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MY STORY|02 ~ 初めの成功体験 ~

起業して、様々なことを学んできた。

デザイン、キャッチコピー、マーケティング、自己啓発系、エネルギーワーク、心理学など

これからの私が構築していきたいビジネスの方向性に活かせることで必要なものは、一通り学んでみた。

その中で必ずと言っていいほど、出てくる言葉が
「成功体験」という言葉。

「成功体験」ってなんぞや??と、
斜め上から、それってビジネスをする上で何か関係があるんだろうか…と、初めの頃はずっと思っていた。

今までを振り返ってみても、成功したという記憶がない。

そう思っていたが、幼少期の成功体験があれば、潜在意識的に「自分はできる」という自信があり、とにかく素直になんでも取り組めるということらしい、というのが分かった。

そして、自分の歴史の中で一番初めの「成功体験」ってなんだろう。

そうずっと考えていて思い出すのは、小学生の頃の出来事だ。

問題児だった小学生

ちょっと変わった子だったと思う。
もっと幼いころの出来事もあり、人を見透かすというか、何を考えているかが分かっちゃうようなところがあったり、その人の裏の意図を考えるような癖があったり、ほんでもって感性が強いから、ほんと変わった子。

自分が集団の中にいるということ、右向け右の世界に居なくてはいけないことが本当に辛かった。監獄のなかで生活しているようなイメージ。

それを普通に楽しんで学校に来てる周りの子どもたちのことも理解できなかった。

そんな変わった感覚だったから、先生もきっと対応するのが大変だったと思う。今考えると本当に申し訳ない…。

こんな状態で学校に行くこと自体が嫌になるのも時間の問題で、小学校2年生の時にはもう不登校児だった。

今と違って、あの当時は”世間の目”をすごく気にする時代だった。
我が家がとくに気にする家だったのかもしれない。

学校に行くのが「〇」、不登校は「✕」

もうただそれだけ。

学校に行っていないあの子は、ダメな子、ちゃんと育てられない家族というレッテルを貼られるだけ。

だから、学校に引きずられ、泣け叫びながら、学校に連れていかされていたのは鮮明に覚えている。

どんなに泣き叫んでも、自分が行きたくないところに置いてかれて、全く楽しくない半日を過ごしていた。

今のように別教室での授業やオンライン授業も無い時代。

みんな普通に生活ができている中に、泣きながら連れていかれることも本当に嫌で辛かった。

そんな毎日を過ごしていると、だんだん泣きつかれて、抵抗する気力もなくなって、学校に行くということは抗えない事実なんだという状態になった。

「どうせ、私は…」

自然とそういう考え方が形成されたのもこの頃なんだと思う。

思考停止の状態が続く

そんな感じで、早く小学校生活が終わらないだろうかということだけを考えて毎日を過ごしていた。

何をやっても楽しくない。

居たくないところにいて、やりたくないことをさせられている。

絵を描きたくないのにこの時間は絵を描かなくてはいけない。
暑くてたまらないのに外でマラソン。
当時は、授業中に水も飲んじゃダメだったし。

何を学ばされているのか正直わからなかった。

挙句の果てに、協調性がない、ということで私も親も問題児扱い。

本当に辛い。

放課後になると何も抵抗できないことで、なぜか自然に泣けてくる。


そんな毎日を過ごしていたとき、声をかけてくれたのは、小学校2年生当時、担任をしていた先生だった。

定年退職をすることが決まっていたおばあちゃん先生で厳しい先生。

みんなが帰った放課後の時間、泣きはらした顔の私の手をずっと握って、ずっと優しく話をして、言葉にならない私の話を毎日聞いてくれていた。

なんでそんなに悲しいの?
どうしたら楽しくなる?

そんなようなことを聞かれていたと思うけど、自分の思うとおりにならないことが嫌だった私は

「とにかく何もかもが嫌」

とそんな風に答えていたと思う。

先生からずっと言われていたのは

自分が楽しいと思うような学校に変えてみたら?
どうやったら楽しく思えるかな?

という投げかけだった。

ずっとその答えは見つからない。

というよりも、強制的に行かされている学校生活が楽しく変わるわけがないと思っているから、答えを見つけようとすらしていなかった、思考停止の状態である。

それでも、毎日毎日、先生に問いを投げかけられていた。

そうすると、思考停止の状態から、楽しくなる方法ってあるんだろうか?に少しずつ自分の中が変わっていった。


目の前の事象は変わる

少しずつ私の思考停止の状態から、ちょっとずつ何かが解けてきた。

たくさんの生徒を見てきた先生は、その瞬間ははっきりとわかって感じ取っていたと思う。

学校が楽しくなる方法とは…

私が先生と一緒に導き出した答えは、「自分から行動してみる」ということだった。

それまで、発言もしない、頑固で、右と言われれば左に動く、言われたことはやりたくないとふて腐っていた私。

そんな私が学校生活において「自分から行動してみる」と言った。
人に言われて行動するのが嫌なのであれば、自分から発言し行動を促す側に回るというもの。

そして初めて行動してみようと、クラス委員長に立候補することにした。

学校に行くのも嫌だった私が、あの時、立候補で手を挙げたときの震えが止まらなくなるほどの緊張感は今でもずっと忘れられない感覚として鮮明に残っている。

そしてクラス委員長になりたい人って、そんなにいなかったから、すんなりなれた。

そしてそこから、目の前の世界がガラッと変わり始める。


自分が変われば人生は変わる

クラス委員長になってわかったことは、自分が提案したりすることでいかようにでも創り上げることができるということ。

思い通りにならないときは、独断で勝手に決めてしまうこともやった。

そうすると反感を買うとか、仕切りやと言われてイジメられた。

私の場合、これらの原因は私自身のあり方にあることを自分で分析してその都度改善していった。

どんな依頼の仕方をすれば人は動くのか、そして全体がまとまるのか、モチベーションが上がるにはどうすればいいのか、

今、言語化するとこんなところだろうと思うけど、それを毎回毎回考えて行動することで、全体がまとまっていくことが本当に楽しかった。

あんなに学校に行くのが嫌だったのに、楽しいという日々に変わった瞬間だった。


主体的に動くと得られること

先生から教えていただいた「自分から行動してみる」こと、主体的に動くということをやり続けて思うのは、主体的に動けば動くほど、目の前の事象は変わり、自分の描いた未来を創造することができるということだ。

起業してからちゃんと本を読み始めて分かったのは、これは原理原則で、まぁ当たり前の出来事であるということ。

人それぞれ、いつ経験したのか、そして経験した事象は違えど、そのことに気づきそして行動していけるかどうかということである。

主体的に動くことで得られることは、全てが自分のために起きていることで、人も時間も経験も一つ一つがかけがえのないものになっていって、更に動けることが増えていくという相乗効果となっていくということ。

小学校2年生の3学期のあの日の立候補した瞬間から、ずっと長をやってきた経験というのは、何があっても臆することなく人前で話すことが出来たり、突発的に何かの対処をしたり、ぶっつけ本番でもなんとかなったり、そんな堂々と振舞えるようになった自分の軸を形成した1つの出来事になっていて、自分のなかでこれが私の初めての「成功体験」です、と言えるものだと確信している。

諦めずに私にずっと寄り添っていただいた先生との会話は、亡くなられた今でもずっと忘れない。

そして、新しいことをするときにはいつも「自分が思うように変えてみたら?」という言葉で自分の人生を自由に創っていく。

そう教えてもらったことを私が出会った方へ伝えていきたい。


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