見出し画像

アンノウン・デスティニィ 第21話「ノゾミ(2)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第21話:ノゾミ(2)

【2036年5月13日、鏡の裏、つくば市・実験林アジト】
 「雲ひとつない」という定型文がこれほどふさわしい空はないと思った。
きょうも朝からよく晴れていて、5月のくっきりとした空が実験林の管理小屋の真上にあった。
 ――空が青いのはレイリー散乱で、雲が白いのはミー散乱のせいだよ。
 透の声が聞こえたように思った。
「宇宙はまっ暗な闇なのに、それに接している空はどうして青いんだろうね」
 そんな子どもじみた質問をもらすと、空を見あげて解説してくれた。
「空が青く見えるのは光の波長よりも小さな粒が散乱するからで、雲が白いのは大きな粒子が散乱するからさ」
 ノートを取りだし双極子モーメントがどうのこうのと、アスカには謎の公式をさらさらと書きはじめた。こうなると透は止まらない。(へんなスイッチ押しちゃったな)、ため息に笑みがまざる。原理はわからないけど、あの高い空で光がさんざめき蒼く透けてゆくさまを想像した。
 あの日の空も青かった。
 そういえば、鏡を越えた日は二度ともこんな快晴だった。
 
 透のUSBが次に示したのは、きょう5月13日12時21分。
 昨日アラタがそれを告げると、
「えっ、明日? そんなしょっちゅう鏡って開くの?」
 キョウカが驚きをもらす。
「前回とは一年あいています」
「そっかあ。あたしにとっては昨日のことだから。感覚がおかしくなりそう」ややこしいなあ、とキョウカが頭を振る。
「暦年のちがいはあるが、5月前半に集中してねえか」瑛士がポイントをつく。
「5月は比較的天候が安定して晴れの日が多いからだと思います。6月になると梅雨がはじまるし、7月からは台風も考慮しなければならないので計算がさらに複雑になります」
「そうだな」
「それと、日向透にはこの時季に集中させたい理由があったのかも」
「それって、何?」アスカの目に光が宿る。
「わかりません。おそらく彼の目的と関係してるんじゃ」
 目的……。透の目的はなんだったのだろう。それさえわかれば。
「場所は卵子・精子バンクラボの空中回廊?」
「いえ。バンクラボ前の道を南にくだったあたりです」
 透の目的はもうバンクラボにはないということか。
 バンクラボで犯人を取り逃がしたことを悔やむ。透が計画したことを、あたしは何ひとつできていない。自らの失態に鳩尾みぞおちがきりきりと締めあげられる。
 USBに残された計算式は、透が目的を完遂するためのロードマップでないかとアラタはいう。透は何をするつもりだったのだろう。己の遺伝子を重要視していたとは思えない。受精卵は透にとって、どれほどの重みがあったのか。親がいても幸せとは限らない、と言った透にとって。
 漆黒に光る瞳を思い出す。
 あたしも、あの目が見つめていたものを追いたい。
 
「バンクラボに隣接する林を工事してたけど、なにかできるの?」
 昨日、キョウカが瑛士にたずねていた。
「アンノウン・ベイビーたちの施設って噂だぜ」
 施設……いやな言葉を聞いたと、アスカとキョウカは眉をしかめた。
 
 5月13日午前10時過ぎに、実験林正門から『林野庁実験林センター』と印字された軽トラが2台続いて出て行った。南西角の信号で左右に分かれる。右折した軽トラのハンドルを握っているのは瑛士だ。「実験林センター」と刺繍されているつなぎの作業着に作業帽を目深にかぶっている。左折車はアラタが運転していた。アスカは瑛士のトラックの荷台に、キョウカはアラタの荷台に隠れている。
 
 次の越鏡ではクリアしなければならない課題が3点あった。
 車で越鏡する危険性は身にしみているため徒歩で行くと決めた。
 次に制限時間の問題があった。鏡が開いているのは1分間だけ、とアラタはいう。バンクラボの回廊で犯人に続いてワープできなかったのは、「14時42分になっていたんじゃないでしょうか」ミラーナンバーが崩れると鏡は閉じるのだと。
 この2点をクリアするには、ふたりがジャストタイムに並んで歩くのが理想だ。
 ところが、もう1点浮上した問題に頭を抱えた。
 ふたり並んで歩くと、『フォレストみやま』で黒龍会を襲った二人組だと露見する恐れがある。ひとり仕留め損なったのは痛恨だった。おそらく車の下からライフルの男に刺した針が、きちんと動脈に刺さっていなかったのだろう。逃げた人物がどれだけの情報を持ち帰っているかわからない。
 アラタが「ぼくがキョウカさんの代わりに」と手をあげたが、「それはまずい」と瑛士が即座に却下した。
「USBに残された最後の一問が解けてねえし、黒龍会の動きを探るためにもアラタの能力は欠かせない」
「しかたねえ、俺が……」と言いかけるのを3人がそろって押しとどめた。
「ボスこそ、居てもらわないと、警察対応とかどうするんですか!」
 キョウカの目が吊りあがる。
 ちっと舌打ちし「俺も越鏡してみてえんだけどな」と首をすくめた。
「要は第三者の目からみて、ふたりがまるっきり赤の他人に見えればいい、ということですよね」
「そうだ」
「はたからみて赤の他人のふたりが、5月13日12時21分に同時にGPSポイントにいる偶然を工作する」アラタが要点をまとめる。
「そういうことになるな」

【2036年5月13日12時、鏡の世界、つくば市・ラボ前通り】 
 『基礎応用科学研究所前』のバス停でかなりの乗客が降りた。たいていは目の前のラボに入っていく。なかには数人、街路樹が木陰をつくる歩道を南にくだる者がいた。隣の卵子・精子バンクラボに行くのだろうか。その集団にまぎれるようにしてグレーのメンズスーツを着て男性に扮したアスカがいた。
 瑛士の運転する軽トラは、つくば駅の北にある中央公園の管理事務所手前に横づけされた。瑛士が荷台のあおりを倒すと、シートの下からアスカがすべり降りる。ショルダーバッグを斜め掛けした銀縁眼鏡の冴えないサラリーマンが、バスのロータリーへと向かった。
 バスを降りた男は汗をふきながら歩く。汗で眼鏡がずり落ちるのか、ときどき眼鏡のブリッジをあげ腕時計に目をやる。
 ワン、ワン。タッ、タッ、タッ。
 犬の鳴き声と軽快な足音が後方から聞こえてきた。
 グレースーツのサラリーマンはときどきバッグのショルダーを引っ張りあげながら、卵子・精子バンクラボの前を通り過ぎる。よほど書類が重たいのか、また立ちどまって汗をふき、腕時計を確認する。
 街路樹が緑の蔭のドットを歩道に描く。その緑陰がバンクラボの南端でぷつりと途切れている。ラボの隣は工事中で白い鋼板が張り巡らされ、歩道は陽にさらされている。
 サラリーマンに扮したアスカは腕時計をまた確認する。
 12時20分。あと1分。光のなかに歩を進める。
 タッ、タッ、タッ、タッ。
 規則正しいランニング音が速度をあげて近づいて来る。
 アスカが一歩、光の降り注ぐ歩道へと進み立ち止まる。GPSを確認する。
 バゥワン!
 犬がアスカに飛びかかり倒される。
 リードに引っ張られてキョウカも倒れこむ。
 ゴールデンレトリバーの金の毛並みがゆれ、カッとまぶしい光が射した。

(to be continued)

第22話に続く。

 


サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