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小説『虹の振り子』05

第1話(01)から読む。
前話(04)から読む。

<登場人物>
 翔子:主人公
     芳賀啓志けいし:翔子の父     
     芳賀登美子:啓志の母、翔子の祖母
      芳賀仁志:啓志の父、翔子の祖父
        ジャン:翔子の夫(イギリス人)

* * * * *

第2章:父ーグラウンド 01

 芳賀啓志は、書斎の北向きの窓を開けた。
 さっと風がカーテンの裾を舞い上げる。庭では雀がしきりに賑やかな声を立てていた。朝の5時を回ったところだ。あたりは、うっすらと透明になりつつあるが、空はまだ薄墨のベールをまとっている。陽は京都盆地の東に連なる峰の向こうにあるのだろう。書物を日焼けから守るために植えた孟宗竹が、風に葉ずれを掻き鳴らしている。
 北向きの部屋を書斎にしたのも、すべて蔵書のためだった。窓のある北以外、三方の壁は天井まで書棚が造りつけられている。それでも、収まりきらない書物が机の周りにいくつかの山脈を築いていた。
 がっしりとした書斎机の上のライトをつけ、啓志は腰かける。読みかけのぶ厚い英文の天文学書のページを風がめくって戯れる。

 そういえば、翔子もこの書斎が好きだった。
 まだ文字もロクに読めないころから、気づくと書斎にもぐりこんでいた。
 啓志は論文の執筆に取りかかると、文字通り寝食も忘れる。耳に届くのは、風が竹をゆする声と気ままな鳥のさえずりだけだ。書斎の扉は、窓とは反対の南の壁にある。扉に背を向けて執筆に没頭していると、闖入者ちんにゅうしゃに気づくことはない。小用を覚えて席を立ってはじめて、床に転がり本を抱えて寝息をたてている翔子を見つけることもしばしばだった。

 翔子は壮年になってから授かった一人娘だ。
 そもそも啓志は結婚に興味がなかった。だが、この家の一人娘だった母、登美子は違った。「結婚しなければ、この家の跡取りはどうするの」

 登美子にとって何より優先すべきは、芳賀家だった。
 登美子がお家自慢を始めると持ち出すのが、桐箱に収められた芳賀家系図の巻物だ。啓志が子どもの頃には、一年に一度、正月になると披露された。古代紫の袱紗に包まれた桐箱が蔵から出され、親戚が一堂に集まる席で、登美子の手によって、まるで家宝でもあるかのように開けられる。それによると、芳賀家は藤原北家の流れを汲んでいることになる。そのことを登美子は嬉々として語るのだが。啓志にしてみれば、これほど眉唾物はない。家系図が流行した時代に、それらしく拵えられたものだろう。およそたいていの日本人の元をたどれば源平藤橘げんぺいとうきつのいずれかに行きつくともいわれるくらいなのだから。

 芳賀家は、儒学者から転じて3代続いた医者の家だ。陸軍の軍医も務めた2代目の登美子の父がけっこうなやり手で、医業のかたわら土地の売買や借家経営にも乗り出し、資産をふくらませた。登美子はその恩恵を受けて、そこそこのお嬢様として育った。その誇りが彼女を形作っていた。
 家の存続は登美子にとって至上命題であり、何をおいても優先すべきことであった。一人娘だった登美子は迷いもなく婿養子をとる。夫の仁志は医師としては優秀だったが、土地経営の才はなかった。戦後の混乱もあって、2代目が築いた資産のほとんどは露と消え、残ったのは、石造りの医院を備えた和洋折衷の屋敷とわずかばかりの土地だけだった。
 だから。啓志が医者にはならないと宣言したとき、登美子は半狂乱でわめきたてた。
「何のために、男の子を産んだと思ってるの!」
 俺は「家」のためだけの存在なのか。久々に芳賀家に誕生した男児として、大切に育てられてきたけれど。それを差し引いても、母がいきりたつほどに、啓志の心はしんと冷えていった。姉の貴美子は、母と弟の確執の火の粉をかぶりたくないと、さっさと結婚して家を出た。

