大河ファンタジー小説『月獅』75 第4幕:第16章「ソラ」(10)
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第4幕「流離」
第16章「ソラ」(10)
(ライは四方からの銃撃に斃れた。絶叫するソラから禍々しき赫い光が迸り、天を衝く光の柱となって、ソラは昏倒した――)
ソラは鉄格子の檻で目覚めた。
暴力的な陽ざしが肌に刺さる。周囲には茫々たる砂の海しか見えない。四方を鉄格子で囲まれた檻は、砂漠の上に置かれていた。
大型獣用の檻なのか、床と天井は板張りでかなり広い。ソラが転がっているあたりはかろうじて日陰になっていたが、地を這う熱風が喉をふさぐ。無秩序に吹く風が砂を舞いあげ、横臥した目を襲う。
起き上がろうとしたが、躰の芯に力が入らない。全身がだるく、腕も痺れていた。
檻の隅に皿と革袋が置かれている。砂まみれだが肉は肉だ。ノリエンダの北壁ではいつ獲物にありつけるかわからなかった。腹が空いていようがいまいが、獲物があれば喰らう。飢えないための本能だ。喉もひりつくほど渇いている。
身を引き摺って這い、革袋に手を伸ばした。歯で栓を抜き臭いをかぐ。掌に一滴だけ受け、舐めて確かめる。ぬるいが舌はひりつかない。肩肘をついて半身を起し、むさぼり飲んだ。こぼれた水が顎をしたたる。ひと息に流し込むと、砂をはらって肉を食む。腐敗が進みかけているのか死臭がした。
身の裡がじわりと覚醒する。立ち上がろうとしてようやく、鉄球のついた鋼鉄の足輪が嵌められていることに気づいた。
いつ、こんなものを。
なぜ砂漠の檻にいる?
俺をさらったのは誰だ。
ルチルが警戒していた王宮か。
何かたいせつなことを忘れている気がする。ソラはまだ朦朧としている頭を振る。
東の方角から馬の嘶きが聞こえた。砂煙を巻き上げて数騎が駆けて来る。砂漠馬か、脚が太い。砂漠馬は足裏が扁平で弾力があるため砂に埋もれずに駆けられる。
先頭の一騎が速い。檻まであと一駆けのところで手綱を引き、ひらりと下馬する。
白く長い衣の裾が砂風にはためく。頭も白い布で覆われているのか、全身が真っ白だ。男に比べると砂の海はよほど褐色なのだとわかる。腰に帯びている大ぶりの佩刀の鞘だけが黒い。首に幾重にも提げている宝玉がちらちらと不規則に太陽光を反射させていた。後続の四騎が濛々と砂塵をあげて追いつく。その黄色い砂煙を光背にして長身の男が大股で近づいて来る。
「目覚めたか」
四つん這いで身を低くしてソラは睨む。
「まるで獣だな。まこと天卵の子か?」
「おまえは誰だ。ここはどこだ」
ソラが吼える。
「貴様、無礼であるぞ」
追いついた従者が息を荒げる。
「コーダ・ハン国第八代皇鄭、チャラ・ハン鄭であらせられる」
コーダ・ハン? 聞いたことがある。でも、誰から?
