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「諸行無常」に哀調なんてない

1942(昭和17)年の『西行』で小林秀雄は、50以上もの歌を引いて批評した。それに対して『私の人生観』では、当時の歌ならどこにでも諸行無常や一切くうの思想が見られるが、空を観ずる力量では西行の歌が抜きんでていると小林秀雄は評している。

西行についての話は続くのだが、ここで小林秀雄はその「諸行無常」という言葉について触れる。

諸行無常という言葉も、誤解されている様です。現代人だから誤解するのではない、昔から誤解されていた。「平家」にある様に「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し」、そういう風に、つまり「盛者必衰のことわりを示す」ものと誤解されてきた。

『私の人生観』

「平家」というのは、もちろん軍記物語の『平家物語』のことである。西行が生まれた1118年は平清盛の生年でもある。いずれも若かりしときは「北面の武士」として鳥羽上皇に仕えていたので接触はあったかもしれないが、史料は一切ない。

「諸行」とは、あらゆるものごと。仏教では、すべての存在や現象には実体がなく、それらは要素の集合体であり、すべては連続性や関係性のなかに存在していると考える。「無常」は、いろいろな要素が結びつけば存在や現象が形作られるが、結びつきがほどけたり、また別の形になったりと、刻々と変化し続けていること。

よって「諸行無常」とは、この世のものはすべて、絶え間なく変化し続けているという事実を、ありのままに述べた言葉だ。人が生まれるのも「無常」、人が生きていくことも「無常」、人が死ぬのも「無常」。万物は流転する。永遠に続くものなどない。だから、とらわれることなく、いまこの一瞬を大切に生きなさいという教えでもある。

『平家物語』の語り出しの表現である「諸行無常」という言葉を、続く「盛者必衰の理をあらはす」とともに平家滅亡と重ね合わせ、「無常」を同音異義語の「無情」と勘違いし、いわゆる「滅びの美学」だと思い込んでいるのが、いかに多いことか。

小林秀雄は『西行』と同じ1942(昭和17)年に『平家物語』という一個の批評を発表している。そこでも同様の指摘をしている。

「平家」のあの冒頭の今様いまよう風の哀調が、多くの人を誤らせた。「平家」の作者の思想なり人生観なりが、其処そこにあると信じ込んだが為である。(中略)一種の哀調は、この作の叙事詩としての驚くべき純粋さから来るのであって、仏教思想という様なものから来るのではない。「平家」の作者達の厭人えんじん厭世えんせいもない詩魂から見れば、当時の無常の思想の如きは、時代の果敢無はかない意匠に過ぎぬ。

小林秀雄『平家物語』

『平家物語』の叙述についても、小林秀雄は感じたままに述べている。

「成る程、佐々木四郎は、先がけの勲功いさを立てずば生きてあらじ、と頼朝の前で誓うのであるが、その調子には少しも悲壮なものはない、勿論もちろん感傷的なものはない。傍若無人な無邪気さがあり、気持ちのよい無頓着さがある」
「この辺りの文章からは、太陽の光と人間と馬の汗とが感じられる、そんなものは少しも書いてないが」
「終りの方も実にいい。勇気と意志、健康と無邪気とが光り輝く」
「込み上げてくるわだかまりのない哄笑こうしょうが激戦の合図だ。(中略)『平家』の人々はよく笑い、よく泣く」

小林秀雄『平家物語』

このように、合戦の躍動感や、生活者としての喜怒哀楽、さらには「笑い」など、琵琶法師のはかない調べに乗った『平家物語』の「滅びの美学」などを論ずることとは無縁だ。「『平家』の哀調、惑わしい言葉だ」と一蹴している。

いまも昔も、『平家物語』の語り出しは、小学校で暗誦させられる。言葉の意味はあまり考えず、音の響きやリズムを重視しているようだが、暗誦を課す国語の先生たちは、きちんと「諸行無常」を理解し、ただしく伝えているだろうか。

(つづく)

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