 好奇心が旺盛な啓志は、決して医学が嫌いだったわけではない。むしろ、人体の構造や細胞の働きには少なからぬ興味をもっていた。幼い啓志は、父の診察室によく忍び込み、棚に並んだ薬瓶を眺めていて飽きることがなかった。「まあ、また坊ちゃんが」看護師に見つかっては、つまみ出される。医院と屋敷をつなぐ廊下の壁にもたれて図鑑のページをめくりながら、診察が終わるのを待った。患者がいなくなると、父の膝にのり、古い顕微鏡をのぞく。プレパラートの中には、肉眼では見ることのできない小さな宇宙がうごめいていた。

「いいかい、啓志。ペニシリンというのはね‥‥」
 父は午後の診察が始まるまでの時間、よくいろんなことを語ってくれた。なかでも、ペニシリン発見の話が啓志は好きで、何度も同じ話をせがんだ。
 アオカビが生えて捨てようとしていたペトリ皿から、イギリスの細菌学者フレミングはペニシリンを発見した。有名な話だ。失敗からの偶然の発見。まさにセレンディピティだと、この話を思い出すたびに啓志は思う。フレミングはよほどの強運の持ち主だったのだろう。リゾチウムも、うっかり吐いたくしゃみから発見している。まるで冗談のような逸話に、しぜんと笑みがこぼれる。そういえば、この話を翔子にしてやると、必死になってくしゃみをしようとしていたな。抗生物質の発見と実用化は、20世紀の偉大な功績のひとつだ。セレンディピティなんていう舌を噛みそうな言葉を、幼い啓志は知らなかったけれど、失敗が生んだ発見の物語にわくわくした。
「この薬もそうだよ」
 薬瓶を手にしながら、父は幼い啓志に語る。「それにね、アオカビは薬になるだけじゃなくて、チーズも美味しくしてくれる」
「ほら、食べてごらん」
 ペニシリンの話の最後に、いつも父は「お母さんには内緒だからね」とウインクしながら、診察室の冷蔵庫にこっそり隠しているブルーチーズを透けてみえるほど薄く切って、啓志に食べさせてくれた。しょっぱくて独特の匂いのするブルーチーズは、子どもの啓志にはとても美味しいとは思えなかった。でも、「どうだい?」とでも言いたげに見つめている父をがっかりさせたくなくて、息をとめて飲み込む。そんな啓志を父はにこにこしながら眺めている。
 今から思えば、父は啓志のやせ我慢をわかっていて、それを面白がっていたのだ。それにしても、戦後まもないあの時代に、父はどこでブルーチーズを手に入れていたのだろう。
 勝ち気でわがままなお嬢様として育った母の傍らで、凪いだ海のごとく穏やかにほほ笑んでいた父は、案外、いたずら好きだったのかもしれない。訥々と語る父の話は、いつでも好奇心の扉を開いてくれた。

 啓志は父の跡を継いで医者になるつもりだった。一族のほとんどが医者の芳賀家の跡取りとして、まわりは誰もがそれを当然のことと思っていた。
 敷かれたレールが嫌だったわけじゃない。青い反抗だったのだ。異常なまでに家にこだわる母に辟易していた啓志は、医者になることを拒み、医学とは最も遠いところにありそうな経済学を選んだ。父は「啓志の人生なのだから、お前の好きなように生きなさい」と言ってくれたけれど。そのことを思うと、いまだに苦いものが喉の内を滑りおりる。


 「いいかい、啓志」というのは父の口癖だった。それを、啓志もいつしか受け継いでいたようだ。そのことに気づいて、口の端がゆるむ。
 書斎机に置かれた写真立のガラスが朝の光を反射する。セピア色に変じた写真の中で父がゆったりと笑っている。啓志は目尻の皺を濃くして、同じ笑みを浮かべながら、写真立の右隣に並べている古い顕微鏡の鏡筒を指でなぞる。
 父は、翔子の誕生を待つことなく、古希を前に逝った。


(to be continued)

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