記憶は砂のようだ。すくっても指からたちまちにこぼれ落ちる。
ソラは立ち上がろうとして、ぐらりとよろけ肩から床板に崩れ落ちた。
「力が入らぬか」
チャラ・ハン鄭は懐から小袋を放ってよこす。
「解毒剤だ。捕らえるのに毒矢を用いたと聞いている」
腕の痺れは毒のせいか。
黒い丸薬が入っていた。鼻を近づける。臭いはしない。が、これが毒でないと信じる根拠がない。ソラは投げ返し、ついでに唾も飛ばす。
貴様!と、従卒がいきり立つのをチャラ・ハンは手で制す。
「毒はじきに抜ける。ところで、かの光はよほど体力を消耗するようじゃな」
「光?」
「覚えておらぬのか。天を焦がすほどの赫き光よ」
はっとソラの表情が強張る。
そうだ、得体のしれない飛び道具にライが斃れた――。
「ライ、ライは、ライはどこにいる」
「ライとは?」
皇鄭は従者を振り返る。
「北壁の雷虎のことであります」
ああ、と頷くと、不穏な笑みを浮かべる。
「虎と暮らしていたそうだな」
ソラは答えない。代わりに、砂漠の太陽に眸をぎらつかせ睨み返す。
剥き出しの青い敵意にチャラ・ハン鄭は、片頬を軽く歪め笑む。
コーダ・ハン国の騎馬隊は、牙軍団と周辺諸国から恐れられる。その精鋭を統率し、砂漠の烈帝の名をほしいままにするチャラ・ハンにとって、子どものソラを御すなど砂漠馬を操るよりたやすい。
「北壁を統べる雷虎が雌だったとはな。ノリエンダの獣は皆、玉なしか」
言葉で弄び挑発する。
「虎の乳はうまかったか?」
ソラは鉄格子に跳びかかる。が、足枷に阻まれ届かず、無様に床に叩きつけられた。
檻の隅に転がる皿にチャラ・ハンはわざと視線を向ける。
「肉はうまかったか」
ソラは喉の奥で低く唸る。
「さぞや乳の甘いにおいがしたであろう」
どういう意味だ。ソラはまだ靄のかかっている頭を振る。ひと口で平らげた肉は、砂漠の熱気に腐敗が進み、死臭がしていた。
顔をあげると、烈帝が眸の奥で嘲笑っている。
「共食いとは、さすが獣よ」
ソラの脳に稲妻が走った。
あれは、あれはライの肉だったのか。俺はライの肉を喰らったのか。あの逞しい筋肉を咀嚼したのか。白銀の背に跨りしなやかな脇腹の鼓動を内股でつかむ感覚が腿に甦り、気が狂いそうになる。
胃が激しく逆流する。胃底から大きなうねりが圧し上がり嘔吐くのを、ソラは奥歯を噛み締めて堪えた。ライの肉は異物でも汚物でもない。吐くな、吐くな、吐くな。暴走する躰を捻じ伏せんと脳が命令する。貪り喰らった己の口を切って捨てたい衝動が突きあがる。喉を胃をむしり取りたい。犯した罪を吐き出したい。だが、吐いてはライを吐瀉物に貶めることになる。己への嫌悪で身の裡が引き攣る。
腔中にせり上がる酸っぱい胃液を力づくで呑み込むと、代わりに両の眦が決壊した。
うぉおおおおおおおおおおおお。
ソラは胸を掻きむしり、吼えた。
その雄叫びが砂の大地に轟くのと同時に、ソラの全身が閃光を発した。あたりを薙ぎ倒す光が迸り、たちまちに焔よりも黒く赫い光の柱が天を衝いた。赫々と禍々しき光の柱が砂漠の空を貫く。檻の天井は、光の威力に一瞬にして遥か彼方まで吹き飛び、鉄格子は外側に大きく婉曲しだらしなく倒れた。
光の柱は天を射抜いたとたんに消え、ソラは昏倒した。
「すばらしい威力だ」
四人の騎士たちはチャラ・ハン鄭の盾となるべく、その玉体に折り重なり、眼前の光景に声を失っていた。さすがは精鋭の近衛とあって、とっさに皇鄭の四囲をきちりと包囲した動きはみごとであったが、盾を構えるが精一杯で皆、呆然と天を仰いでいた。
「思うたとおりか、発動の契機は怒りだ」
チャラ・ハン鄭が声を昂らせ立ち上がる。
「こやつの力を使えるように仕立てよ」
光の柱は消滅していたが、まだ、誰も近寄ろうとはしない。
茫々とした砂の海に、力尽きたソラが横たわっている。
「よいか、力を目覚めさせろ。ただし、怒りのままに発光するようでは、こちらが危険だ。うまく飼いならせ。兵器として自在に制御できれば、ノルテ村攻略の突破口となる。他国に知られてはならぬ。極秘で進めろ。やつを捕らえたノリエンダの山賊の口も封じておけ」
それだけ言い捨てると、チャラ・ハン鄭はひらりと騎乗する。
砂漠馬の脇腹を鐙で蹴ると、嘶きを残し、白い衣を翻して駆ける。
砂塵が煙幕を曳いて濛々と追いかけていく。
(第16章「ソラ」了)
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第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
第3幕「迷宮」は、こちらから、どうぞ。
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