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始まりの一杯/中澤日菜子

 ここ最近、わたしは締めのラーメンではなく「始まりのラーメン」を食べるようにしている。
「始まりのラーメン」とはなんのことかというと、大事な会食や飲み会があるとき、会が開かれる前にラーメンを食べ、お腹をあらかじめ満たしておくことを意味する。
 どうしてこれから美味しいものがわんさと出てくるのにそんなことをするのか。それはある失敗に基づいている。

 二〇一六年、年末のことである。その年、デビュー作の小説『お父さんと伊藤さん』が映画となって全国公開された。主演は上野樹里さん、リリー・フランキーさん、そして藤竜也さんという超豪華メンバー。タナダユキ監督のもと、映画は素晴らしい作品となって観客を魅了した。わたしも一観客として感動し、「作家になれてよかった」としみじみ感動にひたった。そのお礼を兼ねて、都内のビストロを借り切ってスタッフ陣を多数お招きした「お礼の会」を催すことになったのである。

 じぶんがホスト役、そしていらっしゃるのは映画を作ってくれた数十名の方々。タナダ監督もお忙しいなか、来てくださるという。わたしはおおいに緊張し、その緊張をほぐすため、出てくるワインをがぶがぶ飲んでしまった。料理を楽しみに空きっ腹で臨んだのに、である。

 結果、なんとか会は成功したものの、わたしはぐでんぐでんに酔っぱらい、翌日は激しい二日酔いに悩まされ、友人と交わしていた約束を取り消さざるを得なくなってしまったのである。
 申し訳ないことをした。わたしはおおいに反省し、この失敗を今後に活かすことにした。それが「始まりのラーメン」の始まりである。

 翌二〇一七年。今度はNHKのBSプレミアムで、拙作『PTAグランパ!』がドラマ化されるというミラクルが起こった。主演は松平健さん。松平さんの奥さん役に浅田美代子さん、娘役に真飛聖さん、PTAの副会長役に安達祐実さんというこれまた豪華な役者陣。キャスト、スタッフの皆さんの奮闘の結果、ドラマは超高視聴率を叩きだした。

 光栄である。幸せ過ぎる。
 わたしは再度「お礼の会」を開催することにした。今回はスタッフさんだけでなく、なんと松平さんや浅田さんたち主要キャストも来てくださるという。緊張マックスである。

 今度の会場は熟成肉が評判のお店。
 肉……大好きなお肉……できればわたしもお腹いっぱい食べたい。けれど空腹で臨めば、また緊張をごまかすため、きっとわたしはワインをしこたま飲んじゃうだろう。酔いつぶれたりしたら、ホスト役として面目が立たぬ。そこでわたしは考えた。
「お腹を満たしてから会に参加すればいいのだ」と。

 これから美味しいお肉が待っているというのに、わたしは手近なラーメン屋さんに駆け込み、大盛のラーメンをお腹に詰め込んだ。そうやって満腹状態になってから、お礼の会に出たのである。

 この作戦は功を奏した。すでにお腹いっぱいのため多少飲み過ぎても悪酔いしない。どころか酒量も抑えられる。一石二鳥である。残念ながらお肉はあんまり食べられなかったけど……。
 以来わたしは「始まりのラーメン」をじぶんに課すこととした。

 出版社の催すパーティなどでも、挨拶したり打ち合わせをする前に、まず料理を取りに走る。パーティは某超有名ホテルで開かれることが多く、その場で握ってくれるお寿司や焼き立てほかほかのローストビーフなど大ご馳走がずらりと並ぶ。それらをぞんぶんに胃に収め、食べにたべてから挨拶に回る。こうすれば、そのあとどんなにお酒を注がれようとも酔っぱらって醜態をさらすこともなくなる。

 なんというグッドアイデア。頭良すぎるんじゃないか、わたし。
 じぶんでじぶんに酔っていると、ふと会場の鏡が目に入った。そこには大皿を握りしめ、猫背になってご馳走をこれでもかと掻き込む浅ましい己の姿が映っていた。
 知らないひとが(いや知っているひとでも)この姿を見たならばきっと「ナカザワさんはふだんろくなものを食べてないんだなあ」「タダ飯だと思って食らいついてるなあ」と思うであろう。

 急激に恥ずかしさが襲ってくる。
 でもでも、ご飯を我慢して、空きっ腹のまま酔いつぶれるよりはずっとましなはずだもの。
 そうじぶんに言い聞かせ、厚切りのローストビーフを口いっぱいに頬張った。

 とはいえ新型コロナのせいで、今年はパーティじたいが開かれなくなっている。おかげで編集担当さんや、小説家の友だちともなかなか会う機会がない。食い意地を別としても、早くまた朗らかになんの憂いもなく大勢で会食をしたい。そんな日が一日も早く来てほしいと、こころから願っている。

【今日のんまんま】
ベランダで育てているバジルを使った夏野菜のジェノベーゼ。自家栽培ならではの素朴で力強い味に。んまっ。

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この連載では、妻、母、元編集者、劇作家の顔を持つ小説家であり、新刊『働く女子に明日は来る!』(小学館)が好評発売中の中澤日菜子さんが、「んまんま」な日常を綴ります。ほぼ隔週水曜日にお届けしています。

文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)、『お願いおむらいす』(小学館)がある。最新刊は『働く女子に明日は来る!』(小学館)。
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