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『オールド・クロック・カフェ』6杯め「はじまりの時計」(9)

第1話は、こちらから、どうぞ。
前話(第8話)は、こちらから、どうぞ。

<あらすじ>
『オールド・クロック・カフェ』には時計に選ばれた客だけが飲め、飲むと過去の忘れ物を思い出す「時のコーヒー」がある。
12月のある日、カフェの店主桂子の祖父と母が訪れる。桂子と母親は長年、わだかまりがある。時計が母と桂子の両方に鳴り、「時のコーヒー」を飲んだふたりは、桂子が中学一年生のときに母と行った南座の顔見世を思い出す。幕間で桂子は学校でのいじめを打ち明ける。回想からめざめた桂子は、母との不和の原因はいじめではなく、自立に目を背けた自分にあることに気づく。だが、母の万季は別のことが原因と思いこんでいた。
母は南座のロビーでぶつかった男性が、桂子の実の父親であり不倫をしていたのだと告白する。しかも母は、祖母へのあてつけから不倫したという。

<登場人物>
桂子‥‥‥‥カフェ店主
祖父‥‥‥‥カフェの前店主
万季‥‥‥‥桂子の母
公介‥‥‥‥桂子の義理の父

* * * Old Complaints * * *

「万季、おまえ……ほんで不倫を」
 祖父が低くうめく。
「そないに久乃にかまってほしかったんか」
「かまってほしかった。家にいてほしかった。さびしかった」
 言い募る母が少女にみえた。
「小学生のときに男子と取っ組み合いのケンカばかりしたのも、母さんが学校に呼びだされると思ったから。けど、来るのはいっつも父さんやった。そらそうよね、家におるんやもん」
 母は店内を見回す。
「こんな流行らん店なんかせんと、父さんが会社勤めしてくれたら母さんが働かんでもええのにって。せやから店は大嫌い」
 祖父は前かがみで腕を組み、しばらくうつむいていた。
「わしの収入だけでも暮らしていけてたんやで」
 眉間の皺を指でつまみながら、四十をとっくに過ぎた娘の顔を窺う。
「ろくに客もおらんのに?」
 万季の語尾がぴんと跳ねあがる。
「たしかに店は儲かってへんかった。けどな、わしはずっと税の区分上は会社員で給料もらっとったんや」
「は?」
 万季は思わず身を乗りだし、コーヒーをこぼしかける。
「おまえらが暮らしとる岡崎の家もそやけど、この店も、一刻堂不動産が管理しとる物件で、わしは一刻堂の常務取締役や。今もな」
「はあ?」
 弦の切れた声がふらつく。
「桂ちゃん、あんた、知っとったん?」
「うん」
 桂子はちらりと隣の祖父に目をやる。祖父がうなずくのをたしかめてから続けた。
「店継ぐときにおじいちゃんから説明受けた。あたしも一刻堂の社員よ」
「なんで……」
 万季は言葉を失って口を閉じることも忘れ、祖父と桂子のあいだを視線を泳がせる。
 ――なんで自分だけ知らなかったのか。
 わかってる、知ろうとせんかった。勝手にねて、ひねくれて。たいせつなもんをどれだけ取りこぼしてきたんやろ。両の掌を開いて指のあいだを見つめ、ぎゅっと握りしめる。
 
「小菅家は昔から借家をいくつか持っててな。それらを学生向けアパートにせんかいう話が持ちあがった。いっそのこと会社組織にして管理しよかってなって、親父から手伝うてくれ云われた。ここでカフェをさせてくれるんやったらと交換条件をだした。管理物件の運営部門いう名目や。ちょうど久乃の腹におまえが宿ってた。カフェをしながら俺が子どもを育てたら、久乃が看護師の仕事を辞めんですむ。客のおらんときに帳簿つけたり、新規物件探したり。コーヒーを飲んでもらいながら物件契約もした。一刻堂の業務以外にも『クロノス』いう時計の専門誌にコラムを連載したり、タウン誌にも寄稿しとったから、そこそこの収入があったんや」
「父さんの収入だけで暮らせてたんやったら、なんで母さんは看護師を辞めへんかったん?」
「久乃は看護師になることを親から反対されとった。それでも諦めずに叶えた夢を、赤ん坊ができたから辞めろとは言えん。続けさせてやりたかった」
 祖父はしばし瞑目する。
「母と娘いうんは、難しいもんやなあ。久乃はおまえと逆やったんや」
「逆?」
「久乃の母親、麩屋町ふやちょう祖母様おばあさまはなあ、神経質で心配性な人でな。久乃が怪我せんように、風邪ひかんように。熱出しただけで大騒ぎやったそうや。真綿でくるまれるようにだいじに育てられたけど、何ひとつ久乃の自由にはならんかった。久乃はおっとりした性格で、祖母様はせっかち。久乃が動く前になんもかもが整えられとった。ありがたいけど息苦しかったそうや」
「桂ちゃんと、おんなし……」
 そや、と祖父がうなずく。
「看護師はな、久乃が初めて祖母様に逆らってでも貫きとおした夢やった。久乃はおまえのことを放ってたんでも、愛してなかったんでもない。参観とか行事には仕事をやりくりして行っとったやろ」
 母がそっと目尻を押さえる。
「わかってたよ、母さんがうちのために無理してくれてるの。でも、それが嫌やった。なんで無理して、してもらわなあかんの。疲れてる母さんにわがままいうたらあかんて我慢した。けど、なんで我慢せなあかんのって気持ちもあった」
「そうか」
 万季が抱えてきた屈折した思い。それを誰が責めることができるやろか。
「そやのに、なんでおまえも看護師になったんや」
「気づいたら進路調査書に書いてて……自分でもびっくりした」
 母が看護師であることは、万季の自慢でもあったのだ。厭いながらも、誇る気持ちとのせめぎ合い。自分の感情をうまく整理できず折り合いをつけられずにいた。
「公介君との結婚を機に看護師を辞めたんは、さびしい想いを桂子にさせとうなかったからか」
「そう。うちが子どものころに母さんからして欲しかったことを、桂ちゃんに全部してあげよう思った。最初を母親としてまちごうたから」
 自嘲ぎみに口をゆがめる。
「あんな、もひとつ謝らんとあかんことがある」
 万季は桂子に向き直り、姿勢を正した。

(to be continued)


第10話に続く。


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