大河ファンタジー小説『月獅』44 第3幕:第12章「忘れられた王子」(2)
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第3幕「迷宮」
第12章「忘れられた王子」(2)
サユラは侯爵家の娘として自らの役割を幼いころから諭されて育った。
後宮に入内し妃嬪となり王子を授かることは、敷かれたレールの輝かしいゴールのはずだった。ゆりかごですやすやと寝息を立てるカイルに目をやる。王太后様の言葉が耳の奥でこだまする。
嬰児の頬をそっと指先でなぞる。
「お抱きになられますか」
背後からの声にさっと手を引っ込める。侍女頭のエスミが立っていた。
「私どもの目のあるところでなら、お抱きになられてよろしいのですよ」
エスミがカイルをゆりかごから抱きあげ、サユラにさしだす。サユラは叱られた子のような目でエスミを見あげた。カイルを産んでからサユラはいっそう臆病になった。
「王家が懼れているのは、サユラ様がカイル様をさらって後宮から出奔され、ご実家の侯爵家に身を寄せられることでございます」
エスミは侯爵家から付いてきてくれた侍女のひとりで、気の弱いサユラは姉のごとく頼りにしている。
「先日の王太后様のお話は、カイル様に玉座を望まぬようにとの仰せだったのではございませんか」
サユラは驚いて切れ長の目を大きくし、口を開けて空気を呑み込む。
「姫様」とエスミがことさらに昔の呼び方でサユラを見つめる。
「ものは考えようでございます。玉座から遠ざけてよいと王太后様からお墨付きを賜ったのです。我らはカイル様の無事な成長だけを願い、目立たぬようつつましやかに暮らせばよいのです」
ああ、とサユラの頬に紅がさす。
「なれど、いかがいたせば」
サユラは幼いころからの癖でエスミに答えを求める。
「そうでございますね」とエスミは赤子をサユラの腕に抱かせる。
「気をつけねばならぬことは、おふたつかと」
「ふたつ?」
「お辛いでしょうが、第一はご実家とのつながりを絶たれることです」
「侯爵家や父上とは、今後いっさい関わりを持ってはならぬということか?」
サユラが不安げに瞳を揺らす。
「いっさいとは申しませんが」と断ってからエスミは続ける。
「姫様は、お父上である侯爵様に異をとなえたり、意見なさることはできますか」
サユラは激しく首をふる。
「お立場上はサユラ様のほうが侯爵様よりも上なのですよ」
「そうかもしれぬが、父上に逆らうなど……」
サユラはぶるっと身を震わせ、吾子を抱きしめる。
「サユラ様のご気性では難しいでしょう」
エスミは他の侍女たちに目配せして下がらせる。
「侯爵様はなにゆえ姫様を入内させたのでしょう」
「それは……」と答えかけて、はっとする。
「そうです。サユラ様がお産みになられる御子を玉座につかせ、外戚として権力をほしいままにしたいからです」
サユラは下唇を噛み、腕のなかのカイルに目をやる。視線を察したわけではあるまいが、小さな瞼が開く。泣くかとたじろぎ、見よう見まねではあったがそっと揺らしてやるとかすかに笑んだ。
「父上にとっては、妾も、カイルも、ジェムの駒でしかないということか」
エスミはそれには無言で応じる。サユラは気が弱く自らの意見はめったに口にしないが、思慮深いことは知っている。
「いまひとつは、カイル様を武芸から遠ざけ、できるだけ目立たぬようにお育てになられることです」
「ああ、それなら」とサユラは表情を明るくしたが、エスミは目を伏せる。
「姫様のご気性を継いでいらっしゃれば問題はありません。ですが、先代王のご気性をお持ちであれば、それを押さえることは……」
文武両道に秀でることは名君に求められることであるというのに。それを吾子には封印させねばならぬのか。「堪忍してたもれ」とサユラはつぶやく。熱い滴がひとつ、子の頬に落ちた。
(to be continued)
第45話につづく。
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