見出し画像

なぜ「アラン論」を書かなかったのか?

何故、歴史家というものは、私達が現に生きる生き方で古人とともに生きてみようとしないか。そういう事をアランは書いておりました。そういう事になるのです。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p162

長年読み継がれている『幸福論』の著者であるフランスの哲学者アランについて、小林秀雄が彼の著書を愛読し、作品でもたびたび言及してきたことはよく知られている。

アランは大学生の学生時代、好んで読みました。或る日、今はもうない様ですが神田にフランス書院という本屋があって、そこでアランの"Quatre-Vingt-Un Chapitres Sur l'Esprit Et Les Passions"という本をみつけた。アランの何者であるか知らなかったが、こんな表題をつける人は並みの学者じゃないという気がふとして買って帰り、一気に読み茫然として偉い男だと思いました。

『アランの事』「小林秀雄全作品」第5集p72

こんな幸福な出会いがあり、その"Quatre-Vingt-Un Chapitres Sur l'Esprit Et Les Passions"は小林秀雄みずから翻訳して1936(昭和11)年に『精神と情熱とに関する八十一章』として刊行したほどだ。現在でもそのままの訳で、文庫本で入手できる。

小林秀雄の亡き後の1992(平成4)年、蔵書の一部は遺族によって成城大学の成城学園教育研究所に寄贈されたが、そこにはアランの著作やそれに関する書籍が30冊ほど含まれているという。熟読玩味を常とする小林秀雄は、生涯にわたってアランに寄り添ったのだろう。

僕は当時ベルグソンを愛読していた。彼の思想はアランとはまるで違うと哲学者は言うかもしれぬが、僕には二人とも、とどのつまりはおんなじものを語っている様に思われます。

『アランの事』「小林秀雄全作品」第5集p73

小林秀雄は、同じフランスの哲学者であるベルクソンも生涯にわたって愛読し、未完ではあるものの『感想』というベルクソン論まで書いたことは当然よく知られている。ただ、読者としては、ここで一つの疑問が浮かぶ。同じように私淑していたアランについて、たしかに『精神と情熱とに関する八十一章』を翻訳した。しかし、それ以上のアラン論を小林秀雄はなぜ書かなかったのだろう。

そこで小林秀雄のように「突然」思い浮かんだのは、名著『考えるヒント』である。

(つづく)

まずはご遠慮なくコメントをお寄せください。「手紙」も、手書きでなくても大丈夫。あなたの声を聞かせてください。