校生の頃から、海外だからといって物怖じすることがなかった。相手の眼を見て、照れることなく大きな声で英語を話すことができた。

 ひとりで帰国する私を空港まで見送りにきた娘は、ブーゲンビリアのアロハシャツを着ていた。中学生まで学年で一番背が低かったのに、高校生になると、細身ながらぐんぐん伸びて、今や立派な大人に成長していた。

「コンドミニアムの部屋には電話があるから、いつでも電話してね。お母さんに心配しないでと言っておいて」
 ゲートに入って行く時、娘はちょっと淋しそうな顔をして「たくさん絵を描いてくるね」と言い、もう一度「心配しないで」と手を振った。

たたずむ

イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。10月5日に新刊『ジジイの片づけ』(集英社)を刊行予定。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi


この記事が参加している募